Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 11-12

11

 2日目もジャックは1階のリビングにある棚の中から鍵束を拝借して、扉に付けられている無数の南京錠を外して屋根裏部屋にやってきた。ナスィルは被り物を一切していなかった。極めて美麗である全てが完璧に整っている顔を微笑ませて、己の初めてで唯一の友を迎え入れた。
 お互い挨拶をして雑談をしてから、2人は先ずトランプで遊んだ。カードの抜けが無いかの確認も出来る七並べをしてから、次に同じ数字並べになるが並べる早さを競う『スピード』のゲームをする。
 スピードも2人専用のゲームだった。スピードはナスィルの方が強かった。勉強も運動もそこそこ出来て、物事という道の先にあるものを推測した上でその場所に辿り着く頃に最良の状態になるよう事前に用意をしておく”戦略思考力”は極めて高いジャックだが、悪い物事が突然起こった時に瞬時に最良へ転換させる行動を起こす”瞬発力”が余り無いのが弱点だった。
 スピードを数回して、ジャックは1回だけ勝つ。トランプゲームは少し弱いジャックは悔しそうに苦笑いをすると、昨日別のゲームでボロ負けにされた相手に勝てて機嫌が良いナスィルに向かって話し掛けた。
「今日の晩ご飯、ぼくの好きな海老が一杯入ったパエリアだった。ビアンカお義母さんの料理は凄く美味しいね。ナシュー、毎日食べられて羨ましいや」
「そう?」
 毎日食べている母親の料理の味を何とも思っていなかったナスィルは、親の手料理を褒めてきた友達に少し驚愕しながら応える。ジャックはニコニコ笑いながら、床の上に並べられた神経衰弱ゲーム用のカード達から2枚を選んでひっくり返すと、同じ数字同士だった2枚のカードを脇に置いてから話した。
「でも、オレンジが何かに絶対入ってるの。サングリアジュースにもオレンジが入ってるし。今日の朝ご飯もオレンジジュースがあるのに切ったオレンジも出してくれたよ。そういえば来た日に食べたケーキも、オレンジのケーキだった」
「俺がオレンジ、大好きなんだよ」
 ロック鳥はオレンジが大好き。元・光のポンコツ勇者は元からモンスターでは無いと今は思っている友達の言葉を聴いて、オレンジ三昧地獄の元凶が目の前に居る事を知る。
 己をオレンジ三昧地獄に貶めている、ジャック以外の存在にはモンスター級の脅威である窒息能力が顔に付いている少年は、長い長い溜息を吐いてから神経衰弱用のカードを2枚ひっくり返した。違う数字だったので、もう一度返して元に戻す。
 ナスィルはウンザリしたように綺麗過ぎる顔を顰めながら、ジャックに向かって言った。
「でも正直に言うと、とっくにもう飽きてる。ジャックはオレンジ、嫌い?」
「ちょっと苦手になりそう。でも好きでも嫌いでも無いよ。ぼくは何でも残さず食べる。食べ物と飲み物は神様のお肉と血で、ぼく達が生きられるように代わりに命をくれているんだもん」
 3分の1は大人から言われた教え、3分の1は信仰している西洋宗教の教え、残りはジャックの個人的な考えだった。宗教は教会に行けないという理由で信仰していないナスィルは、ジャックの言葉と考えが余り理解出来なかった。
 再び顔を顰めて、己の考えを友に伝える。
「俺は酒、大嫌い。未だ飲めないけど。酔っ払ってる父さんは臭いし、ずっと自分の仕事と軍隊の話しかしないから好きじゃない」
「そうだね。何で大人って、凄く恥ずかしくてみっともない姿になるのに、お酒飲むんだろうね?」
 ジャックも首を縦に振って同意した。『酒じゃなくてオレンジジュースを飲めば良いのに』で意気投合する。
 己らはオレンジに飽きている2人は、神経衰弱ゲームをジャックの勝ちで終わらせて、トランプを片付けた。ナスィルがベッドの下から昨日ジャックが忘れていった擬似戦争ボードゲームを引っ張り出してくると、不敵な笑みを浮かべながら『無敵王』に宣戦布告した。
「今日は勝つ。君を王の椅子から引き摺り下ろす」
「え?ゲームするの?良いよ。でも負けても泣いちゃ駄目だよ」
 ジャックも片方の口角を上げた。ボードゲームを2人で組み立てて、カードを切って5枚ずつ振り分ける。再び切った残りのカードを窪みに入れ置いて、上部に付いたルーレットの取手を指で摘んだ。
 今日は2人でルーレットを摘んだ。2人一緒に、ゲーム開始の掛け声を言った。
「バイレ・アパシオナド(情熱的に踊る)!!」

 ボードの上でされた戦争は、今日もジャックの国が圧勝した。だが今日のナスィルは泣かなかった。負けて悔しかったが、楽しい気持ちの方が遥かに優っていた。
 ジャックがとても好きだった。両親よりもジャックとずっと一緒に居たいと思った。

12

 擬似戦争ボードゲームを3戦で終了させ、残りの時間は再びトランプで遊んだ。七並べから神経衰弱をして、今はババ抜きをしている。
 手持ちに居るジョーカーのカードを見つめながら、ナスィルは思考に耽た。考えたのは、やはり此の家の外に広がっている世界の事だった。
 彼は産まれて7年間、この部屋にある物と親以外の全てを知らなかった。だが昨日、キラキラしていて魅力的で、大好きになった新しい存在を知った。
 家の外からやって来たジャック・ハロウズという名前の人間。己の友達でもあるジャックに、ナスィルは相手が扇のように広げ持っているカード達に視線を向けて話し掛けた。
「ジャックはどうして、俺の家に来たの?」
「ぼくが孤児だからだよ。お父さんとお母さんが居ないの。死んじゃったんじゃないよ、捨てられたの」
 ジャックはニコニコ笑いながら答えてきた。悲壮感を微塵も出さないサッパリとした態度で、ジャックは己の事について話を続ける。
「ぼくは赤ちゃんだった時に、段ボールに入れられて孤児院の前に置かれていたんだって。ぼくのように親に捨てられた子供達が、ぼくの居た孤児院に一杯居てね。ぼくが居た孤児院以外にも、この国には孤児院が一杯あるよ」
 ジャックとナスィル達が暮らしている国は、大勢が信仰している別の国で出来た西洋宗教の教えで、どのような理由であっても人工中絶は、犯すと死後に神から裁きを受けて魂を消される大罪だとされている。故に此の国の出産率は非常に高かったが、国が保証している歪んだ”自由”を理由にして、産みはするが子供を簡単に捨てる親が非常に多かった。
 殆どの赤ん坊は寝巻きと寝具だけ、酷い場合は死んでも構わないと言わんばかりに裸のまま道端に捨てられているそうだが、ジャックの場合は寝巻きと寝具に加えて、名前が書かれたメモが添えられていたらしい。
 ハロウズ孤児院の扉の前に捨てられていた”ジャック”。だから彼の名前はジャック・ハロウズだった。

 ジャックはケラケラ明るく笑っている。己の悲惨な出生や過去には全く興味が無いんだと、親が2人共に親という責任を放棄せずに育ててくれている友達に態度だけで伝えてくる。ジャックは1枚抜かれて同じ数字同士の2枚のカードを相手との間に置いているカードの山に積まれると、扇状に広げて持たれている相手の手札を見つめながら言った。
「この国は住んでいる人が皆んな自由なんだって。だから要らない子供を捨てちゃうのも、親の自由」
 カードを1枚引き抜いた。ジョーカーを引いてしまい、ジャックは苦笑する。
 彼が持っているとゲームに負けてしまう”死神”のカードを手札に加えると、ナスィルは”死神”を己の元に戻さないように注意しながら、シャッフルされたジャックのカードから1枚引き抜いてから口を開いた。
「凄く酷いね。何ていうの?そういうの」
「エゴっていうんだよ、ナシュー。それをする人は、エゴイストっていうの」
 ジャックはジョーカーを引かれずに、2枚のカードを足元の床に置かれる。ナスィルは”エゴイスト”という人間の存在を、この時にジャックによって教えて貰った。
 思い込みが激しいのが、後に致命傷になる彼の弱点だった。ナスィルは父親のタラルから、毎晩のように言われている言葉も思い出す。
(ナシュー。ナスィル。此の家の外には、お前を誘拐して悍ましい事をしようと企んでいる人間達が大勢居る。皆んなお前を狙っている。だから安全なこの部屋にずっと居なさい。父さんは警察官だ。この部屋はエゴイストが知らない部屋。お前を此処に隠して、エゴイスト達からずっと守ってるんだよ)
 父親の言う”エゴイスト”はよく分からなかったが、友が言った”エゴイスト”は理解出来た。
 ナスィルは強く思い込む。
 ーーエゴイストは悪い人間。許しちゃいけない、悪い人間。ーー

 実の息子をアッサリ捨てたジャックの両親と違い、タラルとビアンカは1人息子のナスィルを”ナシュー”という愛称を付ける程に深く愛していた。子供が欲しくて様々な努力を重ねた結果出来た念願の子供だったが、余りにも度を越して美しく産まれてきたので、タラルはビアンカに浮気を疑ってしまう程だった。
 ビアンカは勿論否定し、ナスィルの髪の毛を使ってDNA検査をして、タラルの子供だと証明した。極度の美人であるだけならまだしも、その美麗な顔には何故か強大な呪いも付いており、余りにも綺麗過ぎてジャック以外の存在は見ると呼吸が出来なくなる『生きた窒息兵器』と化していた。
 非常に厄介な能力が付いてしまっているが、それでも2人は念願の1人息子を目に入れても痛く無い程に溺愛していた。余りにも息子を愛していた故に、たった1人の息子がこの国の”自由”を盾にして非人道的な行動を平然とする人間達の犠牲になる事を、極度に恐れた。
 この国の歪んだ自由と、産まれた瞬間に医師と看護師と助産師を纏めて窒息させた美麗過ぎる顔を持つ1人息子。この2つに悩まされた結果、息子を洗脳して家に延々と閉じ込めるという歪んだ保護を、タラルとビアンカも行なっていた。
 もう1つ、2人は歪んだ保護を行なっていた。息子の幽閉以上に遥かに歪んでいて、越えてはいけないモノを越えて行なっていた保護だった。

 ババ抜きはナスィルの勝ちで終わった。ジャックが部屋の壁に掛けられている時計を見ると、針は午前4時20分を示している。
 大人よりも体力があるものの、2日連続の夜更かしは少し辛く感じた。2人共に、大きな欠伸をする。
 トランプを片付けてナスィルの玩具箱に戻してから、ボードゲームをベッドの下に置いたジャックは、側に落ちていた破れた紙袋の残骸を引っ張り出す。オレンジの香りがほんのりするナスィルの涙と鼻水も染み込んだ、美人のモノだがやはり汚いとしか言えない紙達をクチャクチャに丸めてパーカーのポケットに入れると、部屋の中央に置いている大きなロッキングチェアの座部に新しい紙袋が置いている事に気付いた。
 紙袋をジャックも遊びで被った事がある。頭に紙袋を被ると、息がし難くてとても苦しかった。出会った時にナスィルは紙袋を被っていた。今は千切れて丸められて己の服のポケットに入っている、オレンジ用の紙袋。
 ナスィルには顔に呪いが付いていて、ジャック以外の生き物が彼の顔を見ると呼吸が全く出来なくなると、彼に昨日教えて貰った。そのせいで親もロクに己の顔を見てくれないとも、彼は寂しそうに言った。
(ぼくは何とも無いけど、ぼく以外はナシューの顔を見ると窒息するらしい。だから何かに会う時に、ナシューは紙袋を頭に被る。自分の息が苦しくなる。そんな不自由な状態にならないといけないんだ)
 そう勘付いたジャックは、己の小さな胸が苦しくなった。
 ベッドに腰掛けて機嫌良く微笑みながら舟漕ぎをしている、何も被っていない今は自由に息が出来る友達に、ジャックは横に座ってから話し掛けた。
「ナシュー。自由って、人間の大人だけのモノじゃ無いよ。大人って凄く勘違いしてるよね?自由は、ぼく達子供も赤ちゃんも、ペットだって持ってる。植木鉢の植物も持ってる。皆んな皆んな持ってる。凄く自由に生きてる野生の生き物達みたいに」
 ナスィルは首を傾げた。ジャックは真顔で話を続ける。
「でも孤児院の先生は、人間は神様への信仰や法律や常識ってモノである程度不自由になるように縛っておかないと、自由の意味を勘違いしてロクでも無い事しか出来ない可哀想な生き物なんだよって言ってた。本当にそうなのかな?ナシューはどう思う?」
「孤児院の先生に会いたい」
 ナスィルも突然真顔になった。首の向きを戻してから、もう一度同じ言葉を友に伝える。
「ジャックが居た孤児院の先生に会いたい」
 今度はジャックが首を傾げた。ナスィルは壁を見つめる。窓が1枚も付いていない屋根裏部屋は、夏も冬も見ただけでは分からなかった。季節を感じるものはベッドに敷かれた布団が薄いか厚いか、気温が暑いか寒いか、そして母親の料理が夏に食べる物か冬に食べる物か。それくらいしか今の季節が何なのか判断出来るものが無かった。
 此の世に産まれて7年と数週間、毎日見続けていた景色に彼は初めて嫌悪感を抱いた。変わるのは寝具と母の料理と両親の服、玩具箱の玩具の数。時々父親が玩具箱に玩具以外のモノも入れてくるが、それ以外は何も変化が無いこの部屋を、彼は初めて”物凄く嫌な場所”だと思った。
 ナスィルは鶯色の目を激しく吊り上げる。決意をすると、思じ色の目をしている同じ誕生日で顔と髪の色と髪の掻き分け方以外は殆ど同じ背格好をしている”影武者”の少年に、己がした決意に対して確認をするように尋ねる。
「ジャック。此の家の外って、楽しい?」
「え?……うん!凄く楽しいよ!!町には色んなモノがあるよ!!自然も一杯あるよ!!」
「外の世界って……怖くない?」
 ナスィルは言ってから、口を強く結んだ。己の心の中に根付いている”親の教え”が、これからしたい己の行動を止めようと強い恐怖を与えてくる。
 ジャックは首を大きく横に振った。満面の笑顔になると、ナスィルに向かって自信満々に応えた。
「全然怖くないよ!ぼくの親みたいに自分勝手な人も多いけど、優しい人も一杯いる。ぼくの孤児院の先生達も、凄く優しい人達だよ。ぼく達、子供も皆んな!!」
 ジャックは直ぐに言葉を続ける。
「ナシュー、君も皆んなと一緒に遊ぼうよ!!」
「遊びたい」
 ナスィルの全身が震え出した。ジャックは少し身構える。だが彼は全く泣かなかった。両親が植えてきて己の中に根付いている”洗脳”という見えない植物の根を懸命に引っこ抜こうとする。
 ここから遠い未来、ジャックは再会したナスィルに「君は泣きながら、あの時ぼくに訴えた」と叱った。しかし記憶というものは、時が経てば経つに従って真実と全く違うモノに擦り変わっていく。
 当時の真実のナスィルは、一滴も涙を流していなかった。涙は流していなかったが、ジャックの手を強く掴んで訴えた。
「ジャック、お願いだ。俺を此処から出して!俺、外に出たい!!もうこんな所に独りぼっちで居たくない!!」

 ジャックは少し考えた。少し考えて、友の願いを叶えると決めた。
 ジャックもナスィルがとても好きだった。職歴に余計なモノが多々付いてしまっているが、世界中の犯罪者達を逮捕する国際警察官を目指している己なら、この可哀想な友達を守って幸せに出来ると自信に満ち溢れていた。
 明日起きる2人の運命には、ジャックもナスィルもこの時、微塵も勘付いていなかった。