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不思議な世界 続2

連戦連敗が出て、安藤さんの話が出てきてしまった。学生の時にやはり避けては通れない人が安藤さんですね。安藤さんの建物を見るために日本中を旅して周り、彼が読んだものを読み、彼が訪れた場所を訪ねて欧州を歩いて回った。建築士といえば設計図です。建築は三次元のもので、立ちがってくるものだ。それを縮尺を変えた図面に起こして、パースをつくてってまだ更地を前にこれからこれやりますーーーー!と言って立ち上げていく。それをやるために、現存する建築物を実際に体験することでしか、その空間体験はできないと言われています。写真やVRなど、疑似体験は日本にいながら世界中の建築物を体験できる。傑作と言われる、修道院などは人里離れた場所にぽつんと建っている。まず、そこまでいくのに大変な思いをしていかないといけない。以前旅の話でも触れましたが、言葉ができないとしょうもない苦労をすることになります・・・。
ただ、そういうことばかり帰国すると覚えていて体を動かしたことが、脳みそにも残っていくようです。空間体験など二の次で、当時そこで暮らした人の息遣いを追体験しているんだと脳みそが勘違いするのかもしれません。歩くことが基本的な行動手段であったはずです。そこにあることの意味は車でたどり着くのとはまた違うと思ったものです。ですが、意味はないですねおそらく。歩くと大変ですが、歩いて旅される方も多い場所でサンティアーゴ目指して歩く巡礼路だったりして、日本にもお遍路さんなどあり、どこかを目指して歩いていくという体験は人には必要なのかもしれません。猿から人になって、歩き出したこと。脳よりも足の裏から何かを感じているのかもしれない。体の感覚が建築の設計には必要なのかもしれないと今では思っています。実際はそんなことを体現できるところまでは行けていませんが、いつかはと・・・。
安藤さん、修道院ときたら、コルビジェですが、彼のモジュールの絵はやはり人の体のバランスの基本になっている。彼らも修道院で瞑想に近い体験をして、それを体現している。考えた建築を実現することが物凄い大変で、デザインの良し悪しもありますが、完成させることがやはり人としてのエネルギーのなせる技だし、先人たちの凄さ。ガウディの建築でサグラダファミリアなどは、完成間近と言われていますが、彼が亡くなってもずっと作り続けられています。完成して欲しくないという人もいるかもしれないですね。今はもう21世紀、有機物による建築ができ始めて、自己進化、自己成長、自己修復を繰り返しどこまでも、大きくなる大木のような建築が生まれるかもしれない。生きている建築の中、かつて、子宮回帰とかいうちょっとアレな建築ありましたが、人をちょっとじめっと内包する空間がもうそこに・・・・。

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