Bounty Dog 【14Days】 18-20

18

 アーチ型の門を潜って寒村を出た先は、幅の広い土道を挟んで、麦と南瓜と人参と玉蜀黍と豆が植えられた畑が広がっている。数キロ歩いて行くと、突き当たりに差し掛かり、T字路の縦側になる来た道は迂回のための細い通路が伸びてはいるが実質は行き止まりで、土が切り崩されて出来た塀の上に、大きな道路が横切っている。
 片側はタクトが働く大学のある街へ、もう片方は大陸の端にある港へ通じる道を、時々荷物を運ぶ馬車が通り過ぎて行く。長閑な田舎道の昼間の空の下で、土の堀の根元に白い麻の肩掛け鞄が置かれており、直ぐ傍にある大きな石の上に、カイが胡座をかきながら腕を組んで座っている。
 白い肌に付いた大きな紫色の目と太めの眉が釣り上がる。水色の二つ括りの剛毛が靡いて仰ぎ鳴らす風の音が、農作物の葉が擦れる控えめな音と共にオーケストラを演奏し始めると、少年は湧き上がる怒りの声を空に向かって吠えた。
「分からず屋は兄貴の方だ!兄貴も村の奴らも、原子操作術はもっと滅茶苦茶格好良いんだってことを全然、ぜんっぜん!分かってないいい!!うおおおお!!うおおおおおおおおおお!!」
 無人の空間に、犬が咆哮するような発狂声が響き渡る。数分間本能を解放して気が済んだらしきカイは、広げて組んでいる膝の上に乗せた分厚い本に視線を落とした。
 ーー紺色の短い毛が全面に生えた本に、銀色の文字で『元素と『原子』 “ローグ”の術式 解読書(初版)』とタイトルが書かれている。
「オレだって原子操作は出来るし原子操作術士になれる!!空気は確かに最高難易度だけどな!だけどオレは天才だから、絶対原子を操って全員見返してやるぜ!」
 本の端を片手で掴んで、豪快に数十ページを一気に捲る。広げられた面には「『原子』と『元素』」と章タイトルが書かれたページの次頁に、基本的な元素の名前と記号が書かれた表が載っていた。
 H、He、Li、Be、B、C、N、O、F、Ne、Na、Mg、Al、Si、P、S、Cl、Ar、K、Ca。
 水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ネオン、ナトリウム……ーー。
「水兵、りーべー!ぼくの船!なな曲がるシップス、くらーくか!!とっくに完璧に暗記してるぜ!はーはははははは!!はーはははははは!!はー!!」
 自信満々の笑い声を暫く上げてから、カイは声を上げ過ぎた代償に口の中の水分が無くなって咽せる。鞄から水筒を出して水を少し飲むと、両手で頬を挟むように数回叩いて気合いを入れた。
「おーし!じゃあ今日の実験を始めるぜ!!先ずは此処にいる原子が何者なのかを分析しよう。分からねえと使える術式が分かんねえからな。オレだってそれくらいは知ってる」
 土の堀の上にある大通りを、2頭の馬が引く荷車が勢い良く走り過ぎる。土煙と共に黒煙が尾を引いて後方へ流れて行くが、少年はその全てに気が付かない。
 勢い良く立ち上がった反動で、膝の上の本が広げられたまま地面に滑り落ちる。カイはポケットから出したビニール袋を開いて上下に振り空気を入れて膨らせると、口に鼻を押し込んで豪快に臭いを嗅いだ。
「藻?泥臭えな。此処から沼が近えからか?んー、土の構成元素は、ケイ素とアルミニウムと鉄、カルシウム、ナトリウム、マグネシウムが酸素とくっ付いてて……」
 袋から鼻を離して、考察をする内に涙目になる。
「うわー、わちゃわちゃ色んな原子が居そうー骨折れそうー!先に飯食って休憩してから考えよう」
 1人でパニックになりかけて落ち着いたカイは、風でぺらぺらページが捲られる本を拾って脇に置き、白い鞄からハムとチーズと輪切りトマトを挟んだサンドイッチを取り出す。手作りランチを包む食品用ラップフィルムを外して、無邪気に微笑みながら大口を開けると、
 頭上から広がった影が、少年の身体に覆い被さった。

19

 背中を襲った突然の衝撃に、カイは騒ぎながらでんぐり返りをして岩から落ちる。頭を強く打って2日連続でタンコブを髪の中に作ると、うつ伏せになった身体を起き上らせようとして、その小さな身体がとても重く感じるのに気付く。
 まるで背中に大荷物を担がされているような異様な重さ。徐々にそれはカイの身体からずり落ちると、背後の地面に滑り倒れた。
 カイは恐る恐る振り向いて、物体の正体を知る。
「うきゅううう」
 小動物のような高い鳴き声を出してうつ伏せになっているソレは、真っ黒いダボダボのローブを着ている人間らしく、刺繍が施されたフードを頭から被っているので顔が殆ど見えないが、背丈がカイよりも小柄で、子供か小人であろうと推測する。
「うきゅううう」
 更に一鳴きした謎の人物に、少年は少し恐怖を覚える。極々慎重に手を伸ばしてフードの端を掴み上げると、血色の薄い真っ白な肌に小さな鼻と口、赤い大きな目が付いた顔に、銀色の前髪が掛かった相手の姿が露わになった。
 男なのか女なのか分からないが、顔の縦幅が短く、幼い子供である事は間違いない。小さな両手と何も履いていない両の素足を投げ出して、渦巻き模様になった目で空を見上げている謎の銀髪の子供をカイは警戒しながら暫く眺めていると、
 獣が威嚇するような音が、相手の腹から響いてきた。
 グルルルル……キュルルル。
「うきゅう」
「何?お前、行き倒れ?腹減ってるの?」
 カイは乱雑にラップで包まれて地面に落ちているサンドイッチを一瞥する。もう一度子供の顔を見ると、ぐるぐる渦巻き模様の目をした相手は、独り言のように人間の言葉を口に出した。
「ちーず。穴の開いた、ちいいいいずううううう」
「うわああああ!やっぱりスーパーハイパーミラクルスペシャル行き倒れじゃねえか!!ちょっと待ってろ!直ぐに飯を食わせてやるからな!!」

20

「ごめんな。穴は開いてねえけど、丁度それチーズ入ってた。足りる?」
 カイは、地面に落ちてしまったクシャクシャのラップに包まれているサンドイッチをハンカチで包んで鞄に入れると、カップに水筒の水を注いで前方に置く。
 謎の黒ローブの子供は、土の堀に背を付けて座りながら新しいサンドイッチを食べている。鼠のように小刻みに噛みながら口に入っていくチーズとハムと輪切りトマトを挟んだパンは、膨らんだ両の頬っぺたの中に暫く詰められた後、一気に喉を通って胃の中に収められた。
 3個食べて満足そうに顔の筋肉を緩めると、水が入ったカップを手に取り一気に飲み干す。食事が終わった幼児が目線を向けてきたので、カイは歯を見せた満面の笑顔を返した。
「生き返ったか!いやー良かったな、良かった!!」
「助かったー。ありがとう、ごちそうさま」
 丁寧にお辞儀をした黒ローブの子供は、刺繍が施されたフードを被ったまま、顔に掛かった銀色の前髪を細い小さな指で軽く掻き分ける。瞳孔の濁った大きな赤い目を三日月形にして笑ってくると、勢い良く立ち上がったカイは自信満々に自己紹介をした。
「オレ、カイ・ディスペル!未来のウルトラスーパーグレートハイパー格好良い原子操作術士になる予定の男だ!!お前は?」
「カイ。君はカイ。カイはボクを助けてくれた、ちーずもくれた」
 質問を無視して、子供は独り言のような返事をする。考え事をするように口に人差し指を当てて空を見上げ始めると、数分間静止してから、不思議そうに首を傾けているカイを再び見つめた。
「カイは人間だけど外すね」
 カイは怪訝そうに目を吊り上げる。子供は言葉を続ける。
「それ、なーに?」
 細い小さな白い手が、カイの脇に挟まれている厚い本を指差す。カイは『元素と『原子』 “ローグ”の術式 解読書(初版)』と書かれた本を両手で持つと、青い毛が全面に生えた高級感の漂う表紙を相手に向けた。

「コレはだな!原子操作術の本だ!!何処かの偉い学者が解読した、ローグの作った術式が書いてある。まあこいつは解読しただけで、実践で成功したのは今の所は兄貴ただ1人だけどな!!」
「……ふーん」
「原子操作術っていうのはだなー」
 鼻息を吹き上げて、腰に片手を当てながら、もう片方の手に掴んだ本を天に向かって高々と上げる。説明を始めようと本を開いた瞬間、仏頂面をしていた黒ローブの子供は、僅かに眉間に皺を寄せた。
「知ってるから大丈夫。それ、ボクに見せて」
 扇のように広がった袖から伸びる小さな白い指が横に揃い並んで、伸ばしては開く。本を貸して、と、ジャスチャーしてくる。
「え!お前、原子操作術知ってるの?兄貴のファン?」
 目を輝かせながら、カイは子供に本を手渡す。重厚な辞典本を両手を使って開いた子供は、パラパラとページを次々に捲っては流すように文と図を素読みすると、最後の奥付を一気に飛ばして本を閉じた。
 小さな溜息を1回、吐く。
「2つ合ってる。後は全部デタラメ」
 カイの目がまた吊り上がった。子供は話し続ける。
「カイは原子、好き?」
 本を突き返されながら唐突に質問されて、カイは少しだけ躊躇する。頭の中に沸いた疑問マークを気合いで掻き消すと、恋焦がれる存在を想うように、頬を紅くしながら本を受け取った。
「ああ!勿論、オレは原子が大好きだ!!原子は活性すると格好良い!絶対ぜったい、格好良いに決まってる!!」
 目の前で大声を出されて、子供は目を丸くする。
「オレは原子を、愛してる!!」
 カイは胸を突き出して、自信満々に仁王立ちをする。手に持った本を開いて左手で支えながら、右手の人差し指を天に伸ばしてぐるぐる回し始めると、蜻蛉採りの遊びをされる蜻蛉のように指先を目で追いかけていた子供は、感心したように独り言を呟いた。
「……凄い情熱。じゃあカイだけ、特別ね」
 カイの目が限界まで吊り上がった。首を傾げる。子供が言ってきた。
「ボクからの恩返し」
 座った姿勢から舟漕ぎをして勢い付けて立ち上がると、サイズの大き過ぎる黒ローブの裾を引き摺りながら、裸の足でぺたぺた土を踏んで歩き出す。
 カイは慌てて話し掛ける。
「おーい、お前突然、何処行くんだよ?」
「”原子”が、漂うままに。こっち行こうー」
 再び独り言を呟いてから可愛らしい笑顔でニッコリと笑うと、子供はカイの手を掴んで、手繋ぎで引っ張りながら脇道へと歩き出した。