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決められた世界の真ん中で


#わたしの本棚

社会性を形成していく小学生に時を戻し考えるといろんな個性を持った友人がいたと思う。性格などだけでなく、裕福な家庭とそうでない家庭、勉強ができる子とそうでない子、前に出るのが得意な子とそうでない子、スポーツが得意な子をそうでない子。あるいはそうでないように立ち居ふるまっていた子。今そうでない子としたのは、そうでないように見せることで目立つことを避け、自分の居場所、居心地を守っていた可能性があるからだ。私自身、本を読むことが好きで、勉強も苦手ではなかった。少しだけ目立ちたいから生徒会長をやったり応援団長をやった一方で、前に立つことは苦手で泣き虫、外で男の子たちに交じってサッカーしたりするのが好きで。そんな子皆さんの周りにはいなかったろうか。地元の小学校に通った経験のある人は、今考えればあの家庭はシングルで新しいものを買ってもらえてなかったんだろうななんて子もいた覚えはあるだろう。

この本に出てくる人物はみんな周りにいたあの子なのかもしれない。お調子者のあの子、目立ちたがり女王気質のあの子、女王の周りにいながら自分の個性を見いだせずにいるあの子、受験していることをどうしても隠したいあの子、ちょっとだけ優しい近所でピアノを習うあの子、人となじむのが、自分を出すのが苦手ででも曲がったことはしない障害を持ったあの子、シングルの親を持ち、常に自分の居場所を探し続けるあの子。そんなあの時のあの子たちに会える作品が、この作品だと思う。どこか懐かしく、どこか切なく、大人になった今だからこそ感じられるあれこれを大切にしたいとすら思う作品だった。

私が印象的だったのは、破天荒なシングルの親を持つ子2人のエピソードと虐待をする親を持つ子のエピソードだった。

子どもを持つ家庭で日本でも起きている貧富の差について少しだけ考えたい。シングル家庭の多くは母子家庭で、女性の社会進出は多くなっているもののいまだに非正規雇用が多く、特に子どもを持つ家庭の就職は大変とよく聞く。確かに子どもは免疫力も大人ほど高くないことから、よく風邪をひき、休まなければならなくなる。子どもの学校関連の参加行事は、親の参加を促すものが多く、どの家庭も母親が来ることが多い。そのいずれもを行うことを考慮すると、非正規雇用の方が雇用する側にとって都合がよいのであることは理解できる。しかし非正規雇用では子育てをしながら生活を成り立たせることは困難となるため、掛け持ちをして、生活のほとんどを仕事をして過ごさなければならなくなり、子どもは一人の世界に、親に迷惑をかけないように過ごすようになっていく。
シングル家庭の親全員に言えるわけでなく、この作中の話だけかもしれないが、子どもの切なさを感じた。シングル家庭に縁のない方にこそ読んでほしい。

虐待は誰にでもありうる。だからと言ってやっていいわけではない。子どもの、自身の心に大きく傷をつけるからだ。自分に余裕のない時、育てるのに困難を感じる子どもを持つとき、冷静ではいられないだろう。しかし、どうか思いとどまってほしい。虐待はひどいとニュースでよく見る一方で、核家族化が進むことにより、隣近所、周囲に頼りにくくなることで孤立化が進み、虐待件数自体はむしろ増えている。だからこそ周囲の優しい手が、時に大きく行政の介入が必要なときがある。子どもの世界の中でも、明らかに違う子としてとらえられてしまい、誰かに認めてほしいという欲求がより強くあらわれるようになる。
虐待については私自身が関心のあるテーマだと思う。だからこそもっと突き詰めて考えていきたいと思っている。してしまう方もされた方も悲しい思いをしなくて済むように。

小学生の君たちは、クラスが自分の生活の居場所のすべてと考えてしまいがちだが、少しずつ広い世界を知ることで、自分の置かれる現状や親について知ってしまうこともあるだろう。それがいいのか悪いのかでなく、すべてだと思う世界を広げていくことが大人になる私の使命なのかもしれない。

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