苛まれる

「翠ちゃん、最近元気ないって社長から聞いたけど大丈夫?」

先週の木曜、帰ろうとしたら先輩に小声でそう呼び掛けられて振り返った。

数日前、休憩中にトイレを待っていたら、社長と会った時のこと。
「翠ちゃん、大丈夫?」
その問いに何のことか分からなかった私は、首をかしげた。
「先週、ずっと早退してたけど何かあった?」
ああ、そのことか、と合点が行った私。
現在公開中の「科捜研の女 劇場版」の宣伝で主演の沢口靖子様が様々な番組に出演すると聴いて、リアルで見たいと届を出した上で早退した、なんてふざけた理由を言える訳なく「家庭の事情で」と咄嗟にありもしない嘘をついた。
今思えば、あまり納得してない表情を浮かべて「何かあったら相談してね」と近くの社長室に入っていった。

そんなことがあったからか、社長はきっとその先輩に話したと思われ、冒頭に戻る。
「(普段は人がいっぱいいるから)いつ言おうか迷ってたけど、先輩として話聞きたいと思って」。
仕事中は作業が早く、指示を出したり周りをよく見ていたり、時に共に働く仲間を厳しく叱責したりと気が強く、リーダーシップを発揮しているが、「言い方がキツいだけでホントはやさしさだから」(本人談意訳)と話すくらい仲間想いな人で、私もホントはやさしい人だと思っている。

確かにここの所、気持ちが少し落ち込んでいたのは確かだ。
でも、何が原因かは分からない。
不安なのか恐怖なのか、疲労か不満か。もしくはその全部か、それ以外の何かか。夏から秋に変わったからなのか。
ぼんやりとした負の感情、といった所だろうか。
話し掛けられたり、人の笑顔を見たりとちょっとしたことで笑えた自分に「あ、まだ笑えるんだな」とは思っていたけど。

とはいえ、そんなに元気なかったか…?
いつ、態度や身の振り方、言動で察された?
というか、元気だった自分も思い出せないし、前の会社でも時折「今日元気ないじゃん」とは言われてたから、最早仕様なんだと思う。

「特にこれといったことはありませんが…残業が辛いってことですかね」
最初、何を言われているのかよく分からず、動揺していたが冷静を装ってそう答えた。
一時期23時とかザラにあったが最近は19~20時台に終わるようになったものの、すべてが残業のせいではない。
でも、推しに対する「好き」の感情(好きだった曲も聴く気分になれないことも含む)が少し前よりなくなりかけているように感じていること、休日含め朝ちゃんと起きられず本も読めていないこと、休日や残業から帰宅後、やりたいことに対して無気力なこと――といった様々なストレス因子が表現しがたい負の感情に駆られていることにつながったのだろう。

「葛藤しているなら、折り合いを付けること」、
「残業出来ない(したくない)なら、部長に伝えること(「出来ないなら、私から伝えるけど」と言われたが、流石にそれは断った)」、
そして、「(残業出来るメンバーなんて暗黙の了解で残っているんだから)翠ちゃん1人が帰った所で、誰も知ることはないこと」と彼女らしく厳しくも愛のこもった助言を受けた。

ちなみに、毎週木曜は定時で早退したいという届をマジで何も考えずに出していたことを話すと、「定時は早退じゃないからね」とこっぴどくではないが、怒られた。

後で思い出したことだが、2日前の火曜日、残業明けに携帯を見たら派遣会社の担当者から電話が来ていた。
この時19時頃だったので、ダメ元で折り返したら出てもらえたことにほっとした。どうやら「最近声聴いてないからどうしているかなと思った」らしい。
その時、声だけで残業で疲れている(&意識が半分何処かに行きそうになってた)私を察したのか「身体が資本だから、無理しないでね」と身を案じた言葉を掛けてくれたのだった。

少し前から疑問に思っていたことがある。
残業することは偉いことなのだろうか。
残業する=作業が効率的に進んでいない、人数に対して仕事量が多すぎる(見合っていない)、ということではないのだろうか。
この国の人達は、働き過ぎだから、過労死とか労基に引っ掛かるとかが問題になるのではと足りない頭で思った。
休むことは悪ではない。むしろ仕事のうちだということを知らなすぎる。

私の会社の場合、自分達だけで終われる日もあれば、別部署の人が手伝いに来てくれたおかげで早く終われる日もある。
それぐらい人手不足なのだ。
本来は自分達がやるべき仕事なので、定時になったら別部署の方はさっさと帰ってしまう後ろ姿を羨ましく恨めしく見つめる。
何か不備があったら、自分達のせい。情けなくなる。

ストレスばかりの仕事か、ゆったりした自分の生活か。
どっちが大事かなんて一目瞭然。
休みを含めて自分の生活、生きていくために仕事しているのだから、結局大事なのは自分自身。
そのためには、休みを、プライベートまでも犠牲にしてまで働きたくない。
あんな想いは2度としたくない。
そんなことは分かっているのに。答えはもう決まっているのに。

さて、部長にいつ、どう切り出そうか。どういう反応するだろうか。
そもそも私は上手く伝えられるのだろうか。
先輩のためにもだが、10月から科捜研の女やDocter Xもはじまるから早くしないと。
伝えられたら、この得体の知れない黒い渦から解放されて、少しは身も心も軽くなるのだろうか。
人の目や罪悪感を感じている暇はない。暗い螺旋から抜け出してやる。