「好き」とテンショク

28日から色んな理由を付けて休んでいる。
理由は聞かれないけど、病院だとか用事とか。

ずる休みというには少し言葉が強すぎるのだが、仕事に行くのが嫌になってしまった。
職場にお局的な人がいて、当たりが強すぎて心が萎えている。
もう半年経つのに、てきぱきと仕事が出来ない私にほぼすべての原因があるのだが、そのお局にも原因があると思っている。
そのせいかよく分からないが、この前入った新入りさんも数日で辞めてしまった。これで2度目だ。

嫌すぎて、派遣の担当者に相談した所、その新入りさんも相談していたという。数ヶ月前に辞めてしまった新入りさんも、一緒に働いている派遣の方も。
社長にも相談したそうなのだが、「わざと厳しくしている」という返答だったそうだ。
ちなみにこの時、転職も視野にしてみるのも良いという案も上がった。

出勤、休憩含めすべての行動を素早く正確にやってほしいとよく指示を受けているが、元の行動がゆっくりめな私には難しく感じてしまう。
慎重に丁寧にやったら遅くなるし、素早くやったら修正を求められる。
自分なりに早くやっても結果は同じだった。
次第にお局の顔色を窺ったり、自分が今やっている作業や立っている場所にも不安を抱えるようになり、もう少しで精神のバランスを崩すのではと怖くなった。

「無理しないでね」。
派遣担当者に相談した時にもらったこの助言を糧に、限界に達した私は、部長の「休みすぎじゃね?」という指摘をさらりとかわして休みを申請した。
まずは、病院の日とV6の解散日と次の日。
解散日は、もう仕事にならないだろうと、次の日はそのまた次の日が祝日になるので1日働くのか……と憂鬱になったから。
次に、病院の前日。
「劇場版 科捜研の女」が市内の別の映画館で上映になっているのだが、最終日だと書かれていた(が、後日まだまだ上映予定だと書かれていたことに気付く)ため。
つまり28日~3日。本日まで7連休だ。ついでに母親にも驚かれた。

いざ、休みに入ったが、時計を見る度、今はあの作業やっている頃だなとか、暮れゆく空を見ながら今日もまた1日が終わるとかぼんやりと思っていた。
他の会社では当たり前なのかもしれないが、休み申請した際は休憩室のカレンダーの休む日に名前を書いておくこと、休み明けの出勤日には謝罪と感謝を伝えることを義務付けられ、以前より休みづらくなったと「休む」ことへの罪悪感を感じている自分と「休む=自分を守るための手段」と考える自分が同居しているのを感じながら、前半を過ごしていた。
後半に差し掛かり、出勤を前にもうすぐ明けてしまう「休憩時間」にただならぬ憂鬱と空虚感に襲われている。

連休に入る少し前にある動画を見た。
数年前に放送されていたフジテレビ系列の「ボクらの時代」で、俳優の鈴木浩介すずき こうすけさんと田中哲司たなか てつしさん、プラントハンターの|西畠清順《にしはた せいじゅん》さんの対談映像。
終盤にこんな会話があった。一部意訳及び引用する。

田中「役者、好き? …俺よく嫌いなんじゃないかなって思う
何でこんな辛いんだろうって、大嫌いなんじゃないかって」
鈴木「絶っ対、哲さん(田中の愛称)、好き。俺から見て、哲さん大っ好きだと思います」
西村「俺も好きだと思います」

役者、好き?
この問いが妙にぐさりと刺さった。
今の仕事、好きか嫌いか。私は断然嫌いだ。

正直、「好き」なことも「得意」といえるようなこともなく、「自分にも出来そう」という思いや単なる興味で選んできた。
「好き」なことが「嫌い」になるのが怖かったのもあったが、「好き」は最大のエネルギーになるのは仕事でも同じなのかと動画を見て感じた。

考えてみれば、私が好きなミュージシャンも俳優も女優も1回以上「自分の仕事が好き」と発言していた。
勿論住む世界が違うからと思うだろうが、素晴らしい作品だとたたえるような作品に巡り会えているのは、多くの共演者やスタッフ様達と試行錯誤して作り上げたから。

不器用で行動の遅い私が「早く」出来て、「好き」なこと。
25歳の今、もうそろそろ1年ばかりで辞めてないで、「天職」と呼べるような職業・職種に巡り会いたい。
自分の仕事が「好き」と誇りを持ち、胸を張って言えるようになりたい。
その願いを叶える鍵は、この2つなのだろう。


とはいえ、たった1人のせいで辞めてしまうのもどうかと思った。
勤めた期間は置いといて、他の先輩方は皆良い人なのだ。
それにあのお局だって、根拠はないけど、「嫌われ者」を演じているだけかもしれない。
職場という小さな世界にも色んな人間がいるから、あんな人も誰かにとっては必要なのかもしれないけれど。
だが、乗り越えた先に、なんて綺麗事を言う気力もなければ、頑張れる気力もない。

あぁ、また螺旋にとらわれてしまった。
自分の人生を決めるのは、自分のはずなのに。他人の目なんか気にしていては、何も変わらないし、進めないことも分かっているのに。