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ピエール・ルヴェルディ詩集

 ピエール・ルヴェルディ詩集(佐々木洋 訳 七月堂)再読。読了。私はルヴェルディは、同人誌『氏名手配』7号で詩人論を書いたが、その時は彼を「闇の詩人』とか、『精神(こころ)の詩人』と称したが、彼は本当は詩を書くことで、生きること=光を求めていた詩人だったのではと推測する。「パントマイマーのような詩の書き方」だとか、画家のパブロ・ピカソは彼を「絵を描く様に詩を書く」と評したが、彼の詩を一つ一つまた読んでみると、非常に言葉の一つ一つがしっかりしていて地に根付いているかのようだ。彼は改行詩の他に散文詩も多く残したが、私は両方好きだが、特に散文詩が魅力的だ。不思議な物語に誘うような書き方で、ラストを少し後味を悪くするようなリドルストーリー的なラストに、特に私のような探究心のやや強めの読者は、「次どうなるんだろう、このラストの意味は何なんだろう」と逆にもっと好奇心をくすぐられて読みたい欲に駆られてしまうのだ。ルヴェルディは、1889年9月11日、南仏ナルボンヌに生まれ、1960年にパリで71歳で没した。ピカソ、ブラックらとキュピズム運動に参加後、20世紀詩を切り拓くことになる独自の詩法を確立。続々と実験的詩作品を発表し、シュルレアリスム運動に多大な影響を与えるものの、自らは隠棲の道を選び、孤高の詩人として生きた。
 私は彼が何故、隠棲の道を選んだのかは、彼の意思もあるけれど、第二次大戦が影響していると思えてならない。彼は戦時下のパリの防空壕で身を潜めながら、戦争を恐れ、不安な気持ちの詩(というよりも手記のようなもの)を書き続けた。詩集『死者たちの歌』には戦争に対する恐ろしさ、おぞましさを込めた詩がたくさん書かれていて、彼の残酷な現実を悼み、恐れる繊細な硝子細工のような心が描かれていて、悲しいが、それでも彼の根底にあるものは、詩を書くことへの情熱と生きる希望だったと私は考える。彼は詩人の他に詩誌の編集者としても活躍したクリエイターだったから。
 ルヴェルディは、詩を書くことで自身を貫き、過酷な当時のフランス社会を生き抜こうとした、シュルレアリスム運動の基盤となった人物の一人だったし、その、詩への情熱は、アポリネールに匹敵するぐらい、エネルギーやバイタリティーにあふれていると思う。今年は彼が亡くなって64年目。私も今年44歳になった。この節目のような年に、私も彼のように「詩を書く」というポリシーを貫き、どんな時代も生き抜いていけるように誓いを立てながら、この文章を書いている。

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