逃げるって言う選択は、戦うよりも傷を負う

酒飲んだら死ぬ薬を飲んでいたときは、常にマイナス30くらいで生きていられたけど、結局気づいたら飲まなくなって、五週間分のノックビンが、引き出しを開けるたびに俺を責める。
転職先も決まって、週明けには書類を揃えて、あとおよそ二週間の冬休みを終えてまた仕事をして。何も間違ってない。一つも悪いことなんてない。
けど、足元が地についてないような不安感は、ガードレールの錆のように少しずつ増えていく。理由はないのに、増えていく。

何をどうしたってこの感覚に襲われるの、余りにしんどくて、一体俺が何をしたんだって叫びたくなる。

今日、死んだリスナーの夢を見た。そいつがコメントをしてくれて、俺がびっくりしながら、とても喜びながら、生きてたんか!っていう夢。
そういう、蜃気楼みたいな幸せな夢を見た後の一日は、きまって心が神経障害を起こしたようにずっとびりびりとしつづける。
すごくいいやつだったんだよ。スキルがあって、家庭もあって、俺がやるバカみたいなことに理解を示してくれて、考え方も大人で。めっちゃツラも良いし。間違いなく、尊敬できる大人の一人だった。
ガキが甘えるみたいに、よく絡んでたなぁ。

誰にも死んで欲しくない。死んで欲しくないんだ俺は。

逃げ続けた先にあるものって大抵はいつも後悔で。
逃げるたびに思うのが、戦うよりも傷を負うということで。
そういう、逃げてきたひとつひとつって、何年経っても、10年経っても放射能みたいにいつまでもいつまでも蓄積し続ける。
永続性の毒。

でも、そんなこと誰に言われなくたって分かってるんだよな。
それでも、戦う選択肢を選んで勇敢に死んでいった人たちを俺は幾らでも知っているから。
だから、逃げることを選ぶのは、生きることと同じだと思うんだ。

誰だって戦うことができたら良いよなぁ。俺だって、お前だって分かってんだよ頭では。ここで逃げたら後が辛いとか。後々苦しいし、トータルでは絶対戦うべきだ、とか。
でも、今この瞬間死にそうになってる時に、後々のことまで考えることなんてできねえって話なんだよ。
それをしたり顔で話す奴は、たいそう幸せだろうな。でも、俺たちはそうじゃない。そうなりたいし、なぜそうなれないのかずっとずっと呪っているけど。
でも、そうじゃないんだ。

逃げた方が楽。違う。絶対そうじゃないって俺たちは分かってる。
分かっててなお、戦う選択肢を取らず逃げることを選ぶ。
戦う選択肢をとって、その次もまた戦うのか、その次は?その次は?
その進んだ末にあるのが首吊り台だったなんてそんなふざけた話があるかよ。本当なら色々な幸せがそこにあるべきなのに、俺たちの道にだけ、首吊り台だなんて。

なあ、逃げることってそんなに悪か?
逃げることの方が傷を負って、逃げることで苦しくなって、
それを分かってても戦う選択肢を取れないのは、生きるためだ。
生きて、逃げて、傷ついて苦しくなってもそれでも死なないで今日だけは生きれる。
俺は、そういう生き方しかできないお前らの方が、健康に生まれて戦う選択を取れる奴らよりもずっとずっと戦士だと思うんだよ。

そりゃあ、いつかは戦わなきゃいけない。でも、今日じゃなくて良い。
苦しい思いにずっと耐えてきて、見えない最後のトリガーを踏むよりも。断頭台が道を阻んで、諦めたように笑いながら首を差し出すことよりも。
たった一人ぼっちで、逃げて、逃げて、わけわかんない道をひたすら這いつくばっても、
それで今日だけ生きられるなら、俺たちは誰よりも戦っている。

一人で戦うことなんてできないよ。でも、今まさに一人ぼっちなんだよな。その中で生き延びる、生き続けることがどれだけ凄惨で、尊いか。
俺はそれを知ってるから。それが、とてつもなく偉いことを。畏敬され、褒誉されるべきことだって言うから。絶対に言うから。

そうやって今日だけを生きていれば、いつか、いつか必ず一人じゃなく、一緒に戦ってくれる人が現れるから。
そのときまで、逃げ続けても生き延びよう。一緒に。

死なないでくれ。お願いだから。

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