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頑張ってた頃の自分へ

高校受験あたりくらいから始まって、大学受験、資格試験、
数多の戦いを経験してきた中でようやく見えてきたものがある。

学歴や資格は、職業選択においてそれなりの武器になるが、
人生を幸福にできるかどうかについては、
その職業についての情熱や興味の方がはるかに大事だ。

大企業に就職して「年収を上げたい」という目標を掲げる人もいるが、
カネを増やしたいなら投資の知見やマネリテを高めた方が良いと思う。

世の中の風潮としてはカネに価値をおきすぎていると思う。
高収入を目指したり、結婚相手を年収でスクリーニングしたり、
価値基準がカネに寄りすぎているから幸せになれないし、
幸せになれないから、良い気分でいられず、
良い気分でいられないから、カネも貯まらない。
この国全体が負のスパイラルに陥っているように思う。

本当は好きなことを夢中になってやれるのが一番幸福だと思う。
でも、生活やカネのことが気になって、そちらに気をまわしているうちに
そちらがメインになってしまう。
経済的自由を手に入れること、FIREすることが人生の目標とか
客観的に考えてみたら、相当ズレてると思わないか。

自分もサラリーマンになって20代の頃の目標はそんな感じだったが
なぜそうなったかと思い直してみると、
自分の人生の目的より、世の中的にまともそうな方を選択していたからだ。
受験のときも、就職のときも、偏差値、年収、知名度、
世の中的に良さそうな方を選び続けてきた。
そんなことをしていると、会社に入って、
パワハラにあったり、仕事でうまくいかなかったりすると、
そこまでの選択自体に疑問が生じてくる。
うつ病になる人が増えているのも分かる気がする。

受験にも資格試験にも共通する攻略法があるとすれば、
設問に対する模範解答のパターンをより広く学習して、
繰り返し刷り込むことで即答できるようにすることだ。
ここには何も考える力は問われない。
どれだけ訓練を積んだかだけの練度の問題だ。

ただ、会社に入ってみると、その攻略法は通用しない。
仕事をうまくやるというのは、
テストで点をとるよりも急に複雑になるからだ。
業務の理解度テストで高得点を挙げていても、
上司や顧客との人間関係を円滑に捌けなかったり、
「できません」と言いづらくて仕事を溜めてしまって
処理しきれなくなってしまったり、
そういうときに、自分の価値基準とか、ポリシー、
自分の軸が育ってないと本当にしんどくなる。
メンタルへの負荷が増してくる。

「できないって言ったらいいじゃん」
「ムカついたから辞めたでいいじゃん」
もう一人の自分はいつも軽口を叩いていたが、
カネの問題もあるし、
これまで積み上げてきた自分の評価、
世の中的にそういうわけにはいかない。
会社や所属部署が失敗を許さないような環境だと
そのプレッシャーがさらに負荷を増す。

転職が当たり前の時代になってきたのは良かったと思う。
自分の代わりはいくらでもいるように、
今の会社に代わる環境だっていくらでもある。
自分が悩んでいるほど、他人は悩んでいないのだから
悩んでいる暇があったら、
どうすれば今より気分良くいられるか考えて行動する。

転職しなくても、
新しい資格やより高度な資格を取れば選択の幅が広がるだろう。
資格を取らなくても、転職エージェントに登録するだけでも、
選択の幅は広がっていることに気付ける。
保有株の株価を気にするくらいに、
自分の市場価値にも気を配って、自分の価値向上を目指す。
自分の価値基準というのも、価値向上を目指す中で、
具体的に見えてくるものだと思う。
「経験してみないと本当のことはわからない」から、
失敗してもいいから、面白そうだから
「とりあえずやってみよう」という気持ちが大事だと思う。

限りある人生の時間のうち、
気分良くいられる時間、好きなことをやっていられる時間を
もっと増やすにはどうしたらいいか?
もっと夢中になれるものはないか?
近頃はそんなことばかり考えている。
そのうちの一つとして、
そんなことを考える余裕もなかった頃の自分を救えるとしたら
それは思ったより価値のあることではないかという気がしている。

頑張ってた頃の自分に言いたいことは、
「それが自分の本当に頑張りたいことなのか?」
ということだ。
大学時代のゼミの先生が亡くなる数日前に
大学院の口頭試問で言っていたという
「それが君の本当にやりたいことなの?」
くらいシンプルに響く言葉だ。
「でも頑張るしかないんだ」と思うなら
「なぜなぜ分析」が足りてない。
だって、今の自分、将来の自分は
もっと気分良くいられるようになっているのだから。

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