教会が野原になる時
ヨハネによる福音書6章1−15節を読んで、心に響いていることを書いています。(最後まで無料でお読みいただけます)
イエスの道行は目まぐるしいほどにあちらこちらを周回するものでした。当て所ない旅です。行き先に何があるのか、何をするべきか予定や目的を持たない旅へ、イエスはなぜかき立てられたのでしょうか。この問いに触れていくことこそが、私たちが自分の人生を「振り返る」時の肯定感を与えてくれると思います。
西岸から舟を出したのでしょうか。6章の後半には、向こう岸とこちらとを行き来するための舟の問題が生じています。イエスはこの食事の後、またカファルナウム(西岸側)へ戻るので、この移動は一体何のためだったのだろうか?と疑問が湧いてきます。ただただ向こう岸へ行き、ついてきた人々と一緒に食事をするためだったかのように記録されています。この食事は、「こちら側」ではできなかったのです。
イエスの移動がイエスの活動の基本的主張を具体的に表します。こちら側では野原で人々が雑多に座り、同じものから分けて食べることは実現しなかったのです。しかし、向こう岸へ渡るのは、ここで生じている食糧の枯渇に象徴されるように、人間の基本的生活が揺るがされることを意味しました。それでも多くの人々がイエスに追従し、向こう岸までついて行ったのです。この人々は今、世界中で移動を続ける一億人以上いる難民のようです。その場所にとどまることができなくなる理由はさまざまです。宗教上の異質性、セクシュアリティ、経済上の問題、政治信条の違いによる迫害…。究極の判断をし、向こう岸を目指す人々はサバイブ〜生を肯定する熱情から移動を始めます。時は奇しくもユダヤ人の祭りが行われる時です。
記念の食事はどんなふうにもたれていたでしょうか。閉鎖された空間で血縁者が内向きに食事と宗教儀礼を行うのです。「私たちらしさ」が強調されることのなんと恐ろしいことでしょうか。私たちらしさなど、他者の異質さとの対比でしか形成されないのに。
家の扉を蹴破り、家族の縛りや使い果たされクタクタになる仕事の縛り、村社会、人種主義的な拘束、律法の鎖を抜け出してイエスに追従した人々のサバイブを目の当たりにし、イエスの方が心動かされていったのだと思います。「この人たちに食べさせるには」と。何の関係もない大勢の群衆に食事を提供するような筋合いはイエスに全くありません。しかし、イエスはこの人々を見て、ユダヤの過越の祭りを異なる「脱出」の記念にしたのです。その異なりがイエスに対する十字架を負わせる嫌悪と敵意になりました。ただ、野原へ出かけ、本当にわずかな、しかも人から差し出されたものを分け合って食べるピクニックに、厳格な宗教者、為政者たちは恐れをなしているのです。さあ、公園でピクニックをしようではありませんか。いや、教会を壁に囲まれたビルにとどめ、自分たちの所有物だと考えて管理運営をすることから、もう解き放たれていこうではありませんか。もっている小さなものの価値を自分で決めて自分のものにすることから解放される、これが宗教的な救いだと思います。
ミャンマークーデターから3年の月日が経とうとしています。日本はあれほどの経済援助を投入して密着していたのに、暴力を批判するどころか待ち伏せするように息を潜め、村々が焼かれても、逃げ場のない子どもたちが飢えていても、積極的に関わることはありません。日本にある教会はイエスについていこうではありませんか。その先にあるものがパン五つと魚2匹であることが想定されていたとしても、それを差し出した若き人の役立たずを抱擁していく群れでありましょう。
この聖書の箇所を読むたび、役立たずと言われることにより誇りを持って従事したいと思いなおさせられるのです。諦めず、非力な祈りの活動を続けていこう。(Ω)
野原での食事について、コロナ危機と教会の働きについて考察した拙論はこちらに収録されています。
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