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金原ひとみ(3) 金原システムをメタ化した怪傑作=『fishy』

ひとに何か一冊金原ひとみを薦めるとしたら、躊躇なく『fishy』(2020年)を薦める
同作は賞をとったりしたわけではないみたいだが、金原ひとみ(1)で述べた金原システムを存分に展開し、その上でメタ的にぶっ壊してみせるという超高度に構築された作品だと思う
一作で著者の天才性を存分に感じ取ることができる

以下完全にネタバレ
まずこれまで記した通り、「金原システム」とは、
(1)3~4人以上の異なった人物が、章や節ごとに主人公として入れ替わり、1人称で短い話を紡いでいく
(2)登場人物はそれぞれ、①恋愛(性愛)、②夫、③子どものどれか、あるいは複数において深刻な問題を抱えていることで物語は展開する
(3)登場人物の欲望の形は明確であり、それは表面化され、欲望へのリアクションが必ず生じる=登場人物の「リア充」感が時代錯誤に高い
(4)「貧しさ」が話のフックになる現在主流のプロレタリア小説ではない

『fishy』では、美玖、弓子、ユリという3人の女性が登場する
3人は「飲み友達」であり、3人が直接絡む場面はほぼ飲み屋のみである
「3」は金原システムのユニットにおいて最小限の人物数であり、密度の濃い作品を予感させる緊張感がある
①恋愛②夫③子ども、における深刻な葛藤という点でいうと
●独身の美玖は、妻のいる男性と不倫して【①恋愛】で葛藤しており、
●2人の子どものいる弓子は、夫が不倫していて【②夫】の問題で葛藤を抱えている
ここまでは完璧な金原システムであり、ユリも同様の葛藤を抱えていれば話はするっと分かりやすい

ところが、である
この作品が「金原システム」の怪作であり、小説構造だけで傑作と思わせてくれるのは、もう一人の登場人物ユリの存在である
普通であれば、ユリも、恋愛・夫・子どもとの間に葛藤を抱えている
美玖が「恋愛」で、弓子が「夫」で悩んでいるとすれば、ユリが「子ども」の問題を抱えているのが最も「純粋な」金原システムの形である
ユリは32歳のインテリアデザイナーで、夫と胡桃(くるみ)という10歳の娘がいるという設定がプロローグで明かされる
ということは、例えば虐待のような形で「子ども」問題が存在していることを読者は(というか金原の愛読者は)最初から予想して読み進めることになる

ユリの他の登場人物、美玖と弓子の物語、つまり恋愛と夫に関する彼女たちの苦悩は、読んでいて苦しくはあるが、まあそこそこ凡庸に展開し、やがて一定の「解決」をする
●美玖は不倫相手の妻から慰謝料請求をされ、なんだかんだをしたあげく、結局彼への気持ちを吹っ切り、新しい恋人をみつけて婚約する=ハッピーエンドである
●弓子は不倫して若い恋人のもとへ去った夫が、家に戻ってくる。彼女は夫を許していないし夫のキライな点を再確認するが、それでも元の「家族」の形に復帰する。「夫の帰宅は、私をガチの地獄から救い出し、温い地獄に幽閉すること」=これもそんなに悪くない終わり方である

●一方ユリには、②夫や③子どもとの間の深刻な問題は発生せず、自分から声をかけた若い男とセックスしまくったり同棲して美味しそうに蕎麦を食べたりするばかりである
ところどころに何か夫や子どもとの間に深刻な事情が起きていて、それを隠蔽しつつ若い男との恋愛にいそしんでいるような不穏な発言も挟みこまれるが、物語中の「現実」としては何もおきない
物語中の「現実」としてユリに起こることは、
①若い男に街中で声をかける➡②仲が深まり半同棲のようなかたちになる➡③男の嫌なところが段々見えてきてブチ切れて男の前から姿を消す➡④電車で痴漢され痴漢相手をボコボコにする➡⑤男が美玖の手助けでユリの居場所を把握し再会し再び恋愛が始まる
という基本的には「他愛のない」ハッピーエンドである

読者は最後まで「夫や娘はどうなったんだーい」とヤキモキし続ける
というか中盤で、「こりゃ夫や娘は最初からいなくて狂言だわ」としか思えなくなってくる
しかしところどころに「ずっと昔に浮気した夫を殺して冷凍庫で凍らせてある」とか「ワンオペ育児に絶望して子どもを虐待死させた」とか、そんな過去を匂わせる発言が織り込まれる
するとやっぱり「夫や子どもの話」がユリの物語の核心なのではないか、と読者は再度予感しつづける
だがやはり最後まで夫や子どもは姿を一切現わさず物語は終わる

これはつまり「金原システム」への読者の期待や安心感をメタ的にぶち壊す作品なのだ
金原システムが「女の物語」=恋愛、夫、子どもとの葛藤を複数の登場人物に分割して提示し展開させ、総合的に回収するシステムだとすれば、読者(とりわけ愛読者)はその最後の大団円に向けて期待しながら読み進めていくことになる
ところが『fishy』のユリだけは、安定の金原システムの内にいるのか外にいるのかが最後まで分からないという特殊なキャラクターなのである
このユリの存在によって他作品を含む金原システム全体の安定感に亀裂が入り、システムをはっきり捉えていたはずの私たち読者が、ユリを通じて逆に作者から観察されているような不思議で不穏な読後感を生み出すことに成功している
特に私のような男性読者にとっては、「女の物語」を捉えることの限界を思い知らされるようなじんわりとした打撃感すらある

本当の本当に金原ひとみが凄いと思ったのはこの作品を読んでからだし、まだまだとんでもない傑作を生みだす予感を得られる




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