Bounty Dog 【14Days】 77-78

77

 魚の亜人の背に乗って、ヒュウラは川を渡っていた。自然の水の流れに任せてゆっくりと泳ぐ白鮎族の青年は、水から顔を上げて時々クスクスと笑う。
 無表情で跨っているヒュウラは、首輪の背面に指を掛けたまま静止している。水に冷やされた風が身を震わせると、冷たい魚がのんびりとした口調で話し掛けてきた。
「ヒュウラくん。この川は人間の遊び場として凄く人気なんだよ。僕も人間達が遊びに来てくれるのは嬉しい。人間をいっぱい観察出来るし、忘れ物をしてくれると道具が貰えるから」
 ヒレが並んで付いた真っ白い腕を伸ばして、水掻き付きの指で斜め前を指差した。アウトドア用品に囲まれた人間の男女が、焚き火の側に座ってマグカップの縁に口を付けている。
 熱い飲み物が入っている容器から湯気が立ち上っている。笑いながら雑談をしている人間達の横に、石で固定した釣竿が2本立て掛けられていた。竿から糸が、川の水の中に向かって伸びている。
 魚の亜人は水から顔を出してクスクス笑いながらヒュウラに話し掛けた。
「楽しそうだねえ。焚き火の後ろにあるアレはテントっていうんだって。中に入ったら面白そうだから、忘れて行って欲しいなあ。でも、アレだけは好きじゃ無いんだ。人間達にとっては遊びでも、僕達にとっては命懸けなんだよお」
 魚が指で指し示している物体を、ヒュウラは見つめた。釣り糸が2本、お互いが絡んで萎んだ蜘蛛の巣のようになっている。
 魚の青年は、のんびりした口調で話した。
「僕の仲間達は、あの人間の道具に引っ掛かって死んじゃったんだ」

 ヒュウラは釣り糸を見ながら、首輪のボタンを指で押した。暫しの間水の跳ねる音だけが聞こえてから、良く知る人間の男の声が、首輪から響く。
『ヒュウラ。俺だ、デルタだ。ログハウスから其方に向かっている。直ぐに着く。ターゲットと近くで大人しく待っていろ』
「御意」
 一言だけ返事をして、ヒュウラはデルタとの通話を一方的に切った。魚の亜人が顔を上げて振り向いてくる。
 目は三日月形をしていた。嬉しそうに身体を揺らしながら、魚はヒュウラに尋ねてくる。
「人間を呼んだの?僕を捕まえるの?」
「捕まえる」
 ヒュウラは仏頂面のまま口だけを動かす。魚はニッコリ笑って即答した。
「うん、良いよー!君といっぱいお話ししたし。でも条件があるよ。人間に、僕を飼わないって約束して貰いたい。僕は自然の中でずっと生きていたいんだ」
 魚の亜人は顔を水の中に沈めた。水の底にあるモノを見て、口角を上げた。
 水中に、釣り糸が無数に張られている。絡まって蜘蛛の糸のような網状になった糸は、無差別に生き物の命を奪う凶器と化していた。身を切られて息絶えた動物や魚の死骸が腐って糸にへばり付いている。
 魚の亜人は人間が無意識に張りめぐらせた殺戮の罠を慣れたように避けると、顔を上げてヒュウラに笑顔を見せた。
 不気味な程に、朗らかに笑った。
「君のお友達を、僕も喜んで迎えるねえ」

 幅は狭いが水深が深い沢まで泳ぎ進んでから、魚の亜人はヒュウラを落葉樹が生い茂る岸に下ろした。片腕を背に回して無表情で水辺に立っているヒュウラに、魚は満面の笑顔を向ける。
 川の流れはとても早かった。岩に当たった水が白い泡に変わって、高速で彼方へと流れていく。
 ヒュウラの首輪からデルタの声が2、3度聞こえてきてから、対岸に人影が姿を現した。デルタ・コルクラート保護官とミト・ラグナル保護官が手を振って近付いてくると、水面から顔を出した魚の亜人は嬉しそうに笑った。
 魚の亜人の上半身に巻かれた象牙色のストールに、鮮やかな色をした小魚の人形に付いた”し”形の釣り針が食い込んでいる。人形から伸びる太い釣り糸は三つ折りになった太いアルミ製の竿と繋がっており、ハンドルのように三角形に折られた竿を、茶色い手袋を嵌めた手が握っていた。
 ヒュウラは罠を持つ右手を背に隠しながら、魚を無表情で眺めている。対岸の水辺に歩み寄ったミトはヒュウラを一瞥して安堵の溜息を小さく吐くと、川の中程で顔を水から出している、白い肌と白いロングヘアの髪に青い目をした眉目秀麗の亜人の青年に声を掛けた。
「私達は『世界生物保護連合』3班・亜人課の保護部隊です。Sランク『超希少種』、白鮎族。あなたは最重要保護対象の絶滅危惧種。種の保存の為に、これより保護します」
 魚の亜人は鳩尾まで水から身体を上げた。ミルクティー色のロングヘアをした、大きな茶目が特徴の人間の少女にニコニコ微笑む。
 ミトも微笑み返した。無表情のヒュウラが見つめる中、魚は口を大きく開けてミトに返事をした。
「分かりました。お願いするねえ」
 ミトは川に片足を沈めた。流れの速さに驚いて動きを止めるが、直ぐにもう片方の足も入水させる。ミリタリーブーツ越しに冷え切った清流が、足から体温を奪っていく。
 川の流れが非常に早い。ミトはバランスを崩さないように慎重に、徐々に身体を水の中に沈めながら前進した。太ももまで浸水した身体を動かして、魚の亜人との距離を更に近付けていくと、
 魚の亜人は50音字の1番初めを言ってから、両手を前方に伸ばして口を開いた。
 川の流れが非常に早かった。ミトは相手が何かを言っていると察知したが、激流が出す轟音が亜人の言葉を掻き消した。ミトは口の動きを見て言われている言葉を推測する。
(……すれも……ぶ……をつけ?)
 ミトは魚の亜人に声を掛けた。
「直ぐに其方に向かうわ」
 ヒュウラは仏頂面で対岸に静止している。魚の亜人は両手を上下に振った。ミトは前進する。小柄な少女の身体が臍の辺りまで水に浸かった地点で、大きく足を動かすと、
 ミトは水底を這う釣り糸に、脚を引っ掛けた。
 限界まで見開いた茶眼が、水面に釘付けになった。白い泡を吹き上げる激流が瞬く間に迫ってくる。
 視界が突然回転した。二の腕を掴まれたミトは、頬を水に浸けてから強制的に身を引かれて天を仰ぐ。足先に絡まった釣り糸が靴を切り裂いた。親指の爪が剥がれて血が吹き出す。
 ミトの腕を掴んで引き寄せたのは、上司のデルタだった。太腿まで川の水に浸かった状態で、負傷して悲鳴を上げる新人保護官の両肩を手で支えると、身を大きく捻って川から放り出す。
 ミトは岸に向かって宙を飛んだ。
 顔から飛び出そうになる眼球が、川と対岸に居る2種の亜人の姿を見る。川の中にいる魚の亜人は、穏やかな印象を与える青い目を見開いていた。
 瞳の中から優しさが消えていた。光の無い不気味に開いた目が、涙を微量流して少女を眺めている。岸の上に立っているヒュウラも普段と違う顔をしている。金と赤の目を見開いている青年の顔の表情は、無になっていなかった。
 驚愕しているヒュウラの右腕が僅かに動く。ミトは岸に身を叩きつけられるまでの刹那の間、上司の捻った足に釣り糸が絡まっている光景を見た。蛍光色をしたプラスチックの浮き具が、戯けた道化師のようにナイロンとフロロカーボンで出来た狂気にぶら下がっている。
 人間の遊具が、牙を剥き出して襲ってきた。激流が糸を締め付け出す。巻き込まれていた背負いのショットガンの銃身が鮮血の小雨を浴びると、二の足に巻き付いた殺戮の糸が、太腿へと徐々に上がっていく。
 魚の亜人は何かを口走った。土の上に仰向けに倒れたミトが直ぐに起き上がって聞き耳を立てる。が、激流が出す轟音で殆ど聞こえなかった。ミトは口の動きで言葉を推測する。
(彼、何を言ってるの?ぶ……れも……る。……かないで……死んじゃ……、
 死んじゃ?!)
 ミトの眼球が更に飛び出た。
 底を這う別の釣り糸に足を奪われた上司が、川に流された。
「リーダー!!」
「デルタ!!」
 ミトと同時にヒュウラが上司の名を叫んだ。金と赤の宝石になる目が限界まで見開かれている。背に隠していた釣り竿のハンドルを突き出した。ショットガンを突き刺して身体を支えているデルタに向かって動こうとする、魚の亜人をコントロールしようとハンドルを引っ張ろうとする。
 が、ストールにルアーが付いていない事に直ぐに勘付いた。
「ヒュウラくん」
 ヒュウラに振り返ってきた魚の亜人が、名を呼んでくる。水掻きの付いた手を頭上高く伸ばし上げると、
 握ったルアーを、左右に振った。
「コレ、何の真似え?」
 罠を勘付かれたヒュウラの目が、限界まで釣り上がる。
 魚の亜人は朗らかに笑う。握った小魚の人形に握力を加えると、ハンドルと人形を結んだ糸を引っ張った。

78
 
 ヒュウラは、脚に力を入れて地に踏ん張った。地面が強靭的な脚の力を受けて薄く割れる。
 表情は再び無くなっていた。両手で握ったハンドル型の釣り竿を引っ張る。結ばれた糸の先にいる魚の亜人は一点に向かって泳いでいく。顔は口の角を上げているが、目に光が宿っていない。
 冷淡な青い目は、泳ぐ先に居るモノを見つめていた。視線の先にいる銀縁の眼鏡を掛けた青髪の青年は、白銀のショットガンを支えにして激流に攫われないように必死の抵抗をしている。
 釣り糸が右腿に絡まっていた。狂気を纏った遊具が肉を切り裂こうと締め付けてくる。青い迷彩服のズボンから鮮血が滝のように溢れていた。デルタは歯を食いしばってヒュウラに指で「来るな」と指示をする。
 ヒュウラは返事をしないが、反応した。「御意」と首を縦に振って伝えてくる。三角形の釣り竿を掴む手の力を強めた。
 ーー水が冷たいのか?分からない。悪寒がする。足の感覚が殆どしない。ーー
 麻痺していく痛覚が、人間の青年の脳内で芽生えている死の恐怖を増大させる。ショットガンが大きく揺れた。流れてきた石が何度も命綱にぶつかる。自然が狂気の手助けをした。巨大な石が転がってきて、白銀の長銃を川底から剥がした。
 デルタはショットガンを掴んだまま足を水中に放り投げられた。右の太腿に絡まった釣り糸が、獲物を逃さまいと捕まえる。
 足が糸に引っ張られて、デルタは泳ぐ事が出来ない。後ろ手にショットガンの銃身を川底に突き刺して、銃で身を支えながら再び立ち上がった。足の皮が糸で裂けて、入浴剤を浴槽に溶かした時のように大量の血が川水に散布される。
 命綱の銃を握る手が、温もりと感覚を冷水に容赦無く奪われていった。デルタはショットガンに寄りかかりながら、岸にいるミトに視線を向けた。つま先から血を流した新人保護官は、釣り糸を切る刃物を必死に装備を脱いで探している。
 頭に刃物が思い浮かんだ。が、デルタは直ぐに被りを振る。ヒュウラの巨斧は谷川の中程にあるログハウスの近くの木の根元に、袋に柄を入れた状態で置き去りにしていた。周囲にミトとヒュウラと魚の亜人以外の人影は、見当たらなかった。
 足が裂けていく。静脈から動脈を切り刻もうと釣り糸が締め付けてくる。ショットガンを握る手が、力を失っていく。
 ヒュウラに視線を向ける。ハンドルを引っ張って何かに抵抗している様子が見えた。デルタの足から出る血の色が変わった。黒を含んだ赤から、朱に近い鮮やか赤に変わった時、
 デルタの足に、モノがぶつかった。
 顔を伏せたデルタの目が、己の足に引っ掛かった物体に釘付けになった。ヒレが並んで付いた白鮎族の水膨れして腐った腕が、釣り糸を絡ませた水掻き付きの指を握手したそうに広げている。
 腕に生えているヒレはとても鋭利だった。足に絡まる狂気の糸に当たって数本を切り離すと、
 残りの糸は、生きた同種の腕が切った。
 白鮎族の青年は、腕に並んだナイフのようなヒレを手早く振ってデルタの足を釣り糸から解放した。上半身に巻いている象牙色のストールに、小魚のルアーが外れないように装着されている。
 魚の亜人は大きく口を開いてデルタに言った。刃物を探す手を止めて状況を見ていたミトにも、激流が放つ轟音で掻き消された言葉が、口の動きでハッキリと分かった。
「動かないで!直ぐに助ける!!」
 魚はデルタの足から細かい釣り糸を解き取ると、胴に手を回して抱えた。尾鰭を大きく振って背後に向かって泳ぎ出す。
 激流に逆らう魚の亜人は、意識が朦朧としているデルタの頬を叩いて気を失わせないようにしながら、ヒュウラに向かって顔を向ける。温和を失った青い目は大きく見開かれて釣り上がっていた。
 勇者は友に向かって叫んだ。
「ヒュウラくん、僕を引っ張って!!」
「御意」
 金と赤の目を釣り上げて、ヒュウラは返事をする。三角形のハンドルを掴んだ腕を勢い良く引っ張った。太いフロロカーボンの糸に引っ張られたストールは、裂けそうになりながらも身に付けるモノの身体を連行する。
 デルタを抱えた魚はヒュウラの補助を受けながら、激流を逆走する。魚の亜人はデルタに足を浮かせるよう指示をした。川底を這う釣り糸の罠を回避する高さまで足を浮かせると、太い血の帯が太腿から噴き出て伸びていく。
 岸まで泳いでいくと、魚は歩み寄ってきたミトにデルタを手渡してから、水中に姿を消した。
 ミトは衰弱している水濡れの上司を抱えながら、激流の川を眺めた。ヒレが並んで付いた腕が水面から伸び出ると、デルタのショットガンを持ち上げて岸まで届けてくれた。
 ミトはお礼を言おうと口を開きかける。魚は人間達を無視して踵を返すと、再び水中に潜って姿を消した。ヒュウラは魚を釣ったまま、川辺に沿って駆け出した。川から伸びる糸の先にいる恩人は、川の中を泳いでいった。
 ヒュウラと糸は、瞬く間に見えなくなった。

 落葉樹の根元に座らされたデルタは、俯いていた顔を上げた。気付薬として飲まされた私物のウイスキーで、朦朧とした意識が徐々にハッキリしてくる。
 眼前に新人保護官の少女が居た。半泣きになったミトが救急箱を抱えながら自分を役職名で繰り返し呼んでくる。眩しいものを見るように細まった青い目が眼鏡のレンズ越しにミトを見返すと、ミトは小動物のように飛び上がって声を上げた。
「リーダー!!良かった!気付かれた!!動かないでください、衛生員を呼んでいます」
 デルタは自身の足を見た。右の太腿に添え木が差し込まれて包帯が巻かれていた。出血が酷いらしく、包帯が血塗れになって疎らな赤に染められている。
 止血に使ったらしい大判のタオルが数枚、水草の上に丸まって散乱していた。デルタが自然を押し潰している人が作った道具を見つめていると、ミトが声を掛けてきた。
「リーダー。ヒュウラとターゲットは、情報部と現場部隊の保護官達が捜索しています」
 デルタはミトに、50音字の最初のものを2つ繋げた言葉で短く返事をしてから、ミトの足元に視線を移した。
 ミトは片足の靴を脱いで、素足に包帯を巻いて座っていた。親指に巻かれた部分の包帯に、赤黒い大きな水玉模様が描かれている。
 デルタは目線を上げてミトの顔を見た。ズレている眼鏡の位置を指で調整してから、口を開く。
「ラグナル保護官。君は動けるか?」
 ミトは驚愕したように目を見開いて、デルタを役職名で呼んだ。デルタは険しい顔をしてミトに短い指示をすると、ミトは脱いでいた靴を履いて立ち上がった。水草を潰して置き倒していたドラム型の弾倉が付いたサブマシンガンを掴んで拾い上げると、一点を見る。意を決して銃を構えると、川辺に沿って走り出した。

 置き去りにされたデルタは、ポケットから通信機を取り出して耳に当てる。水濡れの通信機は壊れ掛けの機械が出すノイズ音を響かせてから部下の保護官を呼び出すと、デルタは血塗れのタオルを一瞥してから口を開いた。
「こちらコルクラート。ラグナル保護官がヒュウラとターゲットの保護に向かう。君達は至急、別の任務を頼む。他の保護官にも伝えてくれないか?
 任務が終わるまで、ラグナル保護官以外の全員で川の掃除をしてくれ。任務後は、速やかにこの国にも掃除をするよう要請を行う。この川の中には、至る所に釣り糸が絡まって沈んでいる。川の生態系を破壊している、危険極まりない人間の忘れ物だ。”彼”が私に教えてくれた」

 河川の上流に、ヒュウラと白鮎族の青年は移動していた。水辺に沿って歩くヒュウラに、魚の亜人はゆっくりと泳ぎながら、水面から顔を出してニッコリと微笑む。
 象牙色のストールに付いたルアーと糸で結ばれた、三角形に折れた釣り竿をヒュウラは無表情で握っている。魚はヒュウラに向けている温和な印象を与える青い目を三日月形にすると、のんびりと話し掛けた。
「この辺りで大丈夫。此処は怖い忘れ物が無いよお」
 ヒュウラは足を止めて魚に振り向く。仏頂面をした狼の亜人の、機械のような無感情の金と赤の目を見つめながら、魚は申し訳無さそうに眉をハの字に寄せて謝罪した。
「ごめんなさい、僕の不注意で君の大切な友達を死なせてしまう所だった。ヒュウラくん、サポートしてくれてありがとお。凄く斬新な道具の使い方をするね。君、本当に面白いねえ」
 ヒュウラは返事も反応もしない。無感情の目で水面から出ている魚の亜人の顔を見つめながら、口だけを動かして言った。
「お前と彼処」
 魚は笑いながら即答する。
「うん、そうだよー。あの人間のお家で、僕は飼われていたけど嫌だから逃げた。そうしたらね、人間は勝手にあのお家から居なくなっちゃったんだよ。ずっと話し合いをしたいと思って待っているけど、ずっと帰ってこない」
 心から愛している何かを見るような眼差しをして天を仰いでから、魚は再びヒュウラを見て微笑んだ。可笑しそうにクスクス笑ってから、水掻き付きの手でストールに引っかかったルアーを触りながら、のんびりと口を開いた。
「疑いが晴れて良かったあ。この辺りで良いよ。此処も流れが早いから、僕が其方に行くまで引っ張ってくれると嬉しいなあ」
「御意」
 返事して、ヒュウラはハンドルを引っ張った。釣り糸を竿に巻き付けながら、ゆっくりと泳ぐ魚の亜人を引き寄せていく。
 大股で立ちながら支援をしているヒュウラの背後に、土道が一本通っていた。人間が慣らした狭い道を、釣具を担いだ人間達が横並びに歩いてくる。
 端を歩いている人間は、道の幅から飛び出ている場所を水草を踏み潰しながら進んでいる。楽しそうに談笑しながらヒュウラに近付いてくる歳の若い人間達は、時々ふざけ合いながらお互いの身体を小突いていた。
 ヒュウラは、接近者達を無視して、魚の亜人のサポートに徹する。三角形の釣り竿のハンドルに十分な量の糸を巻き付けてから、岸に近付いてきた魚を引っ張り上げる為に腕を大きく引くと、
 背を何かに突然、突き飛ばされた。
 ヒュウラは目を限界まで見開きながらバランスを崩す。岸から足が離れて宙に身を投げると、前のめりに川に落ちた。
 魚の亜人が、水中から胴を飛び出させた。呆然と岸を凝視すると、視線の先に、居る筈の生き物では無い別の生き物達が居た。
 釣具を担いだ若い人間の男が、岸の縁を指で掴んで横倒しになっている。直ぐに起き上がると、歩み寄ってきた別の若い男に向かって、睨み目をしながら怒鳴り上げた。
「テメエ!いきなり突き飛ばすなよ!!この川、流れが凄え早いんだぞ!殺す気かよ!!」
「ははは、それも良いかもな!お前いつも調子に乗ってるから、そろそろ抹殺しないと」
「ふざけていても絶対に言うなよ!そう言うことはよおお!!」
 憤怒する男を、別の男がケラケラ笑いながら宥めている。釣り仲間らしき他の人間達が寄り集まってくると、羽交い締めにされた男が拳を振り回しながら喚き出した。
「絶交だ!テメエとは絶交だ!!」
「はーい、はいはい。絶交だな、了解ー。もうさー、この程度で怒るなよ。帰りに晩飯、奢ってやるからさ。行こうぜー」
 ケラケラ笑いながら男が道なりに歩き出すと、仲間の人間達が後を付けていく。罵声を上げながら運ばれていく男がしんがりになって歩いて行く群の姿が見えなくなると、
 白鮎族の青年は我に帰った。ストールから伸びている釣り糸を目で辿ると、糸の先はストールを強く引っ張りながら水中に沈んでいる。
 水掻き付きの手が糸を握って手繰り寄せる。皮膚を切り裂いて手から淡いピンク色の血が吹き出すと、糸が突然緩くなった。
 釣り竿のハンドルが、水面に浮かび上がってきた。
 魚の亜人は悲鳴を上げる。仕切りに被りを振ってパニックに陥りながら、大声で友の名を叫んだ。
「ヒュウラくん!ヒュウラくーん!!」