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幅広いテーマで展覧会を開催、「文学」という概念に挑戦し続ける 〜 「世田谷文学館」 前編

 『区立博物館』インタビュー (1) 

区民が文学に関する知識を深めるとともに、自らが学び、創造し、交流することにより教育・文化の振興と豊かな地域社会の形成に寄与するため世田谷文学館を設置しました。
(設立趣旨:世田谷文学館 概要より)
interviewee:佐野様(世田谷文学館学芸員)
interviewer:木原(フィールドアーカイヴ 代表)
(インタビュー収録:2019 / 12 / 18 )

「世田谷文学館」ができたきっかけは?

きっかけは、1986 (昭和61) 年 に行なわれた

「”世田谷文化会議”-21世紀の文化市世田谷をめざすために-」

で、「文学館等を建設すること」が提言されたことです。

建設候補地となったのが、武蔵野の昔ながらの自然の名残りをとどめる現在の場所です。

この場所は、株式会社ウテナの工場跡地でしたが、再開発でマンション群建設構想が進む中、「一部を文化施設に」との要望を地域の方々からいただいたこと。そして、文学館建設予定地の確保が困難であったことなどが理由で、この場所に建てられたと聞いています。

当初、ウテナが文化・芸術活動に貢献する ”企業メセナ”という形で、「文学館基本構想検討委員会」から区が答申を受けた基本構想をもとに、博物館の機能を満たした施設を建てて、土地・建物とも世田谷区が借り受ける形で進められました。

そして 1995 (平成7) 年 4月 に世田谷区文学館が開館し、その後 2002 (平成14) 年 にウテナとの売買契約が成立して世田谷区の所有となり、今に至っています。

資料取集はどのようにさせていますか?

歴史資料館の一部に文学部門があり、その ”資料保管庫がいっぱいになったから文学館を独立させた” という話は聞きますが、当館の場合は建物の設計と同時に資料を集めていったところがありました。

資料の寄贈に関しては、開館前からチラシ等で募集をかけていました。

”世田谷区には古くから文学者が多く住んでいて資料の散逸を防ぐため”

という意図をもって収集活動をはじめましたが、いざ作家のご遺族を訪ねてみると、お邪魔する先々で「あなた来るのが遅かったわね」と。

「資料は他の文学館さんに収めたので、おたくは3番目よ」というように、昭和を代表する文学者の資料の多くは、すでに所蔵先が決まっていたのです。

ご寄贈が増えたのは、実際に建物が出来てからでした。
保管設備の充実ぶりをご覧になった方々は「ここだったら預けたい」となって、建った後の方が寄贈のお話は進めやすかったですね。

他の記念館にはないユニークな品や見せ方とは?

まず、ガラス張りと鉄骨をあわせた文学館らしからぬ外観が当時としてはユニークだったと思います。

展示に合わせて正面入口に大きなカッティングシートを貼ったり、1階の図書室やミュージアムショップでも展覧会にあわせた取り合わせをして、文学館全体で展覧会の雰囲気を感じられるように工夫しています。

余談ですが、隣のスポーツジムも同じ設計者による建物です。
開発が同時期で、いくつか共用部材も使っています。よかったらご来館の際に外観を見比べてみてください。

それから

「文学」という分野を扱うこと自体が、そもそも博物館の中で「文学館」をユニークな存在にしている

と考えています。

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「文学館」という分類とは?

もともと文学に関する博物館は、作家の業績を顕彰する個人記念館として存在していました。

しかし、日本近代文学館 -1962 (昭和37) 年に設立準備会発足 - がオープンして、「文学館」という呼称が一般化しました。

作家個人の記念館では、歴史資料館としての性格が強いままでしたが、近代文学館は様々な文学者の資料を、総合的に収集保管、展示する。そして、資料を閲覧し研究もできる。日本近代文学館は、博物館と図書館の機能を併せ持つ、“新たな博物館像”を示してくれました。

とはいえ、博物館業界の中では、相変わらず

文学館は歴史分野の一つである、歴史資料館の亜種である

と捉えられる場合が多いのです。
ですから当館も、初めからその問題を抱えて開館したわけです。

「文学館って何だろう?」

本の表紙だけが、あるいは原稿用紙の1枚目だけがケースに飾られ、作品が読めない、内容が伝わらない展示方法でいいのだろうか?

「文学」の展覧会になるのだろうか?

例えば、作家の著作である本を資料 (もの)として展示するだけでなく、

作家の思想や考え方を紹介することの方が、より「文学」を伝えることになるのではないか?・・・と。

展覧会をやりながら、文学って何だろう、これは文学じゃない、これも文学だっていう可能性をひろげて、見せ方も、資料がないなかでも工夫して文学作品が体験できるような装置を入れたり、出力シートでことばを大きくしてみたり、そういう工夫をしていますね。

「文学」というユニークな分野だったからこそ、そして「文学館」という、博物館の中では遅れてやってきた分類だからこそ、「来るべき博物館」を目指して、当館ではいろいろ挑戦してきたのだと考えています。

新しい挑戦にチャレンジができる理由とは?

当館は、開館初年度から純文学に限定せず、幅広いテーマで展覧会を開催してきました。

初代館長の佐伯彰一氏がアメリカ文学や比較文学を、現館長の菅野昭正氏がフランス文学を専門とされ、広い視野から職員を育成されていることは大きいと感じます。挑戦を許してくださるんですね。

それから当館の学芸部では、係がなく職員を業務で固定しないんです。
歴史のある規模の大きい館では、資料収集保管・展示・教育普及の部門を分けることが多いと思います。

まだ歴史が浅い当館では、若手職員はあらゆる業務をこなせるように数年で担当が変わりますし、ベテラン職員は若手とチームを組んで、企画展を複数担当しつつ収集や普及を兼務する。
全員で行動することが多いため、会議では喧々諤々自由な意見を言い合っているのが現状です。

あとは、職員の興味の幅が広いこと、例えば国文の他に、歴史、美術、教育、映像といった具合です。

(インタビュー収録:2019 / 12 / 18 )



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