見出し画像

【オッペンハイマー早く観たいぜ読書】多田将さんの「核兵器」を読んで、少し悲しくなってしまい、そして、少し怒ってしまった話

クリストファー・ノーラン監督の映画「オッペンハイマー」が日本でなかなか公開されないので、公開された際により楽しめるよう色々と勉強するための読書(略して『オッペンハイマー早く観たいぜ読書』)をすることにして、一冊目を先日読み終わりました。

一冊目は多田将氏の「核兵器」。


(書影は版元ドットコムより)

とにかく核爆発が起こることの化学的、物理学的な仕組みと、それを起こすための原子爆弾の機構的な部分を、ネットミームとかネットスラングとかを使ってオタクの人向けに読みやすく書いた本、というところです(茨城県大洗が『戦車の街』と言われても、アニメファン以外は???でしょう…)

ハードカバーで¥6,000近くする本なので、歯応えがある感じかなと思っていましたが、淡々と化学や物理学の数式やメカの部分の仕組みを述べていくので、内容としてはアッサリとしています。

分かり易くて良いのですが、値段と装丁からして、やはり、もっと濃厚な内容(サイモン・シンの『暗号解読』や『フェルマーの最終定理』のような)を期待していたので、そこは少し残念。

全体的に学術的ではない雰囲気も有り、ソフトカバー¥3,000ほどで上下巻にするくらいが丁度良かったんじゃないかなと思うのですが、装丁と値段と全体の雰囲気は、多田さんなりのユーモアなのでしょう。理系の人の笑いのセンスというのは、時々、微苦笑せざるを得ないものがありますよね(微苦笑)

よって、オススメ出来るかという観点から言うと、核兵器の科学的・技術的な面を知るにあたっては全く文句が無いものの、多田さんは同じく核兵器の仕組みを書いた本を安い値段で出していますので(私は読んでいませんが)、核兵器の仕組みを手軽に知りたい人は、そちらを買った方が良いのかもしれません。

「核兵器」に興味がある方は、買う前に図書館等で手にとって頂き、値段と本棚の余裕と多田さんのユーモア(微苦笑)が許容出来るか、というところを確認頂ければと思います。

さて、感想ですが、読み進めていくうちに私は少し悲しくなってしまい、そして、少し怒ってしまいました。

内容は上記の通り淡々とした科学的事実の羅列なので感想も何も無いのですが、その「少し悲しくなって、怒ってしまった」ことについてだけちょっと書いていきたいと思います。

原子の仕組み、つまり、陽子の周りを電子が回っていて、その間には中性子が有るとかですね。そして、陽子と電子が引き合う力を連鎖的に解放したりするといった基本的な仕組みを読み進めていくうちに、確かに原子爆弾というのは人類の科学的思考の一つの到達点なのだろうと私は感じました。

原子は陽子と電子で出来ているとか、陽子の周りを電子がもの凄い速度で回っているとかの、この本で説明される核兵器に関係する原子や電子の仕組みは、「誰も見たことも触ったこともないもの」です。

電子が陽子の周りを回っているのを見た人や、電子の動いているところを速度計で測った人もいないでしょう(少なくとも原爆の開発当時)

全ては「陽子の周りを電子がもの凄い速度で回っている」ことから起こることを観測したり、実験で確かめたりして、「見えないけど、こんな仕組みになっているはず」とか「触れないけど、こんな風に動いているはず」と、頭の中で考えて、紙(当時)の上だけで証明したものなのだろうと思います。

更には、そんな誰も見たことも触った事もない、紙(当時)の上だけで証明されたことから考えて、「こんなことを起こせるはず」と核爆発というとんでもない現象を人類は実際に発生させることが出来ました。

見えないもの、触れないものを頭の中の理論だけで証明する。そして、証明された事を応用して、全然別の成果を得る。この能力は地球上では人類しか持っていないものと思います。

道具を使ったり、知能が有ると思われる生き物(人間の3歳並の知能がある…とか)は沢山いますが、この能力だけは人類がだけが持っており、「他の生き物より優れている部分」と、言っても良いでしょう。

原子爆弾は人類が持つそんな能力を最大限に発揮して作り上げられたものだ、ということを多田将さんの「核兵器」を読み、知りました。

そして、そこまで知った後、私はまず悲しくなりました。

当時の最高に頭が良い人達を集めて、人類だけが持つ素晴らしい能力を存分に発揮して作ったものが、「ものすごく光と熱を出す、制御不能のデカい爆弾」でしかないことにも、また気付いたからです。

少し本題を離れて、核兵器は武器としての性能はどうなのでしょうか。

私見ですが、武器とは「使用者の任意の場所に力(衝撃力や貫通力や熱など)を届けるもの」と思っています。そういう点で言うと核兵器は深刻な欠陥の有る武器です。だって、使用者の任意じゃない場所に熱や光を届けちゃうし、その威力を調整することも、ある程度しか出来ないし…

実際に人類は2回しか使えていません。使わなかったのではなく、使用条件が厳し過ぎて、指揮官も運用する部隊の人たちも、使う決心をすることが出来なかったのでしょう。

核兵器は戦略兵器として扱われることが多いですが、「欠陥兵器だけど威力が有りそうだから政治的に意味を持ってしまう兵器」というと第二次世界大戦前の「戦艦」が思い浮かびます。

戦前は「戦艦」も今日の核兵器のように保有量を国際的に取り決めて制限したり、制限交渉結果は日本では国内政治に深刻な影響を及ぼしました。

そして、第二次世界大戦時の戦艦の「活躍」については、広く知られている通りです。

核兵器も、いざ戦争が起こったとしても使いあぐねている間に使えない状況に陥って、有効に使われることなく、通常兵器の戦いだけで戦争が進むような気がします。ロシアのウクライナ侵略戦争もそうですが、戦後、核兵器保有国はいくつもの紛争を経験したものの、核兵器を使用していません。

ここから本題に戻すと、つまり、「地球上で人類しか持っていない素晴らしい能力を最大限に発揮して作り上げられたものが、使うことが無い欠陥兵器」でしかない、ということに私はすごく悲しい気分になってしまいました。

本の中で「どうやってこれを証明したのだろう」「どうしてこんな凄い事を思いついたのだろう」と核兵器の科学的、技術的に凄い部分を知っていくのと同時に、その悲しい思いは強くなっていったのでした。

しかし、核兵器を作るための原子力の技術は人類に恩恵をもたらしたものもあります。例えば原子力発電。

私は原子力発電については、(実は)そんなに悪いイメージを持っていません。不幸な大事故が起こってしまいましたが、技術的に困難な部分は人類の科学技術の進歩で必ず克服出来ると思っているからです。

しかし、「核兵器」を読み、原子力技術の複雑さや難解さを知るにつれてちょっと思ったのが、国力の少ない国家は原子力技術を運用出来ないんだろうな、ということでした。

現在、原発を運用している国家は30くらいとのことで、あまり途上国は無さそう。電気が整備されていない途上国にこそ、発電効率の良い原子力発電所が有っても良いと思うのですが、「核兵器」で仕組みを調べると、メンテナンスにかなりの費用とか技術力とかも必要そうに思えます。某国のように、独裁国家が無理矢理作るくらいじゃ無いと、小国は保有が難しいのかもしれません。

原子力発電は人類の科学力が産み出した素晴らしい技術の一つと思いますが、その恩恵を受ける事が出来るのは、貧しい国の人々ではなく、一部の裕福な国の人々でしかないとするならば、それは人類にとって「素晴らしい技術」と言えるのでしょうか……

ここで、少し原子力の話から離れて、「荒野に希望の灯をともす」という映画の話をしたいと思います。

「荒野に…」は病や戦乱、干ばつに苦しむアフガニスタンを支援し続けた医師の中村哲さんのドキュメンタリー映画。

映画の中で中村さんが干ばつで荒野になったアフガニスタンの土地に用水路を作ろうとする場面が映されるのですが、水を引き入れる河の流れがあまりにも激しいため、どんなに堰を作っても決壊してしまいます。

中村医師は様々な堰の形を模索して行く中で、日本の福岡県の筑後川にある堰(山田堰)に目を付けます。そして、同じ手法を使ってアフガニスタンに堰を作ったところ、見事に用水路に水を引き入れることが出来たのでした。

この「山田堰」ですが、実は江戸時代に作られた堰で、堰の角度や川の水を誘導するために構造物がうまく配置されており、補修を重ねながら今でも機能を果たしているとのこと。

映画を観た後に知ったのですが、中村さんがアフガニスタンで江戸時代に作られた山田堰と同じ技術を採用したのは、完成後に現地の住民でもメンテナンスが可能ということもあるそうです。

そして、完成した用水路は荒野を緑の大地に変えました。

「荒野に…」のDVDのパッケージの裏にはこう書かれています。

今、アフガニスタンに建設された用水路群の水が、かつての干ばつの大地を恵み豊かな緑野に変え、65万人の命を支えている

今後もこの山田堰の技術を活用して作られた用水路により、命を支えられていくアフガニスタンの人は増えていくでしょう。

さて、美しい「山田堰」の話から、残念ながら「核兵器」の話に戻すと、広島、長崎に投下された原子爆弾による死没者について、正確な数値は不明とのことですが、それぞれの市が管理している原爆死没者名簿の登録数は以下の通り

広島: 33万9,227名〔令和5年8月6日現在〕

https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/15513.html

長崎: 19万5,607人(令和5年8月9日現在)

https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020100/p002235.html

合わせて53万人以上もの人々が原爆によって亡くなった事が判明しており、この数字はご遺族の申し出や調査により新たに判明した死没者の方が判明した場合は、追加されていくそうです。

二発で50万人以上の人々を殺し、それ以上の人々に死に至らないまでも深刻な苦しみを与え続ける「核兵器」の技術。そして、一部の裕福な人々か、核兵器を作る強い意志のある人しか恩恵を与えられない原子力の技術。

治水の技術と発電の技術は違うものですが、「人類の産み出した技術」として考えた時に、江戸時代の山田堰の技術と現代の原子力の技術は、どちらが素晴らしくて凄い技術なのか。

素晴らしいとか凄いとかは価値観の話なので、人それぞれかと思いますが、私としては、技術というものは進歩すべきものなので、未来に生み出された技術の方が過去にあるものよりも素晴らしくて凄いものであって欲しいと思っています。

山田堰と核兵器について考えた時、そうは簡単に言えないのが悲しく、そして、こんな風に考えざるを得ない現実に少し怒りが湧いてきたのでした。

という感じの「オッペンハイマー早く観たいぜ読書」の一冊目でした。

ノーラン監督の「オッペンハイマー」では、科学者の思考が上手く映像化されている、という評価を見ましたので、この本で読んだ内容がどのように映像化されているのか、楽しみにしたいと思います。また、映画を観た時に、お、あの仕組みはこういう感じの表現にしたんやなとか思えたら良いな、と思いました。

それでは、次の「オッペンハイマー早く観たいぜ読書」の感想でお会いしましょう。

早くオッペンハイマー観たいですね。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?