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コーヒーに憧れて紅茶

香りは好きなのに、残念ながらわたしはコーヒーが飲めない。

コーヒーが飲める大人に憧れて何回かトライしたものの、どうしても胃が痛くなってしまう。もうこれは、体質だから仕方ないのかもしれない。

だから、人が飲んでいるコーヒーの香りを無料テイクアウトさせて頂いている。こういうとき、鼻の穴が大きめだと得だ。

昨年定年退職された方は、会社の給湯室でお湯を沸かし、持参したドリップコーヒーを淹れる習慣があった。給湯室の前を通りがかるといい香りがするので、もれなく香りどろぼうしていた。
畑が趣味の方だったので、今はコーヒー豆から育てているかもしれない。

という理由もあり、コーヒーか紅茶かと問われたら、わたしは紅茶だ。
もちろん紅茶は好きだが、特にこだわりはない。強いていえば、何も入れずにストレートで飲みたい。

世間的にはどうなのだろう。

LINEリサーチによると、

全体では約7割がコーヒー派、約3割が紅茶派という結果に。
男性、女性ともにコーヒー派のほうが多く、特に男性は7割強となっています。また、年代があがるにつれてコーヒー派が増える傾向があり、50代の男女ではコーヒー派が7~8割となりました。
(出典:LINEリサーチ)

思ったよりも紅茶が少数派。

興味深かったのが、どういうときにコーヒー・紅茶を飲むか、という質問に対する回答だった。

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コーヒーは紅茶にくらべ、仕事/勉強/家事など何か作業をしている合間に飲まれることが多く、6割弱でTOP。(中略)一方の紅茶は、「くつろいでいる・のんびりしているとき」「リラックスしたいとき」がTOP2となり、リラックスタイムで飲まれる傾向があるようです。

案外違う。

『相棒』の杉下右京さんは仕事中に紅茶飲んでなかったっけ、と思ったが、ざっくりまとめるとコーヒーは交感神経優位、紅茶は副交感神経優位という感じだろうか。

集中したいときや、気合を入れたいときにはあまり紅茶は選ばれないようだ。「パンチ」や「濃さ」は紅茶にはない。右京さんも、仕事中だけど仕事じゃないような、飄々淡々とした感じだ。

たしかに、曲の歌詞の中でも、紅茶はプライベートな時間や落ち着いた場面で効果的に登場するように思う。

お揃いの大きなマグで薄い紅茶を飲みながら
似たようで違う夢の話 ぶつけ合ったね
(スピッツ/ありがとさん/2019)

1つのティーバッグを、2人分の大きなマグで分け合ったから薄くなったんだろうか。たぶんこの2人はまだ若くて、知り合って間もなくて、気が合うけれどお互い見ている未来が違うんだろうなと聴きながら物思いにふける。

これが薄いコーヒーだと、もう少し年齢が高い印象を与えて、ちょっとピリッとした空気感が出てしまう気がした。

ちなみに、この曲が収録されたアルバムを引っ提げたツアーでは、薄い紅茶色の大きめのマグカップがグッズとして出ていた(買った)。

右端に映っているのも紅茶だろうか

あえて紅茶を選んだんだろうな、という曲もある。

紅茶を飲みながらモノクロの名画を観る
目をこすりながら君は付き合う
すると僕らの
世代には馴染みのない
僕の好きなスターの名が
君の口から出る
歩幅が合うって凄いよなぁ
(僕らの一歩/TRICERATOPS/2006)

眠気覚ましならコーヒーの方が向いているのに、紅茶を飲む相手。

先の調査にもあるように、コーヒーか紅茶の二択の世界で言えば、紅茶は少数派だ。自分たちの世代には少数派のカルチャーを好む2人が、惹かれるべくして惹かれあっている様子に、紅茶というキーワードが効果的に使われているのではないかと思う。

この曲、紳士服のCMにも使われシングルで出ていたというのに、知らなかった。大ヒットこそしなかったようだが、名曲だと思う。

ジャケットがきらびやかすぎてびっくりした

往年の名曲にも、別れのシーンで紅茶が。

くもり硝子の向うは風の街
さめた紅茶が残ったテーブルで
衿を合わせて日暮れの人波に
まぎれる貴女を見てた

そして二年の月日が流れ去り
街でベージュのコートを見かけると
指にルビーのリングを探すのさ
貴女を失ってから
(寺尾聰/ルビーの指輪/1981)

主人公は何を頼んだのだろう。なんとなく、コーヒーな気がする。

日暮れの空の色と、二年の月日が過ぎたシーンで登場するベージュのコート、ルビーの指輪が、紅茶の色とリンクしているような気がする。主人公の記憶の中では、「貴女」が色あせぬままであることが際立つ。
この曲はリアルタイムでは知らないので、わたしの妄想に過ぎないのだが。

この曲は兄が替え歌でよく歌っていて知った。なぜか「くもり硝子の向うはアリジゴク~」と歌っていて、それが正しい歌詞だと思ってしまっていた。兄め。

ストリーミングにあるとは

一方、コーヒーはどうかと考え始めたら、コーヒールンバが脳内を回り始めた。アラブのお坊さんが陽気に踊りだしてしまったのでやめた。やはり、コーヒーは次へ動き出すための気付け的な意味合いが強そうだ。

そのせいかどうか分からないが、検索してみるとコーヒーにまつわる歌詞をまとめているサイトや記事は多いものの、紅茶はあまり見当たらない。
ことごとく紅茶は少数派なのか。

とはいえ紅茶派のなかにも、わたしのような

「コーヒーが体質的に飲めない」
「実はコーヒーに憧れている」

ひとは、少なからずいるはずだ。

「スターバックスは自意識過剰で入れない」
「よく見ずに買ったプラカップ入り飲料が、実はアレンジカフェラテと気づき、飲もうかどうしようか迷った」

ひとも、少なからずいるはずだ。
これは少数派の中の少数派かもしれない。

最後のは、マロンやメイプルや柚子という文字に惹かれて買うと、原材料にコーヒーが入っていて「飲みたいけどお腹痛くなるかも・・・」という葛藤の末、結局ひとに譲り渡す。

コーヒーゼリーなら大丈夫なのにな。

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