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8,000人を超える署名運動により、取り壊しを免れた歴史的建築物!生きた施設としてあらたな歴史を紡ぐ〜 『旧中埜半六邸』

『NPO管理運営施設』インタビュー (1)

「半六邸の取り壊しに反対する署名活動を行ったメンバーを核として「半六邸を遺して活かす」をミッションに結成された特定非営利活動法人です。半六邸を舞台に、人と人を結んで、半田の歴史や文化、暮らしを発信し、賑わいと活気あふれる半田運河のまちづくりに寄与することを目的としています」
(公式URLより「NPO法人 半六コラボについて」)
Interviewee:杉浦様(半六コラボ理事長)、阿部様(半六コラボ副理事)
Interviewer:木原(フィールドアーカイヴ 代表)
(インタビュー収録:2020 / 2 / 9 )

「旧中埜半六邸」を遺そうと思われたきっかけを教えてください」

阿部副理事:ここはもともと中埜半六家という、江戸後期から明治初期にかけて海運業や醸造業などで富を築いた、代々半田の富豪の邸宅でした。
ちょうどミツカンさんの蔵もあり、この半田運河の一帯が 『景観形成重点地区』に指定されていて、この規模の豪商の邸宅が残っているのは本当に少なくなっていたのです。

杉浦理事長:その邸宅が取り壊しの危機にあったので、これはえらいことだっていうのと、ほっておいたらどんどん劣化が進んでいくばかりだったので、市民から保存する声があがりました。

――:『景観形成重点地区』に指定されていたのに、邸宅が壊されそうになったということですか。

杉浦理事長:そうなんです。

阿部副理事:もともと半田市がこの土地を買い取るきっかけというのは、持ち主が売りに出した時に高層のマンション等が建てられないために、です。
景観が破壊されるのを防ぐのが目的で、この建物を遺したいとは思っていなくて。
半田市はこの界隈に休憩する場所がなかったので、国から補助金などをもらって広場を整備するという目的で土地を取得したんですね。

杉浦理事長:半田市の最初の青写真では、広場がメインでした。「蔵のまち」とPRしているので、4つあるうちの1つの蔵を遺して、あと茶室がここの母屋の前にあったんですけれども、茶室と北蔵を遺すだけであとは広場として整備するという構想だったんですね。
それを知って、待ったを掛ける方々が集まりました。

――:よく覆りましたね。どうやって覆ったのですか。

杉浦理事長:取り壊し反対の署名活動が始まりました。市のほうも、8000筆以上の署名が集まったものですから、そう疎かにはできないということで、話し合うことになりました。

――:いつ頃から交渉されていたのでしょうか。

杉浦理事長:反対署名をしたのが2010年。
その春から市と話し合いをして、2012年に市長は取り壊しの撤回、新聞発表はしたんですけれども、その後の交渉は市の出す条件を飲む形となり、私たちNPOにとっては苦渋の決断でした。
結局ここのリニューアルオープンは2015年ですので、だからその間ずーっと市と水面下で交渉していました。

――:維持管理はどういった形でおこなわれていますか?補助金とかですか。

杉浦理事長:主には寄付、ですね。いままでも白アリが出て駆除したり、台風で雨戸の増設だとか、寄付を呼びかけてきました。

阿部副理事:この建物を遺すからには、あなたたちで、自分の責任でやるならいいですよということでした。
私達は本当に色んな思いをしながら、ずーっと何年もかかって交渉して、この建物を遺したのです。

――:NPOが立ち上がって、自力で改修・管理するという形になったのはなぜでしょうか。

阿部副理事:半田市には、かつて他にもいっぱい豪商の建物がありました。
ここの建物よりももっと立派は建物はいくらでもあったのです。
皆さんいろんな事情で維持できなくなって売りに出されたのですが、その時、市は何も対処しませんでした。
それらの貴重な建物に対して何の補助も出さなくて、ここだけ出すというのは市はできないし、今後も他のこういう古いお屋敷が同じような状況になった時に、市が財政出動をして遺すという前例を作りたくなかったので、市としては絶対、補助したくなかったんですね。
私達もそれは充分わかっていますので、直接市がお金を出さずにすむ方法などを模索し提案しました。

例えば、ちょうど対象になる国の補助金があったんですよ。
ただそれはみんな条件が、地方自治体が出したらそれと同額出すっていうことだったので、私たちが寄付を一生懸命集めますから、寄付の受け入れ先を市にしてもらって市が一旦入れて、市からこちらに補助金っていう形で流してくれないか、そうしたら私たちも集めるお金半分で済むからなんとかしてくれないかって言ったんだけれども、やっぱりそうやって形の上で市から補助金を出している以上、これがこけたときに市は責任を問われるわけですね。
市が助成している事業になってしまうということで、結局してくれませんでした。

景観形成重点地区なので、外回りの壁とか直すのにちょっと補助があるので、数百万補助はありましたけれども、あとはほとんどといっていいくらい自力で、自分達でやらなければいけませんでした。

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他の博物館にはないユニークな品や見せ方とは?

――:普段は一般開放しつつ、部屋貸しもしているところがユニークですね。

杉浦理事長:基本的に、1階には飲食のテナントに入ってもらい、2階が貸し部屋です。
NPOはボランティアではありませんから利用料をいただき、収益を上げ事業を回しています。
非営利ですので自主事業として季節の節目に無料のイベントなども企画しています。

阿部副理事:例えば今日は2階は全室貸し切りになっているのですが、そういう日は他の方はご遠慮くださいとなります。
貸し部屋の利用がない場合は自由に見ていってくださいねという形です。

開館当初の見せ方から変化した部分は?

――:今まで一般の人に見せるものじゃなかった場所を一般公開するにあたって、これは最低限しなければいけなかったことなどはありますか。

杉浦理事長:一番大きな壁は耐震でした。市の条件にもあり、耐震は重要課題でした。
半田市が現代工法の耐震診断を建築士会に頼んでやってもらったら、1.0が合格基準みたいなところを、0.0いくつみたいな数字が出てしまいました。
いい値がでるわけがないんですよ、壁なんてろくにないし。

阿部副理事:だけど、私達は0.0いくつってことはないよね?って思っていたんですよ。
ここは2度くらい、南海大地震などの大きな地震を経ているんだけれども、下の広間の座敷が続いている所とかも障子の開けたてとかみんなちゃんとスムーズにできるから、建物の本体自体がくるいがないと思っていたので、そんな今にも崩れ落ちるような数値なはずがないと。
この建物の強度を測るものさしとしては違うものがあるんじゃないかと思っていて、で、いろいろ探して、木造軸組建築の限界耐力法というものがあるというのを調べて、つてを頼って奈良から専門家を招いて診断してもらったら、ほんのわずか足りない部分があって、壁一枚くらい強度を補強壁を作れば耐震性はOKだということになったのです。
そこをクリアすることができたので、遺せることになったのですけれども。

杉浦理事長:阪神大震災の時に結構倒壊したものあったけれど残ったものもあって、その現在の基準で言ったら京都や奈良やみんな建物全部取り壊さなきゃいけなくなっちゃうけれども、そこで限界耐力法というのがでてきて、向こうではもっとしっかりやられていて専門家も多くて、こっちにはなかなか専門家がいなかったので奈良から来てもらったんです。

阿部副理事:消防法は、既存不適格ですませました。
こっちがわの建物とかは、道路幅がないんですね。
消防法を本当に正面切って突破しようとすると、建物を壊さなきゃいけなかったので、大規模修繕にならないような方法で修繕しました。

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施設の運営維持にあたっての苦労や困りごとは?

――:今NPOのスタッフは何人くらいいらっしゃるんですか。

阿部副理事:人数としては13人くらいいるんですけれども、主力で動いているのは理事長と私の2人です。
私も本業があってやっていてずっとは関われないから、細かい作業等、日常的にはほとんど理事長が1人で常駐してやっている状況です。

――:当初から二階は貸しスペース、一階は飲食という形ですか。

阿部副理事:1階のカフェは2019年12月末で撤退されてしまったのですよ。今ちょっと観光協会が入ってくれて次の人を探しているのですけれども、なかなか観光地で飲食業をやるのって厳しくて。

――:利用者の方々の意見を聞いて変化させたことはありますか?

阿部副理事:あまりやれてないですね。
そういう意見ををきちんと聞いて、整備していったほうがいいとは考えています。
ここもそれなりにちょっと立派なお屋敷だけども、ぱっと見ればなんてことない、えーっと思うほどの絢爛豪華な建物ではないじゃないですか。
ごてごてと奇をてらわない割とシンプルな数寄屋造りの建物なので、見てなんとなくいい雰囲気だなぁと思うんだけれども、一つ一つに目を奪われるようなものってないのです。
でも細部は凝っています。
例えば、半六邸のなかに三か所「あじろ」があるんですけれども、そのあじろの木材が全部違うんですね。
よく一般的には杉板で、杉は簡単に薄くはげるのでやってあるけれども、これは栗らしいんですよ。
栗を薄くはいで、あじろに編んだりっていうのはなかなかないことで、結構そういう細部を見ると凝った造りがあるんですけど、そういったことも解説してもらうと「そうなのか」って思うんだけども、そうじゃなければ「あ、あじろね」っていう感じで、普通の人だと建物が素晴らしいってあまりわかってもらえないかなぁと思っています。
その辺を本当にもうちょっとちゃんと解説できるようにしなきゃいけないんだけどなって思いつつも、なかなか見せ方っていうのが難しくて、あんまり文章でドーンって書いてあっても読む気にならないだろうし。
見どころを含めて遺すことが一番自分達がやらなきゃいけないことなんだろうなとは思っています。

「旧中埜半六邸」ご来場の方々にメッセージを


阿部副理事:本当はもうちょっと建物の歴史、半六家の歴史だったり、建物の技術的なこととかを解説したパンフレットなどがきちんと作ってあると、来た人もそれを見て、この場所を楽しんでもらえるのかなとも思うんですけれども、なかなかそういうことを素人でやれないという事情があります。
周りの庭の石も、市が招いた造園の専門家の解説を聞く機会があったんですけれども、実はすごい贅沢な石らしいのです。
どうでもいい石は一つもなくて、かなり厳選されて石を選んで作り込まれているっていうのを聞いて、そういうことなども、それが解説してあると確かにいいだろうなと思います。
例えば外にある井戸でも、鞍馬石の大きなのをくりぬいて作ってあります。
普通は4つの石を組んでいるのだけれども、そうではなくて大きな石一つをくりぬいてあって、なかなか大層な手間をかけてあるのですが、言われないとなかなか気づけません。
ただ井戸があって、枯れ井戸ね、みたいな感じで終ってしまう。
そういった課題はありますが、逆にいえば余計な解説が設置されていない、あるがままの邸宅と庭で、季節ごとに昔ながらのしつらえを楽しんでいただくことができます。
是非、お気軽に邸宅や庭を観に来て、ご利用いただければと思います。

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見学した際の感想:
てっきり市営で、委託事業者として活動されていると思っていたので、ほぼ自力で寄付を元に頑張っておられると伺って驚くと共に、”行政は補助の前例を作りたくない”という話を伺って、全国的に貴重な建物が遺されにくい現状の理由を理解しました。

個人的には、建物も美術品も保護して遺すのではなく、価値のわかる誰かが住んで、使って、修繕しながら遺すべきだと考えています。

そういう意味では、この半六邸は、飲食や貸し部屋として生きた形で遺そうとされていて、建物や庭に解説文が設置されていない状態もあわせて、とても素敵だなと感じていました。

市も県も国も、文化を保護し守ろうするから、いたるところ文化財だらけになってしまい、おいそれと許可をだせない状況になってしまっているのかと思います。

そうではなく、人々が普段使いできるように、例えば修復しながら丁寧に住みたいと思う人に対して助成するとか、そういった形で遺すことも検討していただけないかなぁと思いました。

木原(フィールドアーカイヴ 代表)


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