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ぶれぶれの芯

ぬれ煎餅を初めて食べた時、目が覚めた思いがしました。煎餅は硬いもの、という先入観、いや偏見があり、「こんなものを煎餅と呼んでいいのか!」とツッコミを入れたくなりましたが、実際に食べると「これ、どこで売ってるの?」と聞きたくなるほどの美味しさでした(人それぞれだとは思うのですが、私はそうでした)。一方で、ふわっふわのパンを大事にしているアルプスの少女ハイジのせい?で「パンは柔らかいもの」が「いい」かのごとくにパン屋さんが「焼き立て、ふわふわ」などというポップを書いているのを見ると、「私は硬めのパンが好きなんだけどな」という思いが心に充満してしまいます。「ハイジの白パン」は、リトルマーメイドと、アンデルセン(ちなみにアンデルセンはキュルケゴールの友人という予備知識が蘇る)、いずれもパン屋さんのお名前、が、販売しています。これはこれで、「美味しい」と思います。
 いずれにせよ、「かくあるべき」も実はつくられたもの。
変化することを恐れるのは、自分も同じように管理されてきたその影響によるのかもしれません。この連鎖を断ち切りたいと思うとき、聖書に書かれたイエスのあまりにもめちゃくちゃでぶれぶれな姿にいやされます。

三つの言葉から

金曜日の日没から土曜日の日没までは、ユダヤ教では安息日の宗教儀礼が実践されています。創世記1章3節にこのようにあります。
「神は言われた。『光あれ。』こうして光があった。」
この日は第一の日と呼ばれています。第六の日、動物、人の創造ののち、「見よ、それは極めて良かった」とあります(31)。この言葉ののちに夕べがやってきます。それが第七の日、安息日の始まりです。
神は完成し、離れ、安息したとあります。この三つの言葉には「そのままにしておく」という共通点があると思います。

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さて、この共通点から考えることができる、安息日の意味とはどんなことでしょうか。このあとは有料記事となっています。説教の際にお話ししたことにさらにプラスして執筆しています。

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