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せっかちな人の為の簡易的なスパ銭指南

 アメリカ文学の大学院生をしている。そして周りの多くの学生と同じく、さして困窮してはいないが贅沢もできない、充実してはいるが味気無くもあるような毎日をおくっている。オンラインの講義、アルバイト、研究室。
 しかし、最近このルーティンの中に小さな贅沢が加わった。それが、スパ銭ことスーパー銭湯である。アパートと大学の中間あたりにあるそのスパ銭は月額7000円そこらのサブスク的プランがあり、入れば岩盤浴と温浴、併設する小さなジムが使い放題になる。1日200円程度の贅沢。最近はこの贅沢を糧に生きていると言っても過言ではなくなってきた。
 オンライン開講の講義が終わるとスーツに着替えて自宅から塾講師のアルバイトに向かう。それが終わるとその足でスパ銭に赴く。岩盤浴で滲んだ汗を温泉で流しきり、再びスーツを纏って大学の研究室に向かう。論文でも読むなり書くなりして気がすんだら自宅へ戻る。寝る…これが最新の私のルーティンである。
 なるほど、常に時間に追われる現代的生活の中で唯一時間を忘れられる優雅なひととき、それがスパ銭の魅力なのだな…と、思われてしまっては困る。スパ銭とは時間そのものと対峙する場であり、せっかちな人間ほどこの異質な空間で落ち着くことができるのだ、と私は仮定する。その論拠を以下に示していこうと思う。

 さて、何故せっかちほどスパ銭で安らぐことができるのか?これは先述の通り、そこが時間そのものと対峙する場であるからだ。これはどういうことか?
 貴方が一人で近くのスパ銭を訪れたとしよう。シャワーで体を清潔にしてから湯に浸かる。はじめのうち、貴方は機械的に再現された筆字によって木の札に印字された胡散臭い文章を頭の中で読み上げる。なるほど、ナノサイズのマイクロミストが健康にいいらしい。さて、それを終えた貴方はどうするだろうか?時計を見上げるのでは無いだろうか。自宅の風呂に時計を持ち込む人間は少ないだろうが、銭湯の壁には多くの場合壁掛時計が存在する。例えばそれは、ちょうど小学児童が4校時の座学の間、その日の給食のことでも頭の隅で考えながら見上げるように何の気無しに、貴方はぼんやりと時計を見上げる。そしてそのまま眺め続ける。周囲の景色や裸体の群れの輪郭が湯けむりに白くぼやけるなか、その文字盤の数字だけがやけに黒黒とはっきりしている。貴方はそこから目が離せない。何故か、その状態に充足感を抱いているからである。そう、貴方は今、生まれたままの姿で時間の概念と一体化したのである──

と書くといくらか読者が離れていってしまいそうだ。待ってほしい。もう少しでこの詭弁は終わるのでお付き合い願いたい。もし貴方が少しでもせっかちの因子を持った人間ならば、貴方は確かにここで、湯に浸かっていること以上に「時間が分かること」に安心をおぼえている筈なのだ。これを確かめるために私はある実験をした。そう、ある日スパ銭に着くや無謀にもコンタクトレンズを外して入浴に挑んだのである。あらゆるものの輪郭がぼやけるなか、記憶と第六感を頼りにシャワーを済ませ湯に浸かり、いつも通り時計を見上げる。見えない。これに限っては記憶だとか第六感だとかの話では無い。急激に不安が押し寄せる。動悸がする。これは時間が分からない恐怖によるものか、それとも単に血行が良くなったからなのか──。ともあれ、ここにおいて逆説的に命題は真であることが示されたのである。その日から私はいくら眼科で叱られようと銭湯ではコンタクトレンズを外さないと決めた。「時間との対峙」、これはさらにサウナに入ったときに顕著になるかもしれない。さて、温浴にも飽きてきた貴方はまぁせっかくだからとサウナの戸を開ける。適当なところに腰掛ける。室内のテレビモニタではお粗末なワイドショーをやっている。それをBGMにやはり貴方は壁掛け時計を見上げる。汗が噴き出す。5分。10分。貴方は汗の玉がのったまつ毛を瞬かせながらなおも時計を見続ける。さながら映画『時計じかけのオレンジ』で主人公の悪漢が受けさせられたルドヴィコ療法にかかっているように。そこから目が離せない。それは一種の狂気と化す。15分。20分。貴方は早く時が進めばよいと念じながらも、その針に焦らされることに快感をおぼえ始めている。滑稽なマゾヒズム。貴方は満たされているのだ、時計を眺めるという行為そのものに、時間そのものと対峙するということに!

…少しのぼせすぎたようだ。しかしこれでご理解いただけただろう。何故せっかちな人間ほどスパ銭で落ち着けるのか。それは、普段は微弱な力でもって私たちに影響を与えている「時間」の概念そのものが、ある種の強大な力を伴って私たちの意識を支配する場というのがスパ銭の正体だからである。その支配下にいる限り、私たちはフォアグラとしてその肝を肥大化させたいがために強制的に餌を与えられ続けるアヒルのように、嫌というほど「時間」にさらされ続け、そしてそこに歪なマゾヒズムでもって充足をおぼえるのである。 


 私は頭の中で仮説を立ておえると浴場を後にし、更衣室に向かう。ちょうど30分浸かり、すっかり気分が良くなった。時刻は22時をまわっている。研究室に向かわなければ。来たときのままのスーツを着て、帰り支度をしていると、隣のロッカーを使っている婦人が裸のまま話しかけてくる。

「あんた、パジャマは?」
「これから出かける用事があるんです。」
「やだ、こんな時間にそんな格好でどこ行くの。」
「大学院生なんです。これから大学の研究室に。」
「偉いねぇ、あら、あんたスーツの後ろ!毛ぇ毛ぇがついてるじゃない、大学に行くんでしょ、シャンとしなきゃ。」

「毛ぇ毛ぇ」という独特な表現。婦人は無遠慮にスーツの私の背をパンパンとはたく。埃を払ってくれているのだろうが、私にはそれが背を叩いて今後を応援されているように思えた。

 私はスパ銭が好きだ。





 蛇足ではあるが、この記事のタイトルの元ネタであるバズマザーズの「せっかちな人の為の簡易的な肯定」という曲、このバンドにめずらしく8bit調なシンセサウンドから始まる軽快なロックで、なんとカラオケ(DAM)にも入っているので是非聴いて歌ってほしい。

 この歌詞で完全に惚れてしまった。まさにこの曲によって私は外敵から身を守り、現実をMV化している。

 それでは、良いスパ銭ライフを。

よろしくお願いします。