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フェミニスト神学 それはなんだろ

はじめに


2022年11月10日から3日間にわたってオンラインで行われたNortheast Asia Women’s Resource Centre for Culture and Theology(https://awrc4ct.org/)が主催する、「Feminist Theologyワークショップ」にて、2回の発題を担当させていただきました。英語で執筆していたものを、日本語に訳し、こちらに共有し、日本語でフェミニスト神学をめぐる話し合いをしようとする人々との議論が広がっていくことを望んでいます。

自らの物語を語ることの意味

フェミニスト神学の概説ということでお話を依頼していただきました。まず、フェミニスト神学とはこういうものですという定義、領域が解説可能だとしたら、それはフェミニスト神学とは異なる活動へと向かうことになるということをまず表明したいと思っています。変わり続け、自省的であり、かつ応答的な活動、これがフェミニスト神学の特徴です。
このような捉え難さを持つフェミニスト神学について、今日は、三つのポイントを掲げてお話ししたいと思っていました。
一つ目は、女の経験を軽視しないことです。細心の注意を持って、女たちの経験が必ずしも、「女」という社会化された通念的範囲の中に留められてはならないということを申し添えたいと思います。「女だから同じ経験」であるはずがないことをも、フェミニスト神学の視点を有しているはずです。
二つ目は、フェミニスト神学を「する」ということは、強い攻撃を受けることです。これは私自身の経験からお話をすることになります。
最後は、その攻撃を受けたとしてもフェミニスト神学を「する」ことには、まだ喜びの可能性があるということです。
 これらのことを話そうとすると、「生活経験から聖書を再読する営みの脆弱性と喜び」というサブタイトルをつけることとなりました。さてどんな話をみなさんと分かち合えるでしょうか。
 フェミニスト神学について語るとき、私は、自己紹介が不可欠だと改めて思います。もちろん、この自己紹介は、自分がどのような役職を獲得したかの紹介ではありません。私が共有したい自己紹介は、私がどのような経緯を辿って、今ここにいるのか、です。その語りそのものが、フェミニスト神学する重要な活動の一つだと私は信じています。
私は、常に、その場で安心して、私について語ることができるかどうかという挑戦を受けてきました。私は社会的適応。さらにいうと、フェミニスト神学の視座から見つめ直すと、人生の多くの局面で私はフェミニスト的要請とは逆方向の歩みをしていたことにも気づきます。自分の信念や願いとは異なることに身を投じてきた取り返しのつかない過去を振り返ることは、私自身をも弱くします。
しかし、語るということには聞き手がいるということに希望があるのだと思います。特に、学術的な場面では軽視されがちな、自らの物語を語ることに、フェミニスト神学する最初の営みだと思います。

私を物語る

私は、1969年、日本の大阪に生まれました。キリスト教学校に入学し、両親が通っていた教会で1986年にバプテスマを受けました。高校時代にオーストラリアで教育をうけ、日本に戻り、高校を卒業しました。その後、関西学院大学神学部で神学の教育を受けました。1995年神戸で起こった大震災のサバイバーの一人です。その日、私が住んでいた住居は地震のため崩壊しましたが、私は生き残りました。しかし、その3ヶ月前までに私が住んでいた家に私の後住み始めた学生は、そこで亡くなってしまいました。生き残りの罪過を感じながら私は教会で働き始めました。どうしても自分が生き残らされた場所で働きたいと思い、神戸にある小規模なキリスト教徒の集会所で働いていました。その後、友人であった牧師が、52歳で急死し、彼の葬儀を行ったことから、彼が働いていた大阪の教会へ行くことになりました。
 その後、私は、横浜にある教派団体の神学校で教務主任として招聘を受けました。そこで、学生寮の世話、教務、そしてヘブライ語聖書学の講義、実践神学の講義を担当することになりました。ここまで私は記したところで、私は、自分の人生が「自分だけが生き残っていく」ことに対するある意味の「申し訳なさ」を感じながらも、その意味を探したいということに自分の神学の根があるのではないかと思います。私は日本に住んでいますが、このような生き残りの罪過は、戦争加害国である日本の民衆の中では複雑さを増して存在しています。常に「誰かの犠牲の上に自分は生き残った」という引け目と同時に恩義が生活を支配しています。このことが、戦争被害者に対する謝罪ではなくて、生き残りをもたらしてくれた戦争犯罪者への尊敬にすら変わるという捩れが、あるのです。この文化の影響から私は逃れることができず、自分の人生にもこれを取り入れていたのです。
私は神学教育機関にいることで、神学的な発信をすることも増えました。しかし、フェミニスト視点で執筆したものについては、激しい攻撃を受けました。最終的には、私はその教派神学校から、汚名を着せられ、去らせられることとなりました。
当時、介護、保育の専門学校の宗教主任としての非正規職にもついていました。しかし、その学校をも、教派団体の責任者らから解雇されることになりました。この解雇に関しては法的な訴えを起こし、全面的に学校側の責任が問われました。彼らは、私に多少のお金を払い、それを社会的に明らかにしない方法で辞めさせました。公的な金ではなく私的な金を払ってでも、追い出したいと思っていたことがわかりました。
今、私は東京にあるおそらく、最も小さい規模の場所を礼拝所としている教会の牧師として、自分の精神的な健康を取り戻しながら働いています。また、エキュメニカルな働き場として作られたマイノリティ宣教センターで共同主事としてこちらも非正規で働いて、生計を立てています。このワークショップを続ける中でより互いの物語を重ね合わせることができるといいなと思っています。
 私が今回、こちらで発表をすることになった時、最初にこれをやらなければ、と感じてしまったことがあります。それは英語で書かれたフェミニスト神学に関する本をもう一度読み直さなければならない、という思いでした。日本語でもいくつか、フェミニスト神学の著作が訳出されています。しかし、フェミニスト神学について話すとういことで最初に思うことが、だったら学術的なことをやらなくてはということだったという自分自身に、反省をしています。つまり、神学は私が使っている言語ではないものを引用し、しかも英語で発信しなければならない、と思ったのです。それがいわゆるアカデミックなことだ、という思い込みがあり、そうでなければ通用しないという思いが私にはあったということです。けれども、そんなことをここで話しても仕方ないという思いになり、私はUターンをして今一度、フェミニスト神学、特に自分が今働いている現場でどのように聖書を読む必要があると思っているのかということと並行して、フェミニスト神学の聖書解釈について提案をすることができればと思っています。

アクション、ムーブメントとしてのフェミニスト神学

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