Bounty Dog 【アグダード戦争】 13-14

13

 茶色い岩と土で作られている2階建ての建物は、長方形の石の箱を積み上げたような形をしており、格子も硝子の板も無い四角形の大きな窓と出入り口が壁に空けられている。
 穴のような窓を覗くと建物の内部が見えた。人間らしき生き物が複数座っている。生き物は皆、黒色に近い暗い色の布を頭から被っており、浅黒い肌をした手足が布から飛び出ている。
 布の塊のような人間達は、皆が身を震わせていた。背後に立っている、同じ布の塊の様な人間に数人が時々、後頭部を細長い鉄で出来た棒のような物で小突かれている。
 銃だった。アサルトライフルを掴んだ少数の人間が十数の人間を脅して回っている。現在脅されている布被り人間は男で、頭に被っている布を鷲掴みにされて脱がされた。布から出てきた人間は、浅黒い肌に先端が灰色に染まった白髪をしている独特な容姿をした中年の男だった。
 ミトは民族の特徴を知らないが、彼がアグダードの現地人だと直感で確信する。男は手を後頭部で組まされて、正座で座らされたまま床に前のめりに伏せさせられた。男が伏せたので、男の背に座っていた大勢の人間達の姿も見えた。全員が布の塊のようだったが、胴の形と座高から殆どが女だと判断した。
 女達は皆、首から木の板が結ばれている鎖を垂らしている。木の板には蛇が這っているような独特の文字が書かれており、ミトには何と書いているのか分からなかったが、板にはミトが読める中東発祥の世界共通数字も書かれていた。
 数字は3桁から4桁で、殆どの板に書かれている数字は小さい値を示していた。死角から現れた、銃を掴んだ男らしき複数の布人間達が、木の板をぶら下げている女達の顔を覗き込む。女達が激しく震え出した。男達の上機嫌な笑い声が聞こえてきた。
 ミトは板に書かれた独自文字は全く読めないが、読める数字から内容を理解した。板に書かれている文字と数字の内容を理解した途端に、凍った。
(此処は、人身売買の市場)
 壊れたヒュウラは、人間が人間を物のように売り買いする反人道的な場所に興味津々だった。目を剥いたまま口角を上げて、物凄く楽しいモノを見ているように様子を見守っている。
 ミトは3日連続でショックを受けた。ヒュウラがもし"正常"だったら、どんな反応をしたのかは想像出来ない。恐らくだが、嫌悪しただろうと思った。興味を全く示さなかったかも知れない。
 極めて高額な生物素材を持っている亜人のヒュウラは、人間によって売買される存在だった。追い掛けられて殺されて目だけにされて、目を加工されて『ウルフアイ』と名付けられた宝石にされて、商品として人間に売られて買われる存在だった。
 エゴイストの人間達が膨大な金を使ってまで欲しがる希少な宝石の目が、僅かな金と引き換えに売られようとしている人間達を、面白そうに見つめている。皮肉でしか無い光景に、ミトはヒュウラに背から抱き付きながら再び泣いた。声を出さずに静かに泣いた。
(彼は壊れている。壊れているから、こんな事をしているんだ)
 信じたかった。信じた。ヒュウラは元は人間がとても好きなのだと、信じた。
 ミトはヒュウラに抱き付く両手の力を強めた。背中から、人間と形が同じ狼の亜人の耳元で語り掛ける。
「ヒュウラ、私があなたを保護する。それであなたの心を生き返らせて、ロボットだけど無邪気で自由で、元気で優しいあなたに戻すから」
 壊れたヒュウラは、返事も反応もせずに人間達を見学する事に夢中だった。ミトも返事と反応をしない。涙も止まっていた。
 眉間に皺を寄せて、少女は建物の中に視線を注ぐ。動きがあった。商品である人間の女性が1人、売人達の隙を突いて逃げ出した。建物から勢い良く飛び出ると、建物から放たれる銃弾に怯まずに半壊した壁をよじ登って、頂上から飛び降りた。火事場の底力が使われて、動きが非常に俊敏だった。女性は自由の為に彼方へと走り出して、
 数歩で急停止した。地雷を踏んで、粉々に吹き飛んで死んだ。
 ミトは、吹き上がる黒煙を見ながら絶望感に襲われた。希望が一瞬で喪失した光景を見て、死んだ女性とは無関係なのに強烈な心の痛みと悍ましい恐怖を感じた。
 怖くて涙すら出ない。余りにも残虐な死の瞬間を目の当たりにして、ミトはこれも夢では無いかと疑った。
 ーー本当は、ヒュウラは壊れてなくて何時も通りの無邪気で元気で、ローグは居なくて、上司も元気に生きている。ヒュウラの護送の準備をしている上司を見て、彼の右足の怪我が心配だから「私が代わります」と言ったら「君は今夜、重要な亜人保護任務があるから仮眠を取りなさい」と指示されて、自室で愛している心の栄養素であるスナック菓子に埋もれながら寝たら、買い過ぎた大量のスナック菓子に枕と布団が圧迫されて寝心地が悪過ぎて見てしまった酷い夢なんだ。ーー17歳の未だ少女である保護官は、身勝手な妄想を頭の中で想い描いた。
 頬を抓った。強い痛みを感じて、夢では無く現実なのだと思い知る。直ぐに違う現実逃避の妄想が頭の中に浮かんだ。ーーもしかしたら本当はあの時に、パラシュートを爆破された時に、私はヒュウラに助けられずに彼を守って転落死したのかも知れない。ーー
 ミトは声を震わせながら呟いた。
「こんな惨い地獄、此の世にある訳が無い」

 弾けた地雷に興味を持っていないか心配になり、ミトはヒュウラの顔に視線を移した。壊れたヒュウラの剥かれた目は、粉々になって死んだ人間の女にも地雷にも興味を示していなかった。建物の内部だけを見ている。
 壊れたヒュウラは剥かれた目で、売られる人間達が売られて次に何をされるのかを観察しようと待っていた。ミトは此の場から逃げ出したくなる衝動を抑えながら、ヒュウラの胴から左手を離すと、相手の両目を左の腕で覆った。
 相手の耳元で叫ぶ。
「もう見なくて良い!あんなモノ、もう見なくて良いわ!!」
 ヒュウラが反応した。激しく抵抗してくる。甲高い狂人の奇声は一言も発しないが、受ければ即死する凶悪な足蹴りをしてきた。あらゆる生き物を一撃で殺してしまうキックが、前方に放たれる。
 前方の地面が踵で深く抉られて、砂の塊になって撒き散らされていく。ミトは亡き上司から教えて貰っている”安全地帯”の背後で密着したまま、目を覆っている彼女の腕を両手で掴んで振り解こうとする、亜人の青年の耳元で再び叫んだ。
「ヒュウラ、お願い!私の言う事を聴いて!もう見ちゃ駄目!!」
 1人と1体が起こしている騒動を、建物の中に居る人間達に勘付かれた。

14

 独自の言葉を口々に呟いて、布の塊達が動き出す。アサルトライフルを掴んでいる数人の人間達が建物から出てくると、茶眼を限界まで見開いたミトは、ヒュウラを連れて逃げる為に動いた。
 相手を容易に引き摺る事に成功した。アドレナリンが脳の中で暴走している少女は男の亜人を背中から抱えたまま、石で出来た外壁の裏側まで連れ込む。
 ヒュウラは暴れた。叫ばずに終始無言だったが、即死キックを延々と放ってくる。前蹴りが時々横蹴りになったので、ミトはヒュウラごと身を振って攻撃を避けた。
 足が石壁を蹴って破壊する。身を隠していた盾を亜人に壊されて、敵に1人と1体の姿が露わになった。
 銃を掴んだ布の塊が1つ、不気味な笑い声を出しながらゆっくりと近付いてきた。
 ミトは脳を焦燥感に支配された。連打されているヒュウラの即死キックを使って敵を挽肉にして倒そうかと考えたが、ヒュウラに人殺しをさせたくなかった。此の場でも彼女は絶滅危惧種の亜人の命を優先する。ヒュウラだけでも守ろうとミトは相手を抱えたまま、布を頭から剥がした浅黒い肌の野獣のような顔をしている白髪男に向かって身を振って、後ろ向きに振り向く。
 ヒュウラの目を左腕で覆いながら、右腕に掴んでいたドラム型弾倉付きサブマシンガンを、アグダード人の男の眉間に狙いを付けて構えた。男は自分に歯向かおうとしている相手が女だと知ると、醜い化け物のような笑顔をした。「商品が此処にもあるぞ」か「こいつにも値札の板を作れ」だと推測する独自の言葉を仲間に向かって喚きながら、男はミトに向かって腕を伸ばしてきた。
 直ぐに引っ込められる。男はヒュウラの存在にも気付いた。眉間に深い皺が寄ると、アサルトライフルの銃口を彼に向けてくる。
 ミトは更に焦った。ヒュウラは彼方の方向を足で攻撃し続けている。土が蹴られて溝のように抉れていく。
 敵の男はヒュウラが異常に強過ぎる脚力を持った亜人だと勘付いていなかった。アグダードの人間を何万人売っても得られない莫大な金になる希少な商品になる亜人である事にも勘付かずに、単純に邪魔だから殺そうと銃の引き金に指を添える。
 ミトはサブマシンガンの安全器(セレクター)を単発(セミオート)に変えた。お互いが違う標的(ターゲット)を撃つ為に、引き金の指の力を強めて、
 男が第三者に撃たれた。頭部の側面から血の柱を吹き出して、倒れた。

 ミトは意味が分からなかった。絶望も一瞬で喪失した瞬間を目の当たりにして、ヒュウラから腕を離しそうになる。
 建物から出てきていた布の塊達が、慌て出した。ミトが彼らを凝視すると直ぐに1人、2人、3、4、5人が、何処からか飛んできた銃弾を浴びて、次々に倒れていく。
 全く状況が意味不明だった。サブマシンガンを持ったまま、絶滅危惧種の亜人を右腕でも抱き締める。ヒュウラの目から覆っていた左手が外れていた。視界を解放された金と赤の不思議な目は、剥かれておらず元の大きさと形に戻っていた。
 ヒュウラは仏頂面になっていた。彼は”正常”に戻っていた。仏頂面のヒュウラは、建物の屋上を凝視した。ミトもヒュウラが見た場所を見つめると、建物の屋上に狙撃銃とアサルトライフルを掴んでいる人間達がいた。
 其処に立っている人間達も、人身売買市場の売人達や商品達と同じような格好をしていた。黒い布を頭から被って全身を覆っている。唯、建物の側で倒れている布達とは、纏っている雰囲気が全く違っていた。
 布達が動き出す。
 1つだけ違う色をしている布が居た。青い布を被っている1人の人間を置いて、建物の中に入っていった黒い布達が中に居る布達を攻撃し始めた。銃撃音が絶え間なく聞こえてくると、悲鳴と怒号も聞こえてきた。窓から布が剥ぎ取られた血塗れのアグダード人達が放り投げられると、建物から別の布達が一斉に飛び出てきた。商品にされていた人間の女達が逃げ出す。独特の言葉で黄色い声を上げながら、数人は礼だろう言葉を建物に向かって叫びながら、散り散りになって逃げていった。
 布が布を倒して奴隷にされ掛けていた布達を解放していた。ミトは余りにも鮮やかに行われている突然の救出劇に釘付けになった。
 救出劇は、ものの数分足らずで終わった。

 完全勝利した救出者側の布達が、建物の周囲で倒れている売人達の死体から布を剥ぎ取っていく。死体が掴んでいるアサルトライフルも手から剥がすと、慣れた手付きで弾倉を外し、数丁の銃と一緒に強奪した。
 黒い布を被っている1人の人間に、草臥れた茶色い布を被った人間が近付いていく。自ら布を身から剥がした男は、先程売人に脅されていたアグダード人の男だった。彼と逃げた女達の関係性は一切謎だったが、男は黒い布の足元に縋り付くと、布を下から引いて強引に剥ぎ取った。
 黒い布から出てきた人間は、浅黒い肌をした小柄なアグダード人の男だった。20代前半から20代中頃までの歳であろう見た目をしており、先端が薄紫に染まった白髪を短く切っている。生真面目そうな雰囲気を漂わせていた。髪の一部の色と同じ薄い紫色の両目を見開くと、中年の男が薄紫目の男の足にしがみ付きながら、アグダードの独自語で礼を言った。
「シュクラン(ありがとう)!シュクラン・ジャズィーラン(どうもありがとう)!!」
 中年男は、啜り泣きながら繰り返し繰り返し、中東地帯の独自語で礼を言う。薄紫目の若いアグダード人の男は足にしがみ付いてくる中年男を己の身から引き剥がすと、無表情になって、呟くように返事をした。
「アフワン(どういたしまして)。唯、申し訳無い」
 男は中年男の胸倉を掴んだ。口の中にアサルトライフルの銃口を入れると、中年男の頭部を撃ち砕いた。
 ミトは幾回目か分からなくなったショックを、また受ける。下顎から上の部分を喪失して即死した中年男の遺体を放り捨てると、薄紫目の男は脱がされていた黒い布を拾って頭から被りながら、呟いた。
「あなたは私の姿を見てしまった。”奴ら”にバレてはいけないのだ、許して欲しい」
 ミトは男に見付かっていないよう、普段は祈らない天の神に懇願した。神は少女の願いを叶えた。黒い布に戻った男が、ミトとヒュウラの存在に勘付かずに静止する。暫く物思いに耽てから後方に振り返ると、建物の屋上に向かって大声を上げた。
「お待たせ致しました。参りましょう!この街の”掃除”は、あと1箇所で完了です!!」
 ミトは屋上に居る、青い布の人間を凝視した。真っ青の布を頭から被って仁王立ちしている男性らしき背の高い人間は、程良く筋肉が付いた浅黒い肌の腕を、布から出して組んでいる。
 傷だらけの汚れたアサルトライフルを、組んだ腕の左側に掴んでいた。布の隙間から覗く澄んだ水色の目はやや吊り上がっており、雄々しい強さを感じる眼が彼方の場所を見つめている。
 青布の男が唐突に振り向いて、此方を見てきた。ミトはサブマシンガンを掴んでいる右腕に力を込める。だが銃口を向ける前に、相手は此方から目を逸らした。
 青布の男が薄紫目の黒布男に向かって大きく頷くと、他の黒い布達が建物から飛び出した。青布の男も屋上から飛び降りて、薄紫目と他の黒い布達と一緒に建物から走り去って行った。
 直後に、建物に何処からか飛んできたミサイル弾が当たった。
 脅威が喪失して訪れた平和が、脅威に喪失された。建物が大破して瓦礫になり、激しく燃え上がる。
 ミトは限界まで目を見開きながら、息を呑んだ。彼女は動くタイミングを数秒誤れば瞬く間に喪失(ロスト)するような危険な場面を、テレビのアクション映画でしか見た事が無かった。
 ミトは瓦礫から炎が消えるまで、其の場から動けなかった。動けなくなっていた間、彼女が大事に抱えているヒュウラは非常に大人しかった。