螺旋の中の決断

金木犀や彼岸花が色鮮やかに咲き誇り、涼しさと夏の終わりを同時に感じられるようになった今日この頃、前回の記事の続報である。

結論から言えば、私は晴れて残業を卒業することが出来た。

前回の記事を書いた後、文字にしたからか少しだけ心が晴れた気がしたとはいえ、部長にひとこと言えば良いだけなのに、逡巡や罪悪感が心を揺らした。
それでも水曜日の仕事終わりに事務所でデスクワークをしていた部長の元を訪ね、勇気を振り絞って伝えると、戸惑った表情を浮かべながらも了承してくれた。

木曜日は元々届を出していたので、カウントしないとして、金曜日――つまり昨日。
業務が1つなくなったこともあり、珍しいことに定時間際に終了した。
最後の掃除になり、別部署に持って行こうと使った用具を集めていたら、上がって良いと言われた。
休憩室に戻ると、相談に乗ってくれた先輩がいた。
今しかないと先輩を呼び止めて、報告とお礼を言うとその吉報に喜び、笑ってくれた。つられて私も笑った。

当たり前のことをしたんだと思うが、先輩が声を掛けてくれなかったら、私はまだ鬱々とした表情でいただろう。感謝しきれないほど感謝している。

掃除している作業員の姿を見ながら、申し訳なさに少し落ち込んだが、この選択に間違いも後悔もないと信じている。
そもそも私は貧弱で非力だ。人間的にも不器用だし、前職でも同じ系統の仕事をしていたとはいえ、残業はほぼなく、今ほど体力を使わなかった訳で。
ただでさえ体力仕事なのに、そんな人間が残業なんかやれるはずもないのだ。

残業している時間で出来たことがどれだけあるだろう。
帰りの車を運転している最中、そんな疑問が湧いた。
例えば、デレステのイベントを進められたかもしれない。
例えば、コンビニでグッズの支払やなくなった物の補充を買いに行けたかもしれない。
例えば、ドラマのみならず推しが出演する番組や配信に間に合うように風呂やバランスの取れた夕飯、歯磨き、洗い物すべてを終えられたかもしれない。
そう考えたら、何だか残業に対して嫌悪感や後悔を滲むように感じられた。
残業って誰のため?自分のため?仕事仲間のため?
汚いことを言えば、金より休みが欲しかった。
週5の仕事+残業でろくに疲れが取れる訳ないのに。

あと何年今の会社で働いていけるだろう。
少しでも長く働くには、この方法しか現時点ではないと思った。
1番可愛いということではないが、一社会人の端くれとして思うのは、結局1番大事なのは自分自身なのだと思う。
その上で他人のことも考えなければいけないのだから、生きることで大変なのはここだと痛感する。
無理して身体壊して辞められたら、どれほど楽だろうと思う時もあるし、現在進行形。

確かに原因の1つなのかもしれないが、残業がすべて悪い訳ではなく、「ホントに残業だけがこの負の感情を生んでいるのか?」と正体不明の負の感情がまだ残っている気がするので、光が差した訳じゃないが、闇と靄に包まれた螺旋が大分晴れた気がした。
それでも新たな試練が立ちはだかる。
実は定時を申し出る前日、仕事の方式に少し変更があり、なかなか順応出来ずミスばかりしている。
自身の能のなさと不甲斐なさにひどく落ち込む日々が続いている。

それでも自分のペースで闘いながら生きていくしかないのだ。自分のために。
良くも悪くも今生きているのは、唯一無二の私の人生だから。

余談。前回書き忘れたこと。
1週間ほど早退を繰り返してた週の帰り、下駄箱に向かってたら別部署の先輩に出くわした。軽く挨拶をして、去ったのだが。
「翠ちゃん、最近早退ばっかしているけどどうしたんですかね」という声が聞こえてきて、下駄箱前で足を止めた。
話し相手である同じ部署の社員さんが分からないと答えると、別部署の先輩は「同い年(か1つ上)ぐらいの男性の先輩が「森に帰った」って言ってましたけど」と大変笑える回答が返ってきたので、「森じゃなくて家ですけどwwww」と小さく叫んで目の前の階段を駆け降りたのだった。