「教える」が「教えてあげている」になってはいけない
日本語教師をしていたからなのか。
人が誰かに何かを教えているところ、教え方とかを見てしまう。
教師をしていたからなのか、ただ単に私が人をよく観察しているからなのか。
すごく気になってしまう。
「教える」も「育てる」も「教えられている人」が「学んでよかった!」と思うか思わないかで、「教えてもらった」になるか「なんか言っていたなー」に変わる。
究極の教えって「教えない」んだと思う。
完全に放り投げても「学び」につながると思うけれども、どう投げるかによって「学び」に繋がるか、「放置」になるか。
新人や初心者が「教えられている」感がなく、「放置されている」感もなく、ちゃんと実践を踏めて、よく失敗し、よく学べる環境を作れるのかが、いい先輩・いい上司なんじゃないかなーと思う。
「教えてあげなきゃいけない」と感じているうちは人にもいい学びをあげられていないし、あげる情報が多くなってしまうと思う。
その人が何を知りたいのかを聞いてあげて、それに答えるのもいいと思う。
その方がスッキリするし、得たい情報だけあげられる。
自分があげたいと思う情報が必ずしもその人が今もらうとよかったと思う情報とは限らない。シンプルに伝えた方が伝わるとき、+α伝えてもいいときはどんな人にも存在する。それは人によっても変わるし、タイミングにもよる。
それを見極めることが「教える」や「育てる」の難しいことなんだと思う。
一番いい教えは「教えない」んだと思う。
学習者、新人、初心者がどれだけ知りたい!と思ったことをいかに伝えるのかだと私は思う。
それができたら苦労しない。
ただ、苦労していると思っているのは自分かも。
どんな仕事においても客観視は大事。
心配しすぎても育たない。
いい感じにそっと実践に繋げてあげるのが一番いい学びだと思うし
私が今できることだと思う。
先生をやったからわかる。
先生やってちゃだめなんだと。
教室の中でいかに先生という着ぐるみを脱いで
学生の主体性を信じて、能動的な学習環境にサポートしていくかが大切なのかも。
私は100%できていなかったと思う。
離れたからこそ、わかった事実。
「教えないって最強なんだってこと」
ちーちゃんという人間がふと思った考えです。
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