「医療」と「美容」の垣根について思うこと

先日ポーラさんが「赤み」による肌の悩みにアプローチする商品を発表しました。
今までは黄くすみや茶色の色むらに向けた美白商品は他社含め多数発売されてきましたが、この「赤み」に着目しているのは現在この研究だけなのではないでしょうか。

赤みというと多くの原因が皮膚の炎症による血流の増加ですが、炎症は治療が必要になるため皮膚科で相談する必要があります。
一昔前では皮膚科でも症状の経過に関しては医師が目で見て判断することが多かったのですが、現在では血液検査により数値の増減で判断するようです。

今回ポーラさんが対象としたのはこの数値において「正常」と判断される範囲でその中で赤みが気になる人を30人に研究したという内容でした。

結果に基づき成分の優位性を実証したわけですが、では正常値を超える数値の“疾患”者に対しての効果が気になります。

この質問に対してポーラは「疾患者に対する投与実験をしていないので“わからない”」と返答。化粧品メーカーであり、製薬会社ではないという立場をしっかり重んじた誠実な回答だと思いました。
「効くかもしれませんね〜」なんて言い出す研究者なんて開発職だけでなく医学への冒涜、信用のカケラもないですからね。

この研究や対応から、美容と医療の違いおよび、役割の違いについて思うことがあったので私の一個人の「考え」を書きます。


医療というのは病気を治すために研究が発展していきます。医学的な研究、論文はあくまでも病気を治すために発表されます。

一方で美容は健康的な人がさらに人生を豊かにするためにお金を払うことから、ビジネスとして研究がなされます。「肌をもっと艶やかに見せたい。」「若く見られたい。」そんな欲望を満たすために商品開発されるのです。

では、脱毛に置き換えてみます。
髭が生えるのは皮膚疾患ですか?足に毛が生えるのは生活に支障が出ますか?
あくまでも健康状態良好な人間が快適に生活するための行為だと考えます。
髭剃りによるニキビや肌荒れ、VIOの蒸れによる炎症など関係しそうな事例はいくつかありますが、脱毛を治療の一環として薦める医者は多くないと思います。(少なくとも一般医療従事者であれば)
医療行為である必要がない、美容として捉えることが考え方として健全なのでは?ということです。

さて、ここで医療脱毛を扱うクリニックの存在意義について考えてみます。
脱毛行為はそもそも細胞の変性を伴う医療行為だと言われています。毛を生やす細胞そのものにわざわざ傷を与え生えなくするという原理だからです。
サロン(美容)脱毛ではその細胞の変性を伴うような行為はもちろん医師法に違反します。あくまでも減毛目的であり細胞を弱らせるまでにすぎません。

じゃあ医療脱毛の方が確実じゃないかと思う方も多いと思いますが、冷静に医学的に研究はなぜ発展するのかということを思い出して下さい。病気を治すためなのです。

医療脱毛においても、明確な論文やなぜ毛が抜けるのかについての研究は実は曖昧なのが現状です。
AGAの研究ですらまだまだ発展途上で一般皮膚科における治療が浸透しないのも同じ理由なのではないかと思っています。

医学的な根拠は置いておいて、危険を伴う行為である可能性があるから医療にこだわりたいという主張はよくわかります。
ただ、サロンは全く効果ないと批判し広告を打ち出すような医者のことを信用して良いものなのかは正直疑問です。

もちろん医療脱毛を批判するつもりは全くありません。脱毛の仕組み上、毛根が深すぎる方や皮膚の状態から医療での脱毛をおすすめしたいお客様はいらっしゃいます。
論文や根拠は発表されていなくても、経験というデータの蓄積が存在するのは脱毛業界だけでなくあらゆる分野において言えることです。

結局じゃあ誰を信じれば良いんだ!誰が経験豊富だと言えるんだ!という感じではありますが、それは口コミで判断するしかないという結論にたどり着いてしまいます。
難しいのが、人間の評価は必ずしも効果と満足度がイコールではいというのもまた面白いです。
私もサロン脱毛屋で働く身として、効果だけでなく総合的な満足度を追求していかねばと思います。

結論として、「医療」にこだわる理由について深く考えてみてほしいと思いました。医療じゃないなら効果ないというのは実に浅い思考です。ポーラに謝れ!(違う)

「おたくは医療じゃないんですよね?」という質問をよくされるのでなんとなくクドクド解説してみました。はい。医療ではなく美容脱毛です。と答えると「じゃあ結構です」なんて言われることもしばしばですが、一度なぜ医療にこだわるのかを考えてみてほしいな〜と思う今日この頃でした。めっちゃ濃いのかな?

では。なにとぞ!

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