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出てこい

神は愛といえども、こんなにも厳しいのか、と思えるような言葉が連なっています。

愛の歌?

預言者イザヤは、パレスチナ、南ユダ地域で、具体的にはエルサレムで「愛の歌」をうたおうと声を上げました。その愛の歌の内容は次のようなものです。

1わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ぶどう畑を持っていた。
2 よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
3 さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ/わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
4 わたしがぶどう畑のためになすべきことで/何か、しなかったことがまだあるというのか。わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに/なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。
5 さあ、お前たちに告げよう/わたしがこのぶどう畑をどうするか。囲いを取り払い、焼かれるにまかせ/石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
6 わたしはこれを見捨てる。枝は刈り込まれず/耕されることもなく/茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。
7 イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑/主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに/見よ、流血(ミスパハ)。正義(ツェダカ)を待っておられたのに/見よ、叫喚(ツェアカ)。

イザヤ書5章1−7節(新共同訳聖書)

 神が民を愛している。
 ぶどう畑の手入れをしたが、ぶどうの実は「酸っぱいぶどう」だった。
 あれほど手を尽くしたのに
 酸っぱいぶどうがなった
という歌です。
このメッセージを語った翌日、ハマスの攻撃、それに対するイスラエルからの報復が始まりました。この話をしている時にはそれが予定されていることなど知る由もなかった、と言い切ってしまう自分の無関心さに深く反省します。そしてその前であれ、後であれ、語られるべきことが語られるべきなのに、後から振り返ればなんと生ぬるいことかと思うばかりです。

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