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卒業

その子は発達障害と診断され支援学級に通っていました。
小学校6年生の時、お母さんから、
「ピアノが習いたいと言うのですが、そういう子でも教えてもらえますか?」
と聞かれて、私も障害のことはよくわからないし、いろんな子がいるだろうから、やってみて合わなければやめればいいと思って受け入れることにしました。

集中力が続かず、キレることがあるので小さい時から薬で抑えているというので、ちょっとドキドキしましたが、会ってみると、ちょっと会話が一方的な感じなだけで、いたって普通。
耳が良いらしく、ピアノは習ったことがないのに、学校にあるピアノを弾いたりして、好きなゲーム音楽も再現できます。
楽譜を読むのは苦手で、時間がかかるとイライラも増すので、鍵盤の上で和音の説明をして、コードを教えました。
「そうか!これで左手をつければいいのか!」
いつもメロディを弾くだけだったのが、ちゃんとピアノ曲として演奏できると知って、それから一気に集中し、しばらくすると好きな曲も楽譜についているコードネームを見てメロディにコードをつけられるようになりました。

和音の響きには特に敏感で、ある時、自分で探って綺麗な響きを見つけると
「この音 ヨコハマみたい」と言いました。
ヨコハマ?
「この前ヨコハマ行ったんだ。景色が綺麗で、この音その時のヨコハマっぽい」
彼のその話に、私も夕焼けに染まった港と観覧車を思い描きました。
発達障害?キレる?彼が評価されている側面は一つしかないのだろうか?疑問に思うほど、時にこちらが何かを気付かされるような表現をします。

いつも合唱曲集をバッグに入れていて
「これ弾きたいんだよね」
と見せてくれます。角が擦り切れた曲集は好きな曲にたくさん付箋が付けられていました。
でも支援学級だとクラスで合唱コンクールに出るのも難しいのか、結局弾かせてはもらえない。
ねえ、1曲練習してみない?私が歌うから

その日から、1小節ずつゆっくり、ゆっくりレッスンを始め、ついには最後まで弾けるようになりました。彼の夢。合唱の伴奏はできないけど、彼のピアノに合わせて私が歌うことで彼は満足そうでした。

小学校を卒業して
中学も支援学級でした。
学校と合わなかったようで、だんだんとレッスンで不満を言うようになってきました。説明もよくわからないことが多いので、状況がわからないのですが、少なくとも先生や同級生たちと理解し合えず、ストレスがあるようでした。
それでもピアノを弾くと、
「この大きいピアノをホールで弾いてみたいなあ きれいな音するんでしょう」
と少し気持ちを切り替えてくれました。
お母さんからも「イライラするとピアノを弾くようになりました」と聴いていたので、音楽が彼の気持ちをニュートラルにしてくれればと思っていました。

ある時、レッスン室に入ってくるなり
「今日手首痛くてピアノ弾けない」と湿布した手首をみせました。
どうしたの?
と聞くと、
「あいつひでえんだよ!もう大っ嫌い、一緒にいたくない」
と吐き出し始めました。
あいつ が誰なのか?ははっきり言わないのですが、話を聞いているうちにそれが父親のことだとわかりました。
つまりは父親と何かあったらしい。
どちらが悪いのか? わからない、、、もし虐待なら、、

想像ばかりしていても仕方ないので、お母さんに聞いてみると
「キレてお父さんにねじ伏せられた時の傷」だと話していました。
それもどこまで、どう信じたらいいのか? いや真実だろうと虚偽だろうと私には何もできない。
私にできることは、レッスン日にここで彼を迎えることだけ

また別の日
「もうこの名前嫌なんだよね 名前変えたい」
と突然言い出しました。
え?どうして名前変えたいの?
「嫌なんです 男の名前 GLDなんだよね」と言いました。

そうだったのか。
性同一性障害。実は時々お母さんのスカートをはいてきたり、ワンピースのようなTシャツをきてきたりすることがあって、もしかしたらと思っていました。
それも自覚し始めたのは中学生になってからだと思われます。
辛かったんじゃないのか?
このこともお母さんに確認したら、やはり男子用トイレも入れないし、体育の時間着替えるのも辛かったらしいと、、

この子は理解してくれる人がいなかったんじゃないだろうか?
子供の頃から、何かそういうストレスがあってキレていたんじゃないだろうか?
それを薬で抑えていたのは良かったのだろうか?
男の子がGLDになる理由には父親嫌悪もあるらしく、同性になりたくない気持ちがそちらに向くこともあるとか

でも、やはり何もできない

レッスンでは一度もキレない。それどころかごくごく真面目に練習してくる。
初めは読めなかった楽譜も
「やっぱり楽譜読めなきゃダメだよね」というので、
と基礎練習のテキストを始めたら、家で何時間も練習してきてみるみる読めるようになっていきました。
「パッヘルベルのカノン弾いてみたいんだ」
と言うので楽譜を渡すと、完璧にできなくても嬉しそうでした。

ある雪の日、バスも本数が少なくて2kmくらいある家から教室まで歩いてきた時のこと、玄関で
「ああ、よかった。ビニール袋履いてきて」
というので、どう言うことかと思えば、雪の中を歩いてくるのに長靴も持ってない。普通の靴では水がしみ込んでしまうから靴下の上にビニール袋を履いて、靴を履いてきたのです。
靴下の上に履いたビニール袋を脱ぎながら
「ああ、よかった。先生のうちの玄関濡らさなくて」

先生のうちの玄関濡らさなくて

そんなこと考えないでベタベタ濡れた靴下で上がってくる子もいるのに、礼儀の基本である相手の気持ちを考えることもちゃんとできているのです。
それなのに、、、、

それからも学校で彼のストレスは救われなかったのか、修学旅行先では友達に嫌なことを言われたと電車の車内で友達と取っ組み合いの喧嘩になって東京に返され、果ては親が同伴でなければ登校もできなくなりました。

この子は絶対悪い子じゃない。何か誤解されてしまった。
小学校からの申し送りなのか?それともGLDという特性があるからなのか?
一度ずれた歯車は、戻ることなくみしみしと音を立てて壊れていくようでした。

ああ、それでもやはり ただのピアノ教室の先生では誰にいうこともできない。

それでも彼は3年間中学に通いました。
進学先はやはり障害を持った子が通う高校

この春、新学期が始まって初めてのレッスン
学校どう?と聞くと
「うん、中学よりずっといい。学校行くの嫌じゃないよ」
と表情も穏やかです。
学校がそういう学校だけに余計なレッテルを貼られることもないし、きっと対応もちゃんとできているのでしょう。

よかった。学校に楽しく通えるのが一番よ
「それで、、部活入ろうと思って、それと、職業訓練とかいつ入るかわからなくて」
卒業したら就職できるように在学中に職業訓練があります。
「だから、ピアノ練習する時間なくて、すみません今月で辞めます。やめて、高校3年間は勉強と訓練します。すみません。ほんと、すみません」

何度も謝ることない
今までこのレッスンはこの子が心を休められる場所でした。それがもう必要なくなったということ
これで全て解決したとは思えないけれど、彼が辛い思いをしていた時にほんの少しでも音楽が救ったと思えば、私も救われる。

彼は私の教室を卒業していきました。


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