あいまいなままで
“言葉にしてしまうと気持ちを上書きしちゃう気がしてさ”
「大豆田とわ子と三人の元夫」というドラマで登場したこのセリフがとても印象に残っている。(正確ではないかも)
このドラマは2021年に放送されたテレビドラマで、脚本を担当しているのは坂元裕二さん。
放送当時に気になっていたけど、ちょうど妻の出産直前で観る余裕が無かったのかスルーしていた。
Netflixでこのドラマを見つけて、同様に坂元さんが脚本を担当したドラマ、「カルテット」と「最高の離婚」を数年前に妻とワーキャー言いながら観ていたこともあって、毎晩子どもが寝た後に二人で観ている。
お話についてはここでは省略するけど、登場人物たちの軽妙でユーモアがあってそれでいてリアルな会話劇がとても魅力的なドラマなのだ。
そんなドラマなのでひとつひとつのセリフが味わい深いのだけれど、特に冒頭に書いたセリフが頭に残っていて、ここ数日はこのセリフについて考えを巡らせることが多い。
であればこれでひとつ記事を書いてみようじゃないかと。
しばらくnote書いてなかったし...。
“言葉にしてしまうと気持ちを上書きしちゃう気がしてさ”
このセリフは、主人公の大豆田とわ子(演:松たか子)が、亡くした母の葬儀に向き合えない心境を口にしたもので、その胸に抱いているふわふわモヤモヤした気持ちを「悲しい」と表現してしまうとその気持ちも「悲しい」ってことになってしまうよね、だからうだうだしてるんだ、向き合えないんだよね、という意味だと解釈している。(ちょっと違うかも)
あるよね~~~そういうの。
言語化することで陳腐な枠に「収まっちゃう」感じ。
劇中の文脈とは全然関係なくて恐縮だけど、自分のポッドキャストはゲームについて思ったことを言語化して話すことを目的にしているので、共感する部分がある。
言語化すると気持ちとして整理がつくけど、気持ちの出発点よりも物足りなくなってしまうというか「俺が思ってたのってこんなもんだったっけ?」という感覚を覚える。
たぶんそれは、上書きしたことでこぼれ落ちた気持ちがあったんだ、と、このセリフを聞いたことで気づけた。
ドラマではこの「上書き」を明確に否定も肯定もしていないけれど、自分としては言語化をしすぎないほうが好みだ。
もっとふわふわモヤモヤした気持ちを抱えたままでも良くないかい?
もちろん言語化しないことには人には伝わらないので、言語化の強度をバランス良く調整できれば良いのかも。
それはめちゃくちゃ難しそうだけど。
“言葉にしてしまうと気持ちを上書きしちゃう気がしてさ”
さて、ここまで書いてきたけど、このセリフを聞いたときに湧いた気持ちってもっと色々で複雑だった気がする。やっぱり変に収まっちゃったかなあ。
難しい。
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