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悪口とストレスとバランス

悪口を言ってストレスを解消する人がいる。しかも結構いる。

友達の悪口、上司の悪口、部下の悪口、家族の悪口、恋人の悪口。種類は様々だけど、誰かと話すと”誰かの悪口”で場が盛り上がることが多い。人は共感して喜びを得る人間だから仕方ない。誰かと一緒に誰かを攻撃することは気持ちがいいのだ

僕自身も誰かをネタにして、生贄にして場を盛り上げることが多々あった。今思うとあまり良くないことだ。ネタにされてる方の気持ちなんて考えてるようで考えてなかった。


ある飲み会でA君のファッションセンスを嘲笑して笑いを取ったことがあった。その場は笑いに包まれている。でもA君はどんな気持ちだろうか?ひょっとしたら自分なりに気合を入れて最高のオシャレをしてきたのかもしれないのに。

その時は同じ場にA君がいたからまだ良かった。一応二人でいる時から服のことをイジったりして笑い合えてたから。なんと器の広い男であろうか…。

でもそれから少し日にちが経った時、友人何人かで集まると同じようにA君のファッションセンスが話題になった。皆は笑っているけど、どうにも僕は違和感があった。というか物凄い罪悪感に包まれた。そうその場にA君がいなかったのだ。

「自分は今いない人の悪口を言っている。」

この事実がどうしようもなく苦しかった。だからすぐに話題を変えたけど「いない人のこと悪く言うのやめようよ」と言えなかった自分がとてつもなく嫌だった。

寄ってたかってその場にいない誰かをバカにする構図はとっても惨めだ。でも嫌なことに誰かの悪口大会は盛り上がってしまう。確かに「いいところを言い合う大会」しても宗教じみて気持ち悪いかもしれないけど、その場にいない人を話題にするなら良いところを話し合いたい。

誰かの前では良い子ちゃんにしなくちゃいけない。だからその誰かがいないところで蔑んでバランスを取っている。善の面だけだと潰れてしまいそうになるから負の面でバランスをとらなくちゃ上手く生きていけない。そんな人をたくさん見てきたし、自分もそうだった。

でも、それでも誰かを蔑んじゃいけない。なぜなら負の一面は伝染しやすいから。幸福への共感よりもネガティブへの共感の方がしやすいのだ。

集まれば誰かの悪口大会で一日が過ぎる。そんな人たちもたくさんいるだろう。果たしてそれはバランスを取れているのだろうか?明らかに”負の側面”のほうが比重があるではないか。重くなりすぎた負の一面を軽くするのは非常に難しい。

だから悪口を言ってしまったとき、一度冷静に自分を見て欲しい。誰かをバカにしたり嘲笑することで得ることのできる幸福感や他者との共感は何の足しにもならないのだ。少なくとも自分はそう思う。

言う方も言われる方も愛のあるイジリや愚痴が言えてないなら、気付かぬうちに嫌な人間になっている。


違う集まりでBちゃんに対して「ちょっと太ったんじゃねえの?」と言ったこともある。その時はお互いにガハハと笑い合えた。

Bちゃんとは凄く仲がいいしお互いに着飾らずに物事を言い合える関係性ではある。でもその仲の良さに甘んじてはいけない。誰にだって超えちゃいけないラインはある。

同じ友達でも”Aから言われたらムカつかない”のに”Bから言われたらムカつく”ことはある。自己管理ができていない人から「お前もっとちゃんとしろよ〜」と言われたらムカつく。逆に自己管理ができていて健康的な生活をしている人から「ちゃんとしな」と言われたら黙って頷き受け入れるしかない。

こんなふうに人間は「誰が話したか」によって受け取り方をコロコロ変える生き物なのだ。なので話す相手によって自分をコロコロ変えていくのも当然のことだと思う。本当の自分なんて1つである必要性がない。でもなぜか人は「一人の人間に一つの人間性」を求めたがる。

優しさの種類も悲しさの種類も怒りの種類も千差万別なのだ。一人の人間に一つの人間性を求めるほうが困難ってわけだ。でも一つの人間性を求めるから”食い違い”が生じてしまう。

「自分が思ってた人と違う」ということは自分の器が狭かっただけなのだ。自分が持っている器に入りきらないからってその人を悪く言って良い理由にはならない。

もちろん自分と合わない人だっている。ひょっとしたら合わない人のほうが多いのかもしれない。

『キレイ好きな人・ズボラな人』

『運動が好きな人・運動が大嫌いな人』

『犬派の人・猫派の人』

『自分ファーストな人・相手ファーストな人』

こんなふうに色んな食い違いがある。中には「キレイ好きだけど職場のデスクは汚い」みたいな人もいるだろう。だからこそ合う合わないが出てくる。そして合わないからってすぐに悪口を言う人もいる。

でもそれじゃあまりにかわいそうだ。悪口を言われる相手も、言っているあなたもかわいそうだ。

「こんな人もいるんだなあ。面白いなあ」という視点を持つだけでいい。それだけできっと感受性が豊かになるし器もちょぴっと広くなるはずだ。

「絶対に人の悪口を言うな!」なんてことは言わない。前述したように愚痴を発することでバランスを取る感覚も凄くわかるから。

一つだけ。誰かに向けて言葉を発する前に『言われる人と言う自分』のことを考えて見つめ直してほしい。


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