Bounty Dog 【14Days】 21-23

21

 何も履いていない白い足でペタペタ地面を踏んで歩いていく子供に掴まれてる手が、握力が掛かっていて少し痛い。黒いダボダボのローブの裾が引き摺られているので、足を取られて転倒しないよう、相手も転倒しないよう出来るだけの距離を取って慎重に跡を付いて行く。
 程なく道の途中で停止した子供が左に90度身体の向きを変えると、視線を動かしたカイは、巨大な口を開けている土壁の一角に彫られた洞窟を見つける。自然に出来たのか人工的に作られたのかは地元の人間達も分からないくらい遥か昔からある謎の場所だが、地元の人間達は皆利用する有名な通路であり、湿気を含んだ涼しい風が、中から時々吹いてきた。
 目に掛かった刺繍付きのフードを摘み上げて、子供は嬉しそうに微笑む。
「此処はなかなか良いね。沢山”居”そう」
「この洞窟はなー、奥の林にある沼に続いてんだ。沼に行くのか?魚も花も、勝手に捕っちゃ駄目なんだぞ」
「んー?」
 カイは、特に物珍しくも無い馴染みの道を説明する。子供は上の空で軽い返事をしてきたが、構わず話を続けた。
「国際法?っていうのが出来たんだ。人間以外の生き物は絶滅しそうになってるから、大人達が保護してるんだってさ。オレ、原子操作術以外はサッパリよく分からねえけど、確かに動物、あんまり見ねえなーって」
「……ふーん。早く中に入ろうよ、カイ」
 仏頂面になった相手が、繋いでいる手を勢いよく引っ張ってくる。崩れ掛けたバランスを慌てて整えたカイは不思議そうに首を傾げると、洞窟の内部に侵入した。

22

 土に覆われた穴の気温は、肌寒い程に低い。先にある林と沼から流れてくる湿度の高い空気が身体に纏わり付いて、見えない手で抱えられているような圧迫を感じる。
 ローブの裾を引き摺りながら歩いていた子供は、道の中程で急に立ち止まる。握っていたカイの手を離して振り返ってくると、フードに覆われていない赤い大きな目を三日月形にして微笑んだ。
「この辺で良いや。じゃあカイ、ボクの隣に来てー」
「いや、待て、待て、折角だ。その前にオレの実験をしたいから、ちょっとだけ待ってろ」
 カイは履いているショートパンツのポケットからビニール袋を取り出す。口を開いてから両手の全ての指で端を摘むと、空中でブンブン上下に振り始めた。
 空気を詰めた袋の中に鼻を突っ込む。黒ローブの子供は、様子を見ながら不思議そうに首を傾げた。
「何してるの?」
「此処にいる原子の分析だ!……ううううーん、凄え泥臭え。マグネシウムは絶対入ってるな。それと酸素とーー」
「……人間は、”見えない”からね。そんな難しい事をしなくても良いよ。原子操作術って、凄く簡単だよ」
 その場にあった岩に腰掛けて、裸の両足を上げて宙でバタ足をする。袋から顔を離したカイは暫く洞窟の天井を見上げると、物思いに耽てから眉根を寄せて反論した。
「何言ってんだ、原子操作術は凄え難しいんだぞ!原子の研究をしている兄貴も、世の中のものと同じように簡単じゃ無いって言ってたぞ」
「違うよ、凄く簡単だよー。世界だって何でも単純。原子は本当に単純だよ、手繋ぎはするけど混ざらない」
 振っていた足の裏を地に付けると、子供はニッコリ微笑んでから辺りに視線を泳がせる。首を円を描くように大きく動かしてから正面を見ると、自信満々に前の4本が少し長い白い歯を見せて笑った。
「此処には大きな原子が5種類居るね。1番多いのは”水”かな?でもボクは”炎”が好き。見てて」
 袖を捲って軽く持ち上げた右手を、人差し指以外を曲げて「1」を示す形にする。岩に座ったまま、カイとの間にある一点を凝視すると、
 瞳孔の濁った赤い目が、より鮮やかな紅色に染まった。
「原子の刺激は、一度に5個」
 伸ばした人差し指が、空気を軽く叩く。
「5秒以内に術式を書いて」
 指を素早く動かし、空気の上に一筆書きの文字を書くと、
「2秒以内に、指で弾く」
 書いた文字の上を、人差し指と親指で勢い良く弾いた。
 指先の空気が、赤く光り出す。手を素早く引いた子供は  
その手でカイの頭を押さえつけると、しゃがんだ少年達の頭上で、空気が炎の塊に変化した。
 爆発した熱と光が、轟音と衝撃波を四方に散らす。長い尾を持つ獣のような火の弾が土壁にぶつかって無数の火花を散らすと、黒い煙と共にモノが焦げる臭いと熱気が、穴の中を覆う。暫くすると全てが徐々に薄くなり、やがて平穏な空間に戻った。
「炎は小さくて数が少ないけど、此処はもっと居ないからこの程度の『活性』。でも、此処の原子達の性格もあるね。とても素直で、大人しい」
 目を見開いたカイは鼻をひくつかせる。僅かに漂う土の焼ける臭いを捉えると、勢い良く立ち上がって子供の両肩を掴みながら飛び上がった。
「うわあああ!!爆炎空撃”レフア・スーバト”だあああ!!」
 輝きを纏った紫の瞳からの視線が、子供の赤い目に注がれる。ポカンとしている相手を揺すりながらますます興奮するカイが叫んだので、子供は両手でフード越しに頭を抱えた。
「空気から出したああ!!凄えええええ!!お前、格好良えええ!!なあなあ、氷結天襲”リフレーズ・ロア”も出来る?見たい!オレに見せて!見せてくれええええ!!」
 その場で跳ね続けるカイに巻き込まれて、子供もジャンプを数十回する。相手の興奮が漸く収まって静止した事に合わせて掴まれていた手を退けると、目尻と眉を若干釣り上げた。
「……その名前、何?カイ」
「ん!原子が活性した時の反応は格好良い!で、格好良いものには格好良い名前があるべきだと思って、オレが名付けた!!格好良いだろ、必殺技みたいで!!」
 目を輝かせながら、カイは右手の人差し指を天に伸ばして大きく何度も振り始める。靴が地を踏み鳴らす音と手が風を切る音が洞窟に絶え間無く響き出すと、
 フードの端を少し持ち上げた子供は、満面の笑顔をしながら口を開いた。
「カイ。ダサいからソレ却下ね!」

23

 物が焼ける臭いも完全に消えて元通りになった洞窟の中で、カイと黒ローブの子供は岩を背もたれ代わりにして、横並びになって座る。興奮の止まないカイは両手に掴んで膝の上で開いている本を見つめると、ページを捲りながら術式の図に次々とペンでペケマークを付けていく。
 2つの図をマルで囲ってから、文房具を鞄に戻して子供の顔を凝視する。閉じた本を胸に抱えながら尊敬の眼差しを送る少年に、銀色の前髪を指で弄っていた子供は小首を傾げた。
 カイは頬を赤く染めて話し掛ける。
「いやー、お前は原子操作術士だったんだな!子供だから大人に認められていないのか?でも兄貴や研究者のおっさん達より遥かに凄えし格好良いや!!」
「ボク、格好良い?」
「スーパーハイパーウルトラスペシャルワンダフル、ビューティフル、格好良い!!」
 カイは親指を立てる。
「なんか強そう。うわーい!ボク、凄ーい格好良い!!」
 万歳ポーズをした子供に合わせて、カイも同じ動きをして喜びを分かち合う。暫く騒いでいた2人はケラケラ笑いながらお互いの顔を見合うと、子供は直ぐにカイから視線を離して洞窟の奥を眺めた。
「カイ。原子はね、1つ1つ、みんな心があるんだよ」
 遠くを見るような目をして呟いた子供に、カイは自信満々に鼻を鳴らして応える。
「意思だろ?知ってるぞ、だから術式で呼び掛けるんだ」
「術式は命令じゃないよ。して欲しいお願い事を、原子が読めるように原子の字で書いてあげるの」
 袖を捲って人差し指を伸ばすと、空中に浮かぶ見えないボタンを押すように、軽く動かしては叩く動作をする。赤い目が澄んだ水色に変わって、直ぐに元の色に戻るとカイに向かってニッコリと微笑んだ。 
「お願いを無視する原子だっていて、5個の原子に一度にお願いすると、3、4個の原子が答えてくれるんだ。水の原子は大抵の場所で何処にでも一杯居て、他よりも凄く大きいし無視も少ないから、見えないカイでも扱いやすいかもね」
 カイは、また怪訝な顔をした。子供が話し続ける。
「術式は、これだよ」
 地面に薄く敷かれている土に、白く小さな指が文字を書く。ミミズが這い進んだような模様のような文字に、カイはそれをじっくりと観察してから、手に持っている本の1ページを開いた。
 図形の上に、大きなペケマーク。
「水の元素記号はH2O。本のH2Oの術式と全く違うな」
「ビックリするくらいデタラメだよ!お願いだって1つだけしか出来ない訳じゃ無いし。この術式で活性化した原子にして貰う『反応』は凄く便利だよ。応用すれば、他の原子の反応より色々な事が出来るよ」
 子供が被っている頭のフードが左右に引っ張られて、縮む。フードの左側の隙間から黒いバンダナのような布の端と数珠のような飾りの端が落ちてきて顎の横で揺れ動くと、再び微笑んだ子供はカイを指差した。
「じゃあカイ。『刺激』してみて」
「おう!じゃあ、実験を開始するぜ!!よーし、よーし先ずはこの辺を……!!」
 鼻息を吹き出しながら、カイは本と鞄を足元に置いて仁王立ちをする。右腕を勢い良く前に伸ばし、人差し指で空気を一回叩くと、
 背後から現れた大きな影に、肩を掴まれて弾かれた。
「邪魔だ餓鬼!!さっさと来い、置いていくぞ!!」
「待ってください!待ってってば!!」
 横に半回転して静止して振り返る前に、影は洞窟の奥へと走り過ぎてしまう。更に現れたもう1つの影は背中だけであるが、灰色の作業着を着た痩せ気味の大人の男だと確認する。
 大きな網を肩に担いでいる。カイは通り過ぎていった謎の大人達に懸念を抱いたが、直ぐに何事も無かったように人差し指を前に伸ばした。
「何だ、あいつら?……まあ良いや。おーしよーし見てろよ!オレも格好良い原子の反応、出しちゃうぜ!!」