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日本を代表する企業の創業者・経営者達の原点に触れ「真の教育」を問う 〜 『情熱の気風 - 鈴渓義塾と知多偉人伝』 二宮隆雄 著 (中部経済新聞社 2004)

平成15 (2003) 年から平成16 (2004) 年にかけて、335回にわたって中部経済新聞に連載され大きな反響を得た、歴史小説家、時代小説家の二宮隆雄 (にのみや たかお、1946 - 2007) による情熱の気風 ~鈴渓義塾と知多偉人伝~では、多くの知多半島出身の企業創業者や経営者、経済人、教育者などの偉人たちの物語が紹介されていますが、中でも特に注目される箇所は、トヨタ自動車、ソニー、敷島製パン (Pasco) の創業期を探り、この三大企業の切っても切れない深い人間的な繋がりを紡いでいるところにあります。

トヨタ自動車の「大番頭」と呼ばれた 石田退三 (いしだ たいぞう)。
敷島製パンを創立した 盛田善平 (もりた ぜんぺい)。
ソニー創業者の一人、盛田昭夫 (もりた あきお)。

1948年 (昭和23) 年に、『豊田自動織機 (とよたじどうしょっき)製作所』 の社長となった 石田退三 (1888 - 1979) は、1950年 (昭和25) 年に『トヨタ自動車』が倒産の危機にみまわれたとき、『トヨタ自動車』の社長となり倒産の危機を乗り越え、世界のトヨタの礎を築いた「中興の祖」として知られています。
少年時代を温暖で美しい小鈴谷村で過ごした石田氏は、綿糸・綿布の商社勤めをへて豊田自動織機に移り、トヨタ自動車が世界に羽ばたく盤石の基礎づくりをしました。

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盛田善平 (1864 - 1937) は、江戸時代から続いてきた酒造り業から身を引いた後、郵便やビール醸造 (カブトビール) など新しい事業への挑戦を行い、1899年 (明治32) 年に『敷島製パン』の前身となる『敷島屋製粉工場』を設立。
その後、戦争や災害による食糧難の解決のために「パンが米の代用になるのでは」と考えパンの製造を決意、1919年 (大正8) 年に『敷島製パン(Pasco)』を創立し食糧難解決に尽くした創業者であり、多くの斬新なアイディアで「シキシマパン」を世に広めたプランナーであり経営者でした。

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1946 (昭和21) 年、終戦まもない東京で、ソニー創業者の一人・井深大 (いぶか まさる、1908 - 1997) と『東京通信工業 (後のソニー) 』を興し世界企業へと成長させた 盛田昭夫 (1921 - 1999) は、知多半島の小鈴谷村 (現在の愛知県常滑市) で江戸期から350年以上続く造り酒屋「ねのひ」盛田家の15代当主 (15代 久左エ門)でもありました。
14代目の父を説得し、東京に出て井深大氏とともに起業、残された小鈴谷の酒屋は、弟の和昭氏が盛田家15代当主代行として盛り立て、さらに創業当時の東京通信工業 (現 ソニー) の営業部門も担っていました。

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大きな偉業を成し遂げた、先人たちの物語は、愛知県知多郡小鈴谷村 (現在の愛知県常滑市) に実在した伝説の私塾を舞台にスタートします。

文明開化を迎えたばかりの1888 (明治21) 年、
庄屋を代々務めてきた「ねのひ」盛田家の第11代久左衛門 盛田命祺 (もりた めいき、1816~1894) によって、愛知県知多郡小鈴谷村に、鈴渓義塾 (れいけい ぎじゅく)という私塾が創設されます。

『鈴渓義塾』の教育方針は当時としてもかなり画期的なもので、伊勢神宮嗣官・御師 (おんし) の子息 溝口幹 (みぞぐち みき、1852~1933) によるものでした。

現在の小学5年から中学2年にあたる子供たちを対象に、現在の高校学校に匹敵する内容の国文、漢文、英語、数学、理科、簿記などを教育課程に加え、さらに当時ではほとんど普及されていなかった「野球」を体育のカリキュラムに含めるなど、当時の最先端の教育を行っており、教材として使用されていたものの中には、1835 (天保6) 年に西条藩士・上田雄次郎 がまとめ、和文で書かれた細井平洲の遺稿集『嚶鳴館遺草 (おうめいかんいそう)』があり、当時の日本においては特に進取の気性に富んだ、極めて高度な教育内容を積極的に採り入れていたのです。

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『鈴渓義塾』は1888 (明治21) 年から1907 (明治40) 年まで、19年間の開校期間に、約350名の塾生を排出。

卒業生の中には、

トヨタ「中興の祖」・石田退三
敷島製パンの創業者・盛田善平
名古屋帝国大学の設置に尽力した文部官僚・伊東延吉(いとう えんきち、1891 - 1944)、
言語学者で「標準語の父」と呼ばれた・石黒魯平 (いしぐろ ろへい、1885 - 1956)、
海軍少将で戦艦大和の第四代艦長・森下信衞 (もりした のぶえ、1895 - 1960)、
多産卵鶏の世界記録を樹立した・榎本誠 (えのもと まこと、1891 - 1965)
海軍中将・古川四郎
東北大学助教授・天木順吉

など各界で活躍した人達が多く、また、『鈴渓義塾』の卒業生ではないものの、『鈴渓義塾』の精神に大きく影響を受け世界へ羽ばたいた、ソニー創業者の一人盛田昭夫、経団連会長を努めた平岩外四 (ひらいわ がいし、1914 - 2007)らもまた、愛知県常滑市の出身者として名誉市民の称号が贈られています。

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知多の最高学府」と呼ばれ、「尾張の教育村」と称され、かつての愛知県知多郡小鈴谷村に実在した、伝説の私塾『鈴渓義塾 (れいけい ぎじゅく)』にまつわる偉人たちの物語情熱の気風 ~鈴渓義塾と知多偉人伝~は、知多半島の近代史を振り返り『鈴渓義塾』に影響を受けて世に出た、

先人たちの歴史と叡智に触れ、

日本の歴史を動かした

経済人・教育者たちの原点を伝え、

現代の私たちに「真の教育」とは何かを問いかけます。

知多半島の小さな村に誕生した伝説の私塾『鈴渓義塾』を舞台に紡がれる、トヨタ自動車、ソニー、敷島製パン の胸を打つ先人たちの熱い情熱と行動力、そして偉人達の強い絆から生まれる言葉や行動は、現代の私たちが忘れかけていた「勇気」と「志」、そして「情熱」を思い出させてくれるはずです。

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情熱の気風 ~鈴渓義塾と知多偉人伝~の序の部分を公開しています。
是非試し読みください。

→ 「序 ー 鈴渓義塾の歴史と塾生たち

文:黒川 (FieldArchive)


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