Bounty Dog 【14Days】 89-92

89

 デルタの指示に保護官達は喜んで従った。爆発音が連続で聞こえてくると、高層の建物達が大きく崩れ出した。
 保護官達はローグ以外の生き物の保護を開始する。瓦礫の中に身を埋めている父娘を引っ張り出す。噴水の水の中に沈んでは浮かんで息継ぎを繰り返していた少年を引っ張り出す。目の前にいる巨大なドブ鼠に震えながらゴミ箱の中に入っていた女性を引っ張り出す。
 ゴミ箱に居た巨大なドブ鼠も、抵抗しないように麻酔弾で撃って眠らせてから救った。発狂しながら抗議をし始めた女性に、担当保護官は冷淡な態度をしながら言った。
「この子だって貴女と同じ、死の恐怖に晒されている掛け替えのない命です」
 デルタは脱出ルートを地下に設定した。都市の下水道は元情報部所属である班長の予測通り、ローグの脅威に晒されていなかった。保護官達は班長命令の下で、救助した人々に下水道を通って隣の街に行くよう指示をする。保護官達の足元に、人間以外の生き物達を入れた空気穴付きの袋が大量に置かれていた。
 順調に脱出作業をしてくれる従順な部下達に感謝をしながら、デルタ・コルクラートは支部の通信室の液晶画面越しに様子を見守った。机の上に置いていた通信機が激しく震え出す。デルタは舌打ちをしてから通信機を乱暴に掴むと、ヘッドフォンを外して機械を耳に当て、応答ボタンを押した。
 電話を掛けてきたのは、予想通りの人間だった。『世界生物保護連合』の総合管理部・最上位幹部の男が開口早々に文句を言ってきた。文句の内容も全てが想定通りだった。
『コルクラート、勝手に我々の命令を放棄したな!?ターゲットがどれだけ希少な存在なのか分かっているのか!?絶滅種が生きていたんだぞ!!何故捕獲を止めるんだ?!
 …………他の命の保護の方が重要?そんなものどうだって良い!!どいつも皆んな有り余るほど種の数がいるじゃないか!?ローグはたった1体しか居ないんだ!!さっさと捕まえに行け!!この役立たず、無能が!!』
 保護組織の上層なのに生き物の命を軽んじて扱っている、通話相手の男にデルタは強い殺意を覚えた。男は微塵も空気を読めずに、エゴの極みと称する事が出来る自分勝手な理屈を、圧力を掛けながら訴えてくる。
 デルタの頭の中で”糸”が切れた。通信機を耳から離して口元に添えると、相手の鼓膜を千切り破る勢いで怒鳴った。
「ならば貴様が現場に今直ぐ行って、ローグを今直ぐに捕まえてこい!!理想たっぷりの夢物語は、現場で地獄を味わい尽くしてから語れ!!」
 通信機を壁に投げ付けた。液晶の一部が割れて床に転がった機械から処分に対する罵声が延々と聞こえてきていたが、騒音とすら思わない、興味を微塵も持たなかった。
 己の神経の全てを、現場で働く自分よりも下の立場の人間達に注いだ。心が清らかで勇敢であり、何よりも己を曇り無く純粋に信じてくれる良き部下を持っている事を、デルタは誇りに思った。

90

 現場の救助活動は順調に行われた。周囲から響く爆発音も、建物の崩壊音も、もう構って貰えないローグの駄々捏ねとしか思わなかった。
 保護官達はお互い連絡を取りながら生き残っている人間含む全ての生き物達を安全な場所に誘導した。街を一通り巡って思い付く限りの潜伏出来そうな箇所を隈なく確認した。
 作業中に数人の保護官が爆発して死んだ。常に晒される死の恐怖に心が染められそうになりながら、亜人課保護官達は命懸けの救助活動を続けた。都市の8割が業火に包まれた時、保護官達は自分達の脱出を開始した。下水道を走りながら、心の中で街に未だ取り残されているだろう、見付けられずに死から救えなかった命達に深々と謝罪した。
 大きな大きな爆発が起きて、人間の都市は核爆弾を撃ち込まれたように焼き尽くされて喪失した。
 都市に居た1体のローグと『原子』以外の、全ての生き物を含めて。

 都市から数キロ離れた丘の上に『世界生物保護連合』3班・亜人課の保護部隊用輸送機が停められていた。生き残りの保護官達は救助した人間と人間以外の生き物達を乗せられるだけ乗せては、遠方の安全な地へ移動させる。人間以外の生き物達の中からレッドリストに記載されている絶滅危惧種が数種見付かった。亜人課の保護官達は組織のそれぞれの担当課に連絡して、各課の支部に送る手続きを併せて行なう。
 別の課から来た支援の輸送機も到着して、救い出した命達の輸送は滞りなく行われていった。最後の輸送を行う飛行機が飛び立つと、保護官達は支部に戻る為に亜人課現場部隊専用の輸送機に乗り込んでいく。
 タラップの段に足を掛けて、1人の若い男の保護官が彼方に見える滅んだ人間の楽園を見つめた。巨大な炎の塊が天に向かって、まるで生きているように揺らめいては吹き上がっていた。
 星の怒りを見ていると思った。憤怒した此の星が己の表面と体内でエゴを延々と行い続ける人間という腐敗した生き物を滅ぼす為に、己と”会話”が出来る絶滅種を生き返らせたのだと思った。
(そんな筈が無い)
 男性保護官は大きく被りを振って、否定した。
(我々人間は、自分達がしてきた幾多の罪を十二分に理解している。我々組織は歪めてしまった生き物達の運命を本来の形に戻す為に、贖罪として保護活動を行なっているんだ)
 強く心の中で思った。
(ローグ。我々の組織がしている保護活動は、人間に滅ぼされた貴方達への贖罪だ)
 若い女の保護官が近付いてきて、輸送機に乗りたいとジェスチャーで伝えてきた。男性保護官は愛想笑いをしてからタラップを降りる。女性保護官と入れ違うように身を引くと、
 タラップの段に足を掛けた女性保護官の動きが止まった。一点に視線を釘付けにしているので、男性保護官も同じ方向に目を向ける。
 1人の幼児が、此方を見つめながら立っていた。
 中性的な顔をした幼児は、ダボダボの大き過ぎる黒いローブを着ていた。袖と裾の端が地面に付いていて引き摺っている。靴は履いておらず、裸足だった。真っ白い肌をした、何処か不気味さを感じる子供だった。
(鼠に似ている)
 男性保護官は、幼児の第一印象をそのように称した。ーー今は国際法で禁止されているが、かつては研究目的で散々に利用されていた、実験用のマウスに似ている。ーー
 端に民族衣装のような刺繍が施されているローブのフードを頭に被った幼児は、瞳孔の濁った赤い大きな目を向けてくる。ニッコリと目を三日月形にして微笑むと、中性的な可愛らしい声で話し掛けてきた。
「ねーねー、ボクもソレ乗りたい。乗せてー」
 男性保護官は、直感で警戒した。銀色の癖のない前髪がフードから出ている。頭飾りらしい黒い布の端と数珠のようなアクセサリーの端も飛び出ていた。フードが膨らんで、縮む、膨らんで、縮む。
 保護官は、真顔で返事をした。
「坊や。いや、お嬢ちゃん?どちらでも良いけど。ごめんね、駄目だよ。お父さんとお母さんに良いよって言って貰わないと」
 肩を叩かれる。男性保護官が振り向くと、幼児を見付けた女性保護官が険しい顔をしながら抗議をしてきた。
「この子の親、ほぼ間違い無くローグに殺されています。此処に居させると非常に危険です。保護をすべきでは?」
 男保護官は、目を丸くしながら言葉を返す。
「いや、でも」
「あなたは鬼なの?こんな危険な所に放っておけないわよ!こんなに小さな可愛い子!!」
 女保護官が憤怒した。幼児は、手を背の後ろで組んで口を尖らせながら地面を足で小突いている。女保護官が胸倉を掴んで抗議してきたので、男保護官は放たれる威勢に意思が折れた。渋々首を縦に振って了承を同僚に伝えると、幼児に向かって言った。
「良いよ、乗っても。でも沢山の人達がいる安全な所に連れて行くまで、大人しくしていてね」
 幼児は満面の笑顔をして言った。
「うん!乗っている間は大人しくするね!!」

91

 デルタは、生き残りの部下達から無事に支部に戻れると連絡を受けて安堵した。「支部に足を踏み入れるまで気を抜くな」と指示をしてから、通信を切った。
 支部の通信室でヘッドフォンを外して椅子に座ったまま物思いに耽ると、椅子から腰を上げる。負傷している右足を引き摺りながら歩き、床の上に転がっている己の通信機を拾い上げた。
 機械は大分前から沈黙していた。ーー上層の、あのお偉い男はどうやら口では無駄だと判断したようだ。ーー
 どのような処分が己に下されようが、デルタはどうでも良いと心底に思った。ーー懲戒免職か異動は確実だろう。余暇が出来るのも良いな、ヒュウラに幾らでも会いに行ける。部隊も、姉さんにまた戻ってきて貰えば良いじゃないか。またこの組織を滅茶苦茶にしてくれるさ。ーー
 含み笑いをして、デルタは通信機をポケットに戻した。

 緊急任務は終了したが、やらねばならない事は沢山あった。ーー先ず、ローグを放置する訳にはいかない。自分が部隊から抜けさせられる前に、被害を最小にして確実に捕獲が成功出来る最適な保護方法を考えて、作戦を立てて保護官達に引き継がせる必要がある。ーー
 そして此方も重要だった。ーー待たせているヒュウラの最終護送を完了させなければならない。ーーローグも希少だが、デルタは個人的にヒュウラの方が”希少”だった。13日間共に任務をして、あの特別保護官兼超希少種の亜人に親のような愛情が芽生えていた。
 デルタは机に戻ってヘッドフォンを再び装着すると、機械を操作して保護施設と連絡を取る。メールで施設の担当員とやり取りを行うと『輸送機をローグから救出した人間と他の生き物達の護送に手配してしまったので、其方に送る施設行き輸送機の手配は明日になる』と返事が来た。
 メールを読みながら、思った。
(明日までヒュウラと一緒に過ごせるのか。今まで我慢させた分、あいつに後で存分に好きなだけ煎餅を食わせてやろう。風呂にも入れてやろう。あいつに奪われた俺の支給品のシーツは返して貰おう。ラグナル保護官とリングも誘って、4人でテレビで映画でも見るか)
 保護官らしかぬ事を考えた。デルタはとても幸せだった。

 ポケットの中の通信機が震えた。デルタは思考を止めて機械を取り出し、耳に当てる。側面に付いた応答ボタンを押して、組織の決まりである苗字で己を名乗った。
「こちらコルクラート。どうした?」
 通信先のノイズが酷かった。男の保護官の声が掠れるように聞こえてくると、
 相手は、切羽詰まったような声で尋ねてきた。
『リーダー、申し訳ありません。1つ教えて頂きたいです。ローグって、術を使う時は七色に目の色が変わるのは存じています。……術を使っていない時の普段の目の色は、赤ですか?』

92

 通信が一方的に切られた事で、デルタの気は暗転した。負傷している右足を投げ出して機械を操作し、液晶画面に電子地図を表示させる。
 広い空間に停まっている輸送機の中に、保護官達を示す白い点が表示されている”筈”だった。白い点はあるが、2つだけしか無かった。事前に伝えられていた保護官の数と全く異なっている。
 2つの点は、真逆の行動を取っていた。輸送機から高速で離れていく点が、途中で地図から消えた。輸送機の側で静止している点だけが、地図の上では唯一の生き残りになっていた。
 デルタは通信機を机の上に置き、音を立てないように操作して点の主に連絡した。相手も理解してくれており、通信が繋げられるが言葉は発されなかった。双方無言で、通信機が拾う雑音に耳を傾ける。
 燃える木の水分が火の中で弾けるような音が聞こえてきた。小さな爆発音も聞こえてきた。その次に聞こえてきたのは、独特の鳴き声のようなものだった。
『うきゅう』
 音程の高い、可愛らしい子供のような声だった。
 通信先の保護官が、声を殺しながらデルタに話し掛けてきた。
『申し訳ありません、私は此処までです。リーダー、私の発信機が写す映像を絶対に、今直ぐにご確認ください。今際の際に”奴”を写してから逝きます』
 デルタは状況の全てを察した。大きく口を開きかけて、通信機から爆発音が聞こえたので口を結んだ。最後の保護官が死んだ事を電子の地図から消えた点で知ると、素早く卓上の機械を操作して、最後の保護官が手首に付けている発信機のカメラを起動させた。
 全神経を集中させて、映像を見た。画面は横向きになっていて、機械を付けた人間が倒れている事を明確にしていた。
 画面に映っていたのは、予想通り1体の亜人・ローグらしき生き物だった。しかし姿が、予想と明らかに違っていた。
 黒いダボダボのローブを着た4、5歳程の幼い子供が、横倒しになって歯を見せながらゲラゲラ笑っている。ローブのフードを両手で頭から脱ぐと、髪飾りを巻いた銀色の髪の間から生えている、黒い獣のような大きな耳が飛び出てきた。
 瞳孔の濁った大きな赤い目が真紅に、水色に、黄緑に、黄色に、灰色に変わって、赤に戻った。
 デルタは映像に釘付けになって、思考に耽た。 
(子供?あの小さな子供がローグ?大量殺人爆弾魔だと?)
 映像の中で、亜人の子供がゲラゲラ笑っている。
(組織のプロファイリングが外れてる。何だこいつ、盲点しか突いてきていないぞ)
 子供は未だゲラゲラ笑っている。デルタは意識を子供の周辺に映る景色に向けると、
 一点に映っているモノを見て、息が止まりそうになった。
(支部?彼処に見えている建物は此処か?何でローグが此の国に居る?気のせいか?……いや、いや)
 子供がゲラゲラ笑いながら移動を始めた。よく知る建物に向かって、ゆっくりと歩いていく。
 建物から、非常によく知る物が伸びていた。『世界生物保護連合』の紋章が描かれた団体旗が、風に靡いていた。
 デルタの顔が蒼白した。
(間違い無い。アレはこの建物だ!!)
 即座に、思い浮かんだ存在の名を叫んだ。
「ヒュウラ!!」