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畑 記録1

暑い夏が終わって、涼しくなって雨も増えてきました。畑は植えたニンジンとブロッコリーの芽が出てきました。植えた苗も伸びて、葉を虫に食われた。頂いた竹刀を支柱が代わりにたてました。

久しぶりで、以前みたいに朝から昼過ぎまで作業してるわけではなく、時間がる時に耕して、草を抜いて、植え付けをしています。それでも、最近の雨でだいぶ作物が元気になってきました。

虫は嫌われ者ですが、その畑のバロメーターになっていると思います。ミミズや、本当に小さい虫、バッタも色々な種類がジャンプを繰り返しています。耕して土があらわになると、どこからともなく鳥が虫を啄みに来ていて、食物連鎖ができている。土の中で色々なものが分解されて、植物の栄養や虫のえさになり、またそれを食べる物がいて、さらに地上では受粉を助けたり、もっと多き虫のえさになり、最後は鳥が食べに来て、人は収穫して食す。人が食べるまで時間がかかりますが。

虫や植物は人と意思の疎通をすることはないですが、そこに人が来て、何か作業をして帰っていくことで、変化が起きている。草を抜くことは彼らの住まいを解体している。新しく種を植えることで、今まで勝手に作った家が並んでいた町を整地して、高層マンションを建てる感じになっている。雑然と乱立していた家々を碁盤目に沿って規則正しく秩序を持たせていく。そのほうが人が効率がいいだけで、自然からしたらその場所の条件に合った形で、生存競争をしていくほうが自然的には効率がいい。人が秩序を持たせるといいますが、植物はこちらが思ったように育たない。なので、住所は規則正しいが、そこに建っている建物は、支柱を立てているとはいえ、各々が勝手伸びていく。土の状態や日照に左右されますが、そこを一応管理しているつもりになっている人間にも沢山の作物になって、帰ってくる。

人が自然の中で生きるには先が見えなくて、不安だけれど、多少秩序を与えることで、見通しがでてきて安心できるようになった。安心できれば、食べることの心配がなくなれば、暇になってそれ以外の事を考えるようになった。

シンプルでよかったことが、効率化することで複雑になってしまった。より単純にしようとしたり、食べることを心配しすぎて、目的や手段がごちゃ混ぜになった。

何も考えないで、ぼんやりしていければこれほどいいことはない。食べ物の事を考えないために、食べ物のことを考えて計画して、実行しないといけない。

現行の生活をもう一度考え直して、心地いいこと、好きなこと、得意なことをやるためにどうするか。単純に楽にできるようにしないといけない。

今は自然を追いやって安心できるようになったはずなのに、そのシステムが行き過ぎていて、新しい形を作るか、元の状態に戻るか、そのままやっていくかの転換期に差し掛かっているように見える。空の雲や青さはずっと変わらないし、土の中や地表面1500mmくらいまでの状況もずっと変わらない。人が勝手に楽になりたくて考えた世界で、一つの世界が作られたけれど、そこからまた楽になろうとしていてもがいているようにも見える。単純に空をみたり、浜辺を歩いてみたり、森の中で深呼吸してみるだけでも本来そのままの世界に戻っていける気がする。失敗を思い悩んだり、より以上の成長をしなくてもいい。本来そのままの自分で素晴らしいと。


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