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「息子」の存在について。

こんにちは、ウリ子です。
突然ですが、アラフィフである私には、今年22歳になる息子がいる。

大学4年生である彼は、ここから車で2時間以上かかる、大学の寮に入っている。
寮に入っている、はずなのだが、私が今年2月半ばにこのアパートを借りてから、恐らく半分以上はここ(アパート)に帰ってきている。

それというのも、このご時世、授業がほぼリモートらしいのだ。至極あたり前のことだけれど、「リモート」とは、家にいながらにして授業が受けられるということである。

そこで、ちょっとばかし困ったことになった。
私は毎日、記事の投稿をすることにしている。
5月末まではブログへ。今はnoteに。
まだまだ文章をまとめるのに慣れていないので、記事を書き終えるまで「あーでもない、こーでもない」と、かなり時間がかかるのだ。

そして、息子はかなりの‘’おしゃべり‘’である。
部屋は二つあるのだけれど、彼がくつろぐ部屋はリビングだし、私の作業用デスクもリビングの一角にある。

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息子は基本、ずっと喋っているので、
「さあ、今から記事に取りかかるぞ」
というとき、一応
「私は今から記事に取りかかりますので、静かにしていてくださいね」
と彼に伝える。

のだけれど・・・しゃべるのである(笑)。

そんなとき、
「ああ、ひとりなら、どんなにはかどるだろう。」と、正直思ったりする。

しかし、そもそもこのアパートを借りたのは、息子のためなのだ。彼が安心して帰ってこられる場所をつくるために、しがないパートのアラフィフが、一念発起してアパートを借りたのだ。

そして、そもそも、長男の存在がなければ、私は今、こうして息をしていないだろう。彼の存在が、今のわたしの存在意義なのだ。

でも、息子が独立して家をでていくまでに、わたしも大人にならなきゃね。

だから今は、「もう~、うるさいなぁ~」という生活を、もうしばらく楽しもうと思う、ウリ子なのでした。

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