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プチ黙想始めませんか

テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて示されたものである。

アモス1:1 新共同訳聖書

アモスの時代、それは平和と繁栄のベールに覆われた「平安」と標榜された時代だったのではないかと思います。戦乱の中の一時の「平和」は誰のための平和だったのでしょう。豊かさへ一直線。人々の心が沸き立たされ、賑やかです。人々の苦渋は狭いところへ押し込められ、隠されていきます。
羊を飼い、畑を耕し生計を立てていたアモスが語り始めました。厳しい諸国への預言の言葉を真実だと聴くことができたのは誰でしょうか。賑やかしく、繁栄を謳歌する人びとがふと我に返るその時、隙間に突き刺さっているアモスの言葉は蛍の光のように柔らかく点滅し、警告を発したのではないでしょうか。

 受難節(レント)
イエスの受苦を覚える期間がはじまりました。4月7日の十字架の日、受苦日までの間をどんなふうに過ごされますか?
わたしは、日常の中でほんの一瞬、動きを止め、静かな呼吸をし、耳を澄ませる時を作りたいと思っています。
イエスの激しい葛藤の日々に伴わせてくださいと祈ります。なぜそんな陰気でしんどいことをわざわざするのでしょうか?もし、誰かの悲しみに無感覚になるとすれば、それは自分の悲しみをも封じ込め、魂が枯れていくことになりそうです。厳しい道であっても、偽りのカラカラとした喜びに興じて人から水分を抜き取るようなあり方でいのちを浪費されたくないなと思っているので、やっぱり手足を止めて、息を吸い込み、プチ黙想の日々をスタートしたいなと思います。

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