Bounty Dog 【14Days】 52-53

52

 謎の存在は、迫ってくる鮫男の頬を蹴り飛ばした。鮫は横に吹っ飛びながら、子供のような甘い声で悲鳴を上げる。
「ぶぎゅう」
 霧の中に消えた鮫を追う事なく、その場に立ったまま静止すると、周囲の霧が徐々に晴れてきた。数メートル範囲だが景色が少しずつ鮮明になると、乱入者の正体も次第に露わになる。
 若い人間のような女だった。
 歳は10代後半の見た目で、尻まである長い金髪をポニーテールにしており、結ばれていない髪は首元までの長さの段に切られている。虹彩が獣のように細まった橙色の眼は大きく鋭いが、丸みを帯びた鋭さで、とても愛嬌があった。黄色味をした肌の顔の両頬に、赤いベタ塗りの三角形の模様が付いている。
 道着のような黄色い緩めの服を着ており、腰から赤い紐を波縫いのように施したクリーム色の結び紐を垂らしている。ダークグレーのパンプスのような靴を履いていて両耳の先端が尖っており、オレンジ色の短い毛が生えている。尻餅を付いていたヒュウラは立ち上がり、仏頂面のまま女の背を眺めた。謎の女は鮫の亜人と向かい合わせに立つと、その場でピョンピョン上下に跳ねた。ステップを踏みながら、格闘家のように握った両拳を構える。
 地面に倒れていた鮫男は、直ぐに起き上がって女の前まで歩いてくる。瞼の無い黒い硝子玉のような目を向けると、裂けた口から涎を大量に垂らした。
「わあーい、ディナー増えたあー!柔らかそう、こっちから食べるう!」
「お前、凄く邪魔」
 女は眉間に深い皺を掘る。

 鮫は直ぐ様に強襲を仕掛けた。鋸のような歯がビッシリと生えた大口を開けて、女を捕食しようと飛び掛かる。
 女は構えていた両の拳を引いて地面に手の平を乗せると、身を曲げた。ブリッジの体制を取るが、足首と膝、肘の関節がほぼ90度曲がって、地面にくっ付く程の低さで身の上を飛んでいく鮫を見上げる。
 足を振り上げて身を半回転しながら蹴りを放ち、鮫をボールのように叩きつける。地面で大きく跳ね上がった鮫は顔を紫色に腫らしながら、甘えたような声で悲鳴を上げた。
「ふぁぎゅう」
「終わり」
 直立していた女は、すかさず追撃する。サッカーボールのように宙を舞っていた鮫を足で捕まえて、リフティングしてから地面に叩きつけた。跳ね上がっては蹴り落とし、跳ね上がってはまた蹴り落とす。
 数回攻撃を受けると、鮫は上げていた悲鳴を発し無くなった。女はボールのように鮫を足で再びリフティングをすると、鎮静した相手を彼方へ蹴り飛ばして退場させた。
 乱入者による第2ラウンドは、あっという間に勝敗が付く。
 謎の女の後ろで立っていたヒュウラは、事態が理解出来ずに仏頂面のまま首を傾げる。大きく伸びをしてから振り返ってきた女は、ニッコリと満面の笑みをすると、
 ヒュウラからの反応を待たずに挑発した。
「あいつ弱い、見た目だけ。次、強い、勝てる?」

 ヒュウラは傾けている首を90度まで倒す。無表情で金と赤の不思議な目が右手の景色を見渡すと、霧に覆われた空間に、鮫も雷も確認出来ない。
 首の角度を戻して女を見ると、相手は自信満々の笑みを浮かべながら、ピョンピョンとその場で上下に跳ねている。握った拳を構えてくると、ヒュウラは地面に落ちていた巨斧を拾って、首輪の背面に指を当てた。通話スイッチを押して口を開く。
「デルタ、こいつも捕まえるか?」
 デルタ・コルクラート保護官から返事が無い。首輪からは電気が弾ける音だけが響いた。檻の中に鮫の亜人が居ない事に、未だ気付いていないらしい。
 表情を変えずにヒュウラは首輪から指を離して女を再び見る。女は跳ねながら声を掛けてきた。
「邪魔される、困る。移動する」
 女は弾丸のような速さでヒュウラに急接近する。背に回って胴を両腕で掴むと、背中から抱えた状態で己の身を捻った。
 目を見開いたヒュウラに、愛嬌のある女の目が不敵な笑みを浮かべて細まる。地に付けた足の首の関節が180度近くまで捻られて、女の足から上が容易に半回転すると、
 ヒュウラは背後に放り投げられる。斧を掴んだまま彼方の地面に叩きつけられると、謎の女はスキップしながら歩み寄ってきた。
 左右に、漁業用の網が掛けられた棒が幾つも建てられている。
「此処、丁度良い。本気出すね」
 ヒュウラは直ぐに起き上がって目を僅かに釣り上げた。片手で掴んでいた斧の柄を両手で持って構える。女は巨大な斧を見て橙色の目を細めると、その目を鋭く釣り上げた。握った両拳を構えて戦闘体制を取る。
「大きいソレ、凄く邪魔」
 返事も反応もせず、ヒュウラは動いた。斧の刃を横向きにして、女を潰そうと振り下ろす。謎の女は素早く横に跳ねて回避すると、足首を捻ってヒュウラの真横に向かって飛び跳ねた。ステップを踏んで更に跳ね飛び、素早く背後に回り込む。
 斧の刃が地面に叩きつけられると、女はヒュウラの胴を抱えて身を大きく反らす。プロレス技の如くブリッジをした女は、足首を地に付けたまま身を地面スレスレまで反らせると、
 ヒュウラを叩き付けずに、胴から斧の柄に腕を伸ばした。
 女の前身に乗った状態となっているヒュウラは、斧から手を離して地面に落とす。身を捻って女の身から斧の側に滑り落ちると、武器を掴んで起き上がった。釣られた目尻の角度が上がっている。
 女は拳を握ってピョンピョンとその場で数回跳ねると、大股で腰を下ろして斧を片手で構えているヒュウラを見つめる。背後に建っている棒と、棒の先端に掛かっている網を一瞥した橙の目が睨むと、拳を開いて突進した。
「ソレ、盗る、思った。こっちにする!!」
 ヒュウラは後ろ手で網を掴み、棒から引き剥がす。
 左手から垂れ下がる、厚い人工の素材で出来た網の目は粗かった。人間の形をしている生き物も難なく包める程の大きさがある。
 ヒュウラは釣り上げていた目を戻して人間の道具を一瞥すると、迫ってくる謎の女に顔を向ける。網を巨斧の柄に巻き付けて網ごと両手で掴むと、盾のように刃を前に掲げた。女は寸前で急停止する。
 勢いを止めずに、女は足首を捻って斜めに飛んだ。背を取ろうとして、振り向いたヒュウラと視線が合う。見開らかれた橙の目が付く顔と身体の距離が離される前に、ヒュウラは右足を振り上げると、
 一撃であらゆる生物を挽肉にする、即死キックを放った。
 女は地面に股関節を付けて逆さにしたT字の体型で上半身を伏せて攻撃を避ける。空振りした強撃は棒に当たって金属を割り砕くと、足裏で踏まれて地面に叩きつけられた金属は、足形に窪んだ岩の中にめり込んで、完全に埋まってしまう。
 棒の末路を見ながら驚愕して冷や汗をかき始めた女を、ヒュウラは無表情に見下げる。地にくっ付けていた足と股関節を起こして直立すると、女の顔から自信が無くなった。
 黄色い太めの眉をハの字に寄せて呟く。
「お前、足、物凄く危険。絶対、当たらない」
 再び睨み目を向けてきた女に、ヒュウラは返事も反応もせずに網を斧からの柄から外す。片手ずつに斧と網を掴んだ状態で謎の女と向かい合うと、女が動いた。高速で接近すると、斧を持つ右手に向かって上蹴りを放つ。
 ヒュウラが腕を引いてかわすと、巨斧の刃を倒して女を頭上から叩く。素早く身を伏せてから後ろに跳ね飛んで攻撃をかわすと、地面に付いている斧の刃の上に飛び乗った。
 斧の刃から柄の上を走り、柄を掴むヒュウラの腕の直前で身を捻る。
「こうする。えい!!」
 女はヒュウラに背を向けた状態で斧の柄を両手で掴み、斧を引っ張りながらバク転する。腕を強引に持ち上げられたヒュウラは金と赤の目を僅かに見開いて手を離すと、
 頭上に飛び上がった謎の女が、一回転しながら強奪した巨斧を放り投げる。縦に回転しながら天高く舞った斧は霧の中に潜り込んで彼方へと飛んでいくと、地面に落ちて金属音を鳴り響かせた。
 ヒュウラは、斧が飛び去った方角を一瞥してから、左手に掴んだ網を両手に持つ。地に降り立った謎の女は再び自信満々の笑みを浮かべると、数回跳ねてから突進してきた。
「終わり」
 ヒュウラは網を両手いっぱいに伸ばすと、地面に広げ置いた。女が網の上に乗ると、足で網を強く引っ張る。
 バランスを崩して仰向けに転倒した女に、ヒュウラは網から手を離して足を振り上げる。当たると即死する踵落としを仕掛けると、
 女は網を巻き込みながら地面を横に転がる。地を激しく振動させて岩を割り砕いたヒュウラの足が再び振り上げられると、
 女は身に巻き付けた網を、逆向きに転がって解いた。
「お前、使い方、賢い。次、使ってみる。だけど」
 ヒュウラは仏頂面のまま二撃目の踵落としをする。謎の女は橙色の目を輝かせながら、解いた網を手で掴んで背から引っ張り上げると、
「コレ、こう使う!!」
 網をヒュウラに向かって投げ放った。
 目を限界まで見開いたヒュウラは全身を包まれる。女は両手を頭上で曲げ上げて、素早く後ろに半回転して体を起こす。反対方向に大きく飛び上がってヒュウラの頭上を通って背後に降りると、網を巾着のように結んで拘束した。
 ヒュウラは前に向かって蹴りを何度もするが、柔らかい網は一撃必殺の超力も分散させる。女は網ごとヒュウラを背中同士を合わせて担ぐと、走り出した。ヒュウラは振り向く事も出来ず、蹴りも無効化して、斧も失う。身動きが一切取れない。
 目が見開いたまま、手が檻の格子を掴むように網の目を掴む。完全に捕獲された。
 女はヒュウラを担いで一枚岩の広場からどんどん離れていく。岩の端を飛び越えて、霧の薄まった黄色い土道を走りながら、
 歓喜の声を高々と上げた。
「ニャー!やっと捕まえたニャ!!」

53

「何という事だ。こっちが罠に掛かっていた」 
 大きな枯れ木の前で、デルタ・コルクラートは通信機を片手に掴んで立っていた。足元に設置されている箱型の檻の中に、丸い岩が入っている。
 紫色の雷が迸る檻の中には、ターゲット用に吊り下げられた肉の塊もブラブラ揺れている。デルタは大きな溜息を吐いてからしゃがんで電撃装置のスイッチを切ると、紫の雷は次第に檻の周りから消えた。白い煙と肉の焼ける香ばしい臭いが漂う。
「リーダー、ターゲットを見付けました」
 霧の中から大きな袋を担いだミト・ラグナルが出てきて歩み寄ってくる。デルタの傍まで近付いてから肩から下ろした袋を逆さにして振ると、中から鮫のような見た目の亜人が出てきた。
 Cランク『警戒種』陸鮫族の男の凶悪な顔に、打撲傷が無数に付いている。血塗れになった口の中に生える鋸のようにギザギザした歯は半分以上欠けており、瞼の無い硝子玉のような瞳が白目を剥いている。
 ミトは数秒間躊躇してから、気絶しているターゲットに猿轡を付ける。眉をハの字にして泣きそうな顔になると、真顔でターゲットを眺めている上司に説明した。
「此方で倒れていました。顔の損傷が酷い事になっています。喪失(ロスト)の心配はありませんが、手当てしないと可哀想」
「支部に戻ったら、あの馬鹿犬をまた訓練する。が、あいつから連絡が無い。まだ無い、また無い」
 眉間に深い皺を彫って、デルタは通信機を握る手の握力を上げる。怒りの力に圧迫されて小さな音を立てた機械の黒い画面に、赤い点と緑色の格子模様が表示されると、ミトは目を見開いて、自分の機械をポケットから出した。
 ミトは画面を凝視する。デルタは呟く。
「もう本当に良い加減にしろよ、ヒュウラ。危険な任務を任せたのは俺だが……初めから狙撃する作戦にすれば良かった。あいつごと」
「リーダー!通信機を見てください!変です、ヒュウラが勝手に移動してます!」
 通信機の画面を見せながら慌て出した新米保護官に、デルタは小さな溜息を吐いた。通信機の画面の中で、赤い点が高速で移動している。
 上司は部下に冷静になるよう手で促してから、自分の通信機の画面を見つめて口を開いた。
「何かまた脱線したくなるような、魅力的な物を見付けたのだろう」
「いいえ!流石に保護任務中の脱線は彼、しません!!ヒュウラ何処行くの?!其方は任務とは全然関係ない方向よ?!」
 叫ぶように声を上げたミトが再び通信機の画面を凝視すると、デルタも自身の機械の画面を注視する。赤い点は黄緑色の緩やかな帯の上を流れていく。左右に揺れ動きながら流れていく点を見つめながら、デルタは寄せていた眉を更に寄せた。目を鋭く釣り上げる。
「可笑しな動きをしているな。これは」
 通信機の側面に付いたボタンを押しながら、デルタは機械を耳に当てる。通話を始めると、遠方で別のターゲットの捕獲を行なっている部隊の1人に指示をした。
「3班作戦部隊の保護官全員に伝えてくれ。私が今から指名する者以外は、保護任務を中断して緊急任務に対応するように。うちの特別保護官兼超希少種が、謎の存在に誘拐された可能性がある」