Bounty Dog 【14Days】 14-15

14
 
 狩人の手から剥がされた巨大な斧が、空高く舞い上がる。回転しながら昇っていく武器を一瞥したヒュウラは、驚愕して硬直しているリカルドの腕を掴むと、軽やかに身を乗り上げる。
 腕の上から肩に向かって走り、ミトを離して拘束しようと振られた左手を飛び越える。鎧を着た胴に向かって跳ねたヒュウラは左胸に付いた壊れたスイッチの割れ目に草刈り鎌を突き立てると、短い持ち手を踏み台にして跳ね上がってから、更にリカルドの頭を踏み付ける。
 頭上より遥か天へと飛ぶ亜人に、焦燥する狩人が腕を伸ばすが届かない。回転が緩まって落下し始めた斧の柄を細い両の手が捕らえると、ヒュウラは掴んだ武器を真下に向かって振り下ろした。

 宙から地へ高速で落下する刃が放った斬撃は、空気を二分して、狩人の鼻の先に小さな縦の切り傷を付ける。眼前で振られた斧にショックを受けてリカルドが白目になって気絶すると、仰向けに倒れて沈黙した脅威を眺めているヒュウラに、ミトが歩み寄ってくる。
 無表情で巨大な斧を掲げているヒュウラの姿に、ミトは様々な気持ちが胸の中で渦巻く。幾多の同族を葬った処刑道具から目を離したヒュウラは、遠くから様子を見ている村人に視線を移すと、
 手に持つ巨大な刃に、密猟者達の怯えた顔が写し出された。

 広場を囲む老若男女の全てが、無敵となった亜人に恐怖する。巨万の富となる宝石の目が感情を表さずに写したその内の1人は、震える手で掴んでいた首斬り道具を指から滑り落とすと、声を張り上げて沈黙を破った。
「リカルドさんがやられた!こ、殺される」
「皆んな早く逃げろ、今直ぐ逃げろ復讐されるぞおおおおお!!」
 倒れた巨漢の介抱をする者は居ない。黄色い悲鳴を上げながら我先にと逃亡する村人達に、一歩も追う素振りを見せないヒュウラは様子を眺めている。
 勝手にパニックを起こしている人間達に向けられたその顔に、感情は一切現れていない。傷だらけの身を摩りながらミトが傍まで歩いてくると、弾倉の中が軽くなった手の中の銃を一瞥してから、自らの姿が写っている斧の刃と、その武器を持つ者の顔を見た。
「ヒュウラ」
「ミト、済んだ」
 無表情のまま振り向いてきたヒュウラは掴んでいる巨大斧の柄に巻き付いた布を緩めると、紐のように肩に掛けて、武器を背に担ぐ。
 頭から足まで刃に背を守られる格好になったヒュウラは、群衆を無視して歩き出す。初めて名前を呼んで貰ったミトが微笑みながら付いていくと、何気なく見上げた空は水平線上に金色の光の線が描かれており、燃えるように赤い太陽が東の地から顔を出していた。
 ーー理不尽な夜は、終わった。
「うん。早く此処を出よう」

「ヒュウラ、やっぱり山に戻るしか無いわ。でも無線機がないから仲間に連絡が出来ない。……どうしようか」
 弾数の少ない銃を心配しながら、広場を抜けて路地を歩いているミトに、先導していたヒュウラは急に立ち止まると、踵を返して彼女の脇を通り過ぎる。山と反対方向に歩いていくヒュウラを不思議に思いながら追いかけていくと、やがて封鎖された麓への出口に辿り着いた。
 ーー厚い鉄の扉は、担いでいる斧でも斬り壊す事は出来ないだろう。ーー仏頂面で延々と眺め続けるヒュウラに、傍に近付いたミトは、取り敢えず右腕に付いた鎖の垂れる手錠を鍵を使って外してやる。自分に付いた左腕の手錠も外して2枚の拘束具をポケットの中に納めると、
 扉の奥から、人の騒めき声が聞こえてきた。

 銃を握りしめたミトの額に汗が伝う。微動だにしないヒュウラの横で警戒心を強めると、サブマシンガンの安全器を”連発(フルオート)”にして照星を覗く。聞こえてくる人間の声は複数で、落ち着いた若い男の声が一言発すると、爆発音と共に扉が大きく揺れ動く。
 充満する黒い煙と火薬の臭いに、無意識に左手を横に伸ばして庇うポーズを取ったミトの後ろで、ヒュウラは金と赤の目を僅かに見開く。再び轟いた爆発音で厚い鉄の扉が倒れてくると、
 後方に避けた2人の前に、迷彩服と鎧を着た人間達が姿を表した。
 最前にいる銀縁の眼鏡を掛けた青髪の男がミトの顔を見て安堵の表情を浮かべると、横に立つヒュウラを凝視する。人間と違う特殊な目の色をした彼に、正体を理解した男は手で眼鏡の位置を調整すると、銃を下ろしたミトは歓喜に満ちた顔で上司に話し掛けた。
「リーダー!来てくれていたんですね!!」
「ラグナル保護官、救助が出来ず申し訳なかった。扉を開けるのに随分と手間取ってしまった。素晴らしい、ターゲットを見事に守ってくれたんだな」
 賞賛を受けたミトは首を横に振ってから、ヒュウラを横目で見る。無表情のまま腕を組んでいる保護対象の姿に、はにかんだ笑みをしてから上司の顔を真っ直ぐに見ると、誇らしげな表情を浮かべながら口を開いた。
「いいえ。私が彼に救われました」

 青髪の青年は、ヒュウラを再び見つめる。手に掴んでいる白銀のショットガンを下ろして青い瞳に保護対象の姿を写すと、穏やかな顔と声で語りかける。
「君がターゲット、獣犬族か。私は絶滅危惧種の保護組織『世界生物保護連合』3班・亜人課班長のデルタ・コルクラート。ミトの上司だ」
 右腕を差し出して求めた握手に、ヒュウラは返事も反応も対応もしない。感情が分からない仏頂面をする亜人にデルタは小さな溜息を吐くと、緩めていた顔付きが引き締まって真顔になった。
「さて」
 ショットガンの銃口をヒュウラに向け、前床(フォアエンド)を前後させて胸部に狙いを定める。後方にいるミトとほぼ同じ格好をした隊員達が鉄製の網を構えると、片手を数秒上げて静止を指示したデルタは、銃口の上に付いた小さな照星越しに標的に睨み目を向けた。
「悪いが、護送が終わるまで乱暴するが辛抱して貰う。撃つのは麻酔弾だ。決して傷付けないが、念の為に」
「リーダー、捕獲はやめて!!」
 ヒュウラの眼前に飛び込んできたミトは、両手を伸ばして庇うポーズを取る。右手からサブマシンガンを手放して紐伝いに背中に回し垂らすと、ヒュウラに笑みを見せてから、銃口を向けてくるデルタに真顔で訴えた。
「保護されるかを彼に決めさせてください!ヒュウラ、あなたに決めて欲しい!私達”人間”に、どうして欲しいかを!!」
 ヒュウラは腕を組んだまま、何の反応も起こさない。真剣に見つめてくる部下を前にして、少々の驚きを見せたデルタは照星から顔を上げなかったが、
 数分の時が経ってから、顔を上げてショットガンの狙いを外す。片手を上げてから後方に振って隊員達を退かせると、ミトの肩を掴んで背後に引き寄せた。
 デルタは、ヒュウラに歩み寄って口を開く。
「事情はラグナル保護官から無線機で聞いている。今回の村の事については我々の痛恨のミスだ。だが元々君には密猟者が多く、これからもこの山にいるのは非常に危険である事は変わらない。頼む、保護させてくれ。君は絶対に死なせてはいけない”絶滅危惧種”なんだ」
「ヒュウラ」
 デルタの背後から、ミトは心配そうに顔を覗かせる。銃をミトに預けた保護部隊の隊長は、両腕を軽く広げて迎えるように掲げながら、保護種に真っ直ぐな眼差しを向けてくる。
 組んだ腕を緩めずに2人を見ていたヒュウラの目が、若干釣り上がる。金と赤の瞳を閉じて考察しているような素振りを見せる希少種に、保護官達が緊張しながら様子を見守っていると、
 ゆっくりと瞼を開けた彼は、一言だけの返事をした。
「寄越せ」

15

「了解しました。では、最終護送までの見送りはお任せします。……彼の事も」
 ミト・ラグナルは無線機で連絡を終えると、付きっぱなしになっている支部の自室に置かれたテレビの画面を眺める。正面を向いて言葉を発しているスーツ姿のキャスターは、世界中で起きている”人間”に関する情報を真顔で淡々と伝えており、今は数日前から話題になっている無差別連続爆破テロ事件の速報が報道されている。
 手に掴んだリモコンでテレビの電源を消して、ミトは部屋にある物を見渡す。壁に立てかけられていた巨大な斧は姿を消しており、その武器の持ち主である、自分が保護した亜人の青年も部屋から居なくなっていた。
 散らかったスナック菓子の袋を1つ手に取ると、開封して油で揚げた炭水化物と砂糖の塊を1つ頬張る。好物を満喫しながら、胸ポケットから青いバンダナとパイロット用ゴーグルを取り出して額に装着すると、布団の上に乗っているサブマシンガンを肩に担ぎ、菓子袋を床に置いてから部屋を出た。
 ーーヒュウラの保護任務から4日。彼は現在、特例的にこの保護組織で、私達部隊の任務の手伝いをしてくれている。
 彼が何故か気に入っているテレビを私の部屋に設置しているが、観させる番組はニュースか情報系のみにしている。観ている時に何の反応もしないので本人が内容を理解しているのかは全然分からないが、待機中はほぼ必ず観ているので、番組を絞ったのは的確な判断だと確信する。
 そして……あの武器、『リカルドの巨斧』と私がこっそりと名付けた……あの武器も今はヒュウラの愛用品だ。名の由来は本来の持ち主の名前であるが、あのデカ男がその後どうなったかは知らないし、改めて調査をした結果、あの山に居た生き残りの『獣犬族』はヒュウラだけだったから、あいつの”生業”が廃業になった事は確実だろう。
 その首斬り斧を背負って、ヒュウラは今、昨日保護した『兎耳族』の2人の最終護送を援助する任務に就いている。彼の首に取り付けている発信機は特注品だ。位置情報と無線機能のほか、体温、血圧数、心拍数、その他計測機能が付属しているが、あの形にした一番の理由は、密猟者に彼の首が斬り落とされないようにする為。
 そんな彼を今、私の上司のデルタ・コルクラート保護官が護衛してくれている。ーー

「此処を真っ直ぐ行ったら輸送機がある。君達はAランクで100体ほど種が存命しているから、生涯監視付きになるが、故郷に戻そう。家族も帰りを待っている筈だ」
 暁に染まる野道で、連れ添っていた茶色い兎の耳を生やす少年と少女に、デルタは微笑をしながら伝える。喜びの声と両手を上げて勢い良く走り出した幼い少女を追って、少年も駆け出そうとする。
 直ぐに踵を返してゆっくりと歩き出した少年は、デルタの横に居る、金色の機械の首輪を付けた茶髪の青年の前で止まる。巨大な斧を担いで腕を組んだ状態で立っているヒュウラに、少年は微笑みながら声を掛けた。
「ヒュウラさん、お礼がずっと言えてなかった。助けてくれて、ありがとうございました」
 片手を伸ばして握手を求めた少年に、ヒュウラは無表情のまま返事も反応もしない。苦笑いしたデルタが少年の前に腕を引っ張り上げて無理矢理に握手をさせると、少年は可笑しそうにクスクス声を出しながら笑った。

 護送が無事に始められた知らせを受けて、デルタは短い返事と指示をして無線機の通信を切る。遠くからプロペラが風を切る音が聞こえてくると、支部の屋上で横並びになったデルタとヒュウラは、ベンチに座りながら金網越しに丘の景色を眺めている。
 海苔が貼り付いた丸い煎餅を齧っているヒュウラを見ながら、デルタは胸ポケットからウイスキーの小さな瓶を出す。飲みかけの酒のボトルを暫く眺めてから直ぐに服の中に仕舞うと、四方を覆う金網越しに外の景色に注目した。
 地平線が紅く染まる夕闇の空に小さく、飛行機の影が見える。小さな溜息を吐いてから手で眼鏡の位置を調整し、デルタはヒュウラの肩を叩いて振り向かせる。名を呼んでから暫く沈黙すると、無表情で顔を見てくる亜人の青年に憐れみの目を向けた。
「すまん、すまんとしか言えない。お前を帰せる安全な場所は、我々には未だ用意出来ないんだ」
「いらない」
 ヒュウラは仏頂面でデルタを見つめる。手に持っている欠けた煎餅を食べ切ってから、空になった菓子袋を振って空気を入れて膨らませると、両手で押し潰して暫く即席の玩具を眺めてから、再び顔を向けた。
「此処が良い」
「……そうか」
 感情が読み取れない金と赤の宝石の目に写されたデルタは安堵の表情を浮かべると、瞬時に真顔に変えてポケットから無線機を取り出す。手の中で激しく振動する通信機器のボタンを押して素早く耳に当てると、機械の奥から聞こえてくる女の声に応答した。
「こちら、コルクラート。……ふむ、ふむ、了解した。無論当部隊で行う。任務は今夜に……切り札(カード)は……」
 ヒュウラを見る。無表情で見つめてくる相手に、直ぐに視線を外して通話を続けた。
「使う。ランクはBで処理してくれ」
 無線機を切ったデルタは、ベンチから腰を上げてヒュウラの手から煎餅の空袋を掴み取り、近くに置かれているゴミ箱に捨てる。眉間に皺を寄せた絶滅危惧種保護組織の保護官は、無線機を耳に当てて別の人間へ連絡を開始すると、座ったまま顔を眺めてくる超希少種の助っ人に指示をした。
「任務だ。この保護ターゲットはBランク『要保護種』だから、昨日よりは危険では無い。が、お前がSランクだから胃の負担は変わらないがな。今夜中に現地に行って作戦を開始する……ヒュウラ。
 今度は絶対に俺の言う事を聞けよ。時間は未だあるからな、今から特訓だ」

【14Days】続 16