Valkan Raven #3-5


『When will you get here? 1946.』
「Twenty minutes.」
『What's taking you so long? Don't let me down.』
「そうなればすこぶるHappyだが、俺にも都合があるんだ。I don’t disappoint you. (あんたの期待は裏切らない。)それなら文句はねえだろ?」
 耳に当てた傷だらけのスマートフォンから、延々と男の声が英語で説教をしてくる。地面に吐き出した煙草をミリタリーブーツを履いた足で踏み潰し、新しい煙草に火を付けて猛毒の煙を吹き上げた璃音は、痺れを切らした相手が通話を終了したと同時に携帯電話の電源を切り、トレンチコートのポケットに入れる。
 静寂が支配する夜道を急ぐ事無く歩く殺し屋は、掴んでいるアサルトライフルの引き金に指を掛ける。次第に聞こえてきた波の音に、鋭くなった目を更に釣り上げた。
 --勘違いが甚だしい一匹は見つけて処分。ついでに絡まっている一匹は……。--

 3-5

 夜の住宅街は閑散としていた。団地とマンションが巨大な箱を並べたように整列して建っている。昼間は幼児達が遊んでいるだろう小さな公園にも勿論人気は無く、空っぽのブランコが、風に押されて規則正しく揺れている。
 ゴミひとつ落ちていない整頓された街並みは、清潔感とともに機械的で不安を与えてくる。熱の弾ける音を出し続けるランタンを掲げながら魅姫は人の気配を辿ろうと黙々と歩き続けているが、淡い電気が生み出す光が家の窓から溢れ出ているものの、一番与えて欲しい生き物との出会いは、猫一匹とすら叶っていなかった。
 ーーあの謎の怖い影は何だったのだろう。それよりも、あの人集りは一体何処に消えたのだろう?世鷹君はあの中にいるのだろうか?ーー
 謎だらけのこの町で、ますます謎が増えていく。夜になると誰も出歩いていない事も気になったが、その理由はおおよそ推測が出来ていた。
 銃声は、響いてこない。
 ジイジイと鳴き続ける照明器具の音に、恐れはますます強くなっていく。小柄な少女の身体は寒気を感じて小刻みに震えている。夜を照らす優しい人工の光と相反する異様な静けさに、無意識に移動が早足になっていくと、
 悲鳴のような声が、聞こえたような気がした。
 捉えた微かな音は一瞬で、発せられた場所は方角すら分からない。魅姫はランタンを四方に向けて気配を確認するが、自分以外の生命を視覚で捉えることが出来ない。
 再び耳が察知した強く甲高い音は、人の声では無く何かが弾けたような無機質さを感じる。聴覚の認知を確信した魅姫は西の方角に身体を向けて弓で引かれた矢のように走り出す。流れていく建物と光に目を向けずに前進する黒づくめの少女は、焦燥と恐怖で思考を巡らせる余裕が持てなかった。
 無我夢中に走り続けて、ブロック壁に覆われた集合住宅の一角に辿り着く。短い草が生える程良く手入れされた人工の庭に足を踏み入れると、東西南北を照明器具で照らしてみる。
 変化の無い独りぼっちの空間は静寂に包まれているだけであり、風の音すら聞こえてこない。不安に支配される心を鎮めようと深呼吸をし、無意識に壁に片手を付いた時、
 足に4403と刻まれた、血塗れの女が寄りかかってきた。
 頭部が半分砕けた女の見開かれた目が語る死に際は、恐怖と理不尽さで瞳孔が酷く濁れている。乾いた血が全身をマダラ模様に染め上げており、皮膚に張り付いた枯れ果てた涙の跡が、少女の肩に塩を擦り付ける。
 喉から出そうになった悲鳴を堪えて、魅姫は死骸を身から突き離す。壊れた操り人形のように四肢をぐねらせて倒れた女に背を向けた瞬間、目と胃から込み上げてくる反応に抗う事が出来なかった。
 嘔吐と嗚咽が落ち着いた頃、腫れて激しく痛む瞳がランタン越しに遠くを見つめる。暗がりに写る街並みにやはり生き物の気配を感じられない。背後で横たわる死骸が履いたスカートが風に遊ばれて細かく揺れる中、震える足で立った魅姫は彷徨う亡霊のように、力を無くした身体を支えながら、当てのない前進を再開した。
 ーー怖い、怖い、怖い。世鷹君は何処だろう?早く見付けて事情を聞こう。そして安全な場所に連れて行こう。
 ……安全?何処にあるの?私だって、安全では無い。--

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