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宮崎駿監督「風立ちぬ」の感想:神を振り向かせる死の舞

この感想文は宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」公開時(2014〜2015)にFBで投稿した内容を若干修正したものです。「風立ちぬ」の初見時、私は映画館の座席から立てなくなるほど心を揺さぶられてしまいました。その後、公開終了まで6回ほど映画館に脚を運ぶことになります。

なぜ、私がこの映画にここまで惹かれてしまったのかを自分なりに考えてFBに投稿したのが以下の文章です。この映画のとある登場人物の描写を称賛する内容になります。今回はそんなに長くないので、気楽に読んで頂ければ幸いです^_^

題名「神を振り向かせる死の舞」(「風立ちぬ」の感想)

『風立ちぬ』は私のように凄く感動した、という人も居れば、イマイチ面白くなかったと言う人も多い映画だったかなー、と思います。

「風立ちぬ」は映画の内容としては、主人公である堀越二郎という飛行機が好きな男の人が、美しい飛行機を作りたいと思い、挫折を味わいながらも、最終的に作る話です。

実は『風立ちぬ』の内容はそれだけです。でも、私は凄くこの映画を気に入ってしまいました。

私は元々、宮崎駿監督の映画が好きですし、話の内容も原作を読んでいたので心構えが出来てたし、逆に原作と違う所にビックリもしました。

また、宮崎監督の兵器に対する深い洞察(雑想ノートや泥まみれの虎などを参照)や、そこから導き出される戦争に対する思想も好きで、その思想を前提にした描写に関しても大好きです。

「風立ちぬ」にしても、屈曲煙突の「長門」とか空母も「鳳翔」が出てきたり。普通の監督の映画だったら、見た目重視で、『大和』は出さないにしても、『赤城』や『加賀』を出してしまったような気もする。

公開時の2014年あたりまでは、我々のような兵器が好きな人は映画やアニメに於いて、そういう『裏切り』みたいなことをずっと経験してたから、そういうのが全く無くてそれはとても、良かったと思います

何の話か分からないかもしれませんが、「デティールで描写の破綻が少なかった」ということです(「風立ちぬ」や「この世界の片隅に」の公開以降は、だいぶ風向きが変わったように感じています)

じゃあ、兵器や飛行機の描写が秀逸で、飛行機のこととか戦争のこととかが描かれたアニメだったから好きだったのかというと、そういうわけでもないかな、と思っています。少なくとも、それだけで6回も観に行くことはないと思います。

やっぱり、この映画で好きなのは、駅で抱きしめるシーンだし、結婚式のシーンだし、寝室でタバコを吸うシーンだったと思う。要は、後半で菜穂子さんが何かをするシーンがすごく好きで泣いてしまったと思う。

この映画は上で書いたように、結局は飛行機を作る話で、そういう観点から言うと、菜穂子さんの役目は軽井沢で終わってる。初めて作った試作機が試験で失敗し、打ちひしがれていた二郎は、菜穂子と軽井沢で再会・交流・婚約することで、心の傷を癒し、新たに飛行機を作ることが出来るようになる。

実は、ここで『風立ちぬ』は飛行機がいきなりびゅーんと飛んで終わっても話としては成立するし、飛行機を作る映画が好きなら、後のごたごたは要らん(現にそういう人も居る)。どうして、ここまで、自分が菜穂子さんのシーンに惹かれたかということを理解することが、そのまま自分が『風立ちぬ』で感動してしまった理由になると思います。

まず、思うことは、話の流れとして、堀越二郎はもう軽井沢で回復したのだから、あとは菜穂子さんが居なくても、きっと最終的に美しい飛行機を作れただろうということ。

彼は地震の火焔の中に夢で見た第一次世界大戦期の爆撃機を見てしまう人だし、ラストシーンの最後の最後まで空を見ている。もう、彼は空と飛行機に対する憧れと夢しか頭に無くて、それを実現する尋常じゃない才能も持っている。言ってみれば、既に「完成」している人間だと思う。

再生した二郎にとれば、菜穂子さんは、自分の夢を実現する仕事の邪魔かもしれない。もしかしたら、菜穂子さんのことを邪険に扱ってしまうかもしれない。

でも、二郎がそうしなかったのは、菜穂子さんが結核で、もうすぐ死ぬと分かっていたからだろう。

菜穂子さんは堀越二郎という空と飛行機に関して『完結』してる人間、言って見れば、既に違う世界で暮らしている『神』のような存在を好きになってしまったわけで、その人を振り向かせなければならない。

そのためには、やっぱ、尋常じゃないことをしなければ不可能と思う。

私が好きな、療養所から抜け出して名古屋まで来た菜穂子さんを二郎が駅で抱きしめるシーン、弱々しく、よろめきながらも行われる結婚式のシーン、何気ない会話をしながら寝室で二郎にタバコを吸う事を許すシーンは、そういう、菜穂子さんが二郎のために、好きな人のために命を燃やして、その行為に二郎が振り向いてくれたシーンだと思います。

そういう、命を燃やして好きな人を自分に振り向かせようとすること、言い換えれば、菜穂子さんの「死の舞」が美しく、儚く、痛ましくて、私は魅了されてしまいました。また、自身も夢に向かっている二郎が、菜穂子さんに振り向くことに納得できたのだと思います。

『お互いが、大切に時間を過ごしている』というような台詞を劇中で二郎が言っていましたが、お互いの大切なものに命を燃やす二人、特に、どちらかというと菜穂子さんの姿が素晴らしかったのがこの映画の良い所だと私は思いました。

同様のテーマの映画は他にもいくらでもあると思うのですが、日本の映画、しかも、ジブリの映画で観れるとは思わなかったし、その描かれ方が、美しい日本の自然や、懐かしい日本の雰囲気と合わさって、とても丁寧で素敵でした。

この映画の批評に関しては、飛行機の夢を追う堀越二郎に対して、宮崎駿監督の想いやアニメ作りに関する経験が反映されている、というものが多数あります。

もちろん、そういう側面もあるのでしょうが、作り手の経験や体験が作品に反映されるのは当然と思うし、本当はそこを超えて何か新しいものを作るのが、作り手の使命じゃないのか、と受け手側の人間からは思います。

飛行機を作る二郎と同時に、菜穂子さんの命を燃やす姿を美しく描いた『風立ちぬ』はそういう点でも、しっかりと出来ているように私は感じました。宮崎監督は前作のポニョで、ストーリーを放棄するような映画を作っていたので、もう、このままそういう映画を作っていくのかな、と思っていましたが、こういう映画がきて、やっぱ凄いなーと。

公開時から日本映画、アニメ映画で、これほどの映画は、少なくとも私の中でなかなか出ていません(「この世界の片隅に」は勿論感動しました)。当時、宮崎監督はこの映画で引退する、ということで大きな宿題が日本の映画に残されたのではないか、と個人的に思っていました。

宮崎監督は引退を撤回して「君たちはどう生きるか」を製作中とのことです。「風立ちぬ」は戦争や不治の病などの強い風が吹く中、「生きようと試みなければならない」と二郎や菜穂子さんのような激しく美しい生き方が描かれました。宮崎駿監督が最新作で、我々にどのような生き方を示すのか。それとも、問いかけるのか。楽しみにしています。

と、いう訳で、「風立ちぬ」に関しては、「飛行機を作るシーンはよかったけど、菜穂子とのラブシーンは要らんかったやろう」という人が私の周りには多いので、菜穂子さんとのシーンを称賛する感想を、今回は書いてみましたよ^_^

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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