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native | FIELD assistant

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NPO法人フィールドアシスタントがお届けする、世界各地の人たちに暮らしの知恵を求めて話を聞くポッドキャスト「ラジオネイティブ(radio native)」を公開中。このマガジンは… もっと読む
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#北海道

nativeとは

厳しい環境の中にこそ、美しい暮らしがある これは極地建築家・村上祐資の信念だ。地球上で「極地」と呼ばれる場所は、牙をむいた自然が目の前に迫り、人を容易には寄せつけない。だが、そんなところでも人は暮らしを続けている。日本の南極観測隊はもう60年以上、雪と氷の地で暮らしをつなぎ続けてきた。富士山の山頂で観測を続ける人、あるいはヒマラヤのベースキャンプで登山家を見守る人たちもいる。村上はそんな場所に出かけては、もう1000日以上、暮らしてきた。建築家としての関心は、極地の暮らしのな

コミュニティーづくりで探る「共生の方法」

なぜ人って歌を歌うんだろう今井 今回も北海道で文化芸術プロジェクト作りに関わる木野哲也さんにお話を伺います。今の木野さんのお仕事「アートディレクション」というのでしょうか、この仕事にどういうふうに行き着いたんでしょうか? 木野 さかのぼると、高校生ぐらいかもしれないですね。「こういうことやるぞ」って思ったわけじゃないんですけど、アートというか、文化事業だったり文化活動を仕掛けることが今は多いですけど、元々プレーヤーだったんですね。例えばパンクバンドをやってたり、ヒップホップ

「アート×地域資源」で始まる新しい1ページ

森から町へ「降りていく」今井 今回も北海道で文化芸術プロジェクトづくりに関わる木野哲也さんにお話を伺います。これまでのお話の中で、飛生には本当にいろんな人たちがいろんな地域から集まってくるという話を伺ったんですけれども、飛生アートコミュニティーの活動が地元にはどう広がっているんでしょうか? 木野 きっと「飛生の活動をものすごく知ってます」っていう方はそんなに多い気はしてないです。でもこれまでにやってきたことが、メディアに載ったり、ずいぶん飛生に人が行ってるなとかという印象は

ここで積み重ねてきた時間そのものが作品

物事をつくるプロセスを知る今井 北海道で文化芸術プロジェクトづくりに関わる木野哲也さんにお話を伺っています。前回は北海道白老町の飛生にある芸術家のための共同アトリエの横で、森づくりをされているお話を伺ったんですけれども、木野さん自身はこの森に関わるようになって何か変化って感じていますか。 木野 そうですね。僕自身、これが変わったかなって思うのは、一つあげるとしたら飛生に出会うまでも、いわゆる文化芸術に関わったり立ち上げたり、仕掛けたりすることを札幌市内とか北海道でやってきた

出会った景色から広がる心の風景

写真のように写し取ることはしない今井 国松さんは今、どんな作品を制作中、あるいは展示中でしょうか? 国松 制作拠点にしている場所から見える風景みたいなもの、それが作品のヒントになっているというのがあって、主には水平線とか地平線ですとか、山でいうと稜線みたいな、ちょっと境界線になるような場所に引かれる部分があり、水平線や地平線を題材にしたHORIZONという平面作品のシリーズが一つあります。  あと立体彫刻だと、GLACIER MOUNTAINっていう、氷河の山っていうような

人や風景に出会い、変化していった制作プロセス

子どものころのように夢中に 今井 今回も北海道白老町で彫刻家として活動される国松希根太さんにお話を伺いたいと思います。これまで白老町の話をいろいろ伺ってきたんですけれども、国松さんの作品が生まれるまでにはどういうプロセスを経るのでしょうか。 国松 僕は主に彫刻ですとか、木の板を題材にしてそこに描く平面作品を作っています。プロセスというと、素材があったり、イメージがあると思うんですけど、それを形づくっていって、最後完成する流れなんですけども、昔はちゃんとスケッチをし、模型を作

時間をかけて近づいていった飛生という地域

この土地との出会い 今井 北海道白老町で彫刻家として活動される国松希根太さんにお話を伺っています。 今活動されている白老の飛生という地区に、最初出合われたのはどういうきっかけだったんですか。 国松 元々「飛生小学校」という学校だった場所が1986年3月に閉校することになったんですけど、その時に跡地利用について白老町の方でどういう活用方法があるかっていうところで、数名の芸術家に開放して共同アトリエとして使ってはどうかっていう話があって、その時に僕の父も彫刻家なんですけども、僕

「自然」と「ゲスト」のリズムの間にたって旅をする

雪にあこがれ、北へ今井 今回は辻さんが北海道・天塩川でアウトドアガイドになるまでのお話を伺いたいと思います。まず辻さんは子供のころ、どんな場所でどんな子供時代を過ごしたんでしょうか。 辻 今北の果てで住んでるんですけども、生まれ自体は徳島県なんです。温暖でこっちに比べると常夏のような場所で生まれ育ったんです。 村上 その辻少年が、どういった変遷を経て、北海道の道東を経て、どう北上してきたんですか。 本当に田舎で生まれ育って、夏休みの40日間ずっと海パンで過ごしてたよう

北海道美深町の暮らしと長い冬

川の魅力を子どもたちに伝えたい今井 今回は辻さんが普段、どんな人と一緒に暮らし、どんな人と仕事をされているのか、そんな話から伺えたらと思います。 辻 そうですね。僕のガイドの仕事に関しては一人で家族と行ってる小さなガイド屋なんです。前回までの話を聞いて、すごい北海道の大自然を思い浮かべているかもしれないんですけども、僕が住んでいる美深(びふか)町は4000人ぐらいの人口があって、町の人たちもとても魅力的なんです。 村上 美深の方々はどんな方々なんですか。 辻 そうですね

懐の深い道北の大河、天塩川を行く

このシリーズは、暮らしをつなぎ続けるためのヒントについて、「ネイティブ」を知る様々なゲストをお呼びしてお話を伺っています。北海道の天塩川でアウトドアガイドをされる辻亮多さんに、川とともに生きる暮らしについてお話を伺います。 あまりにでっかくて、得体が知れない今井 手塩川の生き物とか、風景が写真や動画のように伝わってくるお話をいただきました。 村上 僕なんか携帯の目覚まし音で目覚めが来るわけですけど、辻さんは魚の音だとか、空気の変化とか、そういったもので目覚める暮らし。羨ま

北海道・天塩川の1日を語る

このシリーズは、暮らしをつなぎ続けるためのヒントについて、「ネイティブ」を知る様々なゲストをお呼びしてお話を伺っています。北海道の天塩川でアウトドアガイドをされる辻亮多さんに、川とともに生きる暮らしについてお話を伺います。 目まぐるしく移ろう季節の中で村上 今回から北海道の美深町というところを流れる天塩川でアウトドアガイドをされている辻亮太さんをお招きします。早速、今日見てきた辻さんの風景を教えてもらえますか。 辻 はいこんにちは北海道美深町っていうところでガイドをしてま