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(ネタバレ有)『貞子DX』感想

酷かった。『大怪獣のあとしまつ』を劇場で見た時、「今年はこれ以上つまんない映画はないな」とまだ年が明けて早々だったこともあり一種の安心感を得られたが、『貞子DX』を見てる間ずっと絶望してた。なんなら『大怪獣のあとしまつ』より酷いと感じたかもしれない。金曜日に見たのが失敗だった。土日にこの酷さがそれこそ「呪い」のように頭を巡り、色んなものに対する集中を阻害する。これは一旦言語化して成仏させようと思い、久々に記事を書くことにした。

さて、この映画は本来『リング』にあったJホラーとコメディ要素、宣伝されてるように謎解き要素がある。その目論見自体は間違ってないと思う。貞子のはじまりである『リング』の公開から25年ぐらい経つわけだが、貞子は恐ろしいものから「マスコット」として消費されるようなキャラクターになっている。様々なパロディやマスコット化により正当なホラーとして貞子を映し出すのには限界があるだろうと思う。そういう意味で「コメディ要素」というのはある意味で正当な貞子映画の行き着く先なんだろうと思う。2017年公開の『貞子vs伽倻子』は、本来の『リング』や『呪怨』といったホラー要素に前述のコメディ要素を折り込みながらさらに胸熱展開も用意してる(僕の中では)傑作で、かなり楽しめた。故にこの明らかな地雷映画にも足を踏み込んでしまったのだが・・・。

以下、ネタバレありの映画の感想。全体像、各要素(ホラー、コメディ、謎解き)に分けて述べる。

全体像


この映画、何と言っても「何もかもが前時代的」であり相当辟易とさせられる。しょうもないコメディとして見たとしても2022年にこれはないだろうと思う。例えばキャラクター造形、「頭がいい」キャラクターだったら冷静で人の感情理解に乏しく「科学で説明できないことはない」と思っている、いや間違ってるんだけど、とにかくステレオタイプ。また、引きこもりのハッカー(劇中ハックしてない)だったら暗い部屋でパソコンカタカタ・・・、名前もないような脇役たちに至っても、女子高生は基本バカで無知で人間関係も淡白、ネット住人はニヤニヤしながら「返信キボンヌ」と言ってる始末ってこれ本当に2022年の映画っすか。未だに人のステータス・状況とキャラクターを直結するような描き方をしており、こんな映画をそういう観点で本気で見てる人なんていないと思うが、ダイバーシティ・個の尊重が叫ばれてるこの時代にこれをやってしまう。しかも悪意なく。っていう本当に呆れ返るキャラクター設定なのである。何より、そんな何千回と見た設定なので、キャラクターに対する興味が湧くわけもなく、単につまらない。
演出面に関しても「前時代的」でこの時代にドラマの『24』オマージュはどうなんだろう。タイムリミットを表すために時間とスプリットスクリーンって・・・今時・・・。というかこれを使っても切迫してる時間に対する緊張感がまるで出てなかったし、そもそも『24』ってリアルタイム進行のドラマだからそういうのが活きたんだろうと思うんだけど。まあとにかくびっくりする古臭さが全体を支配している。

ホラー要素

前述の通り、この映画はどちらかというとコメディ色が強くホラー要素は弱い。それ自体が悪いとは言わないが、ただホラー要素も入ってはいて、それが全く怖くないというかつまらない。
例えば、主人公の妹が呪いのビデオを見てしまった!!ってそもそもこの呪いのビデオを見てしまうっていう流れがそもそも理由がよくわからない、かなり御都合主義展開なんだけど、それはともかくとして24時間で死んでしまう!!っていう件がある。前述の「24」オマージュと相まってさぞ緊張感のある展開になると思いきや・・・本当に緊張感がない!!いくらコメディにふっててもここは最低限の緊張感は必要だろうと思うのだが全くない。
妹は普通に高校に行ってるし、見てしまったことを知ってる主人公ですら飯を食いながら解決策を探してる(一応これには「主人公なりの」理由があるが、それにしても映画として緊張感を削ぐ画になるしテンポ感になるのは間違いない)。いよいよ呪いが本格化し始めて一人で泣きわめく妹、しかし本気にしない母親・・・一応ニュースで呪いのビデオによる突然死ってやってるぐらいの世界線ですよね?って具合に全く緊張感がない。また別の場所にいる主人公とバディ、このバディも役に立たない上に鬱陶しいのだが、この二人によるギャグが挟み込まれるので更に緊張感を削ぐ。そのくせ、いよいよタイムリミットが迫ってきたときに母親も主人公も慌てだしたり、主人公が「大切な人を失うことが怖い」って言い出す始末。夏休みの宿題か。緊張感もなければ演出の一貫性もない。
また貞子が全く恐怖の対象として描けてなく、いくらでも驚かせる展開が作れそうなのに全くそういう展開もない。なんか、『ハロウィン』のブギーマン的な「そこにいる恐怖」って感じもしない。冷静になって考えると24時間後にきっちり死ぬのだから呪いのビデオを見た人に、「予兆」として見える「貞子」につかまっても問題ないんじゃ・・・。ってやはり杜撰と言わざるを得ない。
当然ゴア表現もなく、呪いのビデオで死ぬシーンは馬鹿馬鹿しい画になっている。

コメディ要素

この映画の肝といってもいいのだが、そもそもコメディ映画といっても物語の本筋とは全く関係のないギャグが挟み込まれるだけである。
しかも、このギャグのヴァラエティが非常に乏しい。同じギャグを何回も同じように見せられる。例えば、主人公のバディの王司が極度に怖がり(この設定自体はホラー映画にしては意外と斬新だとは思った)で、とにかく絶叫をあげて驚く・・・のだが、これを何回も何回も繰り広げるのでとにかく鬱陶しい。この映画これに限らず、編集や演出など「鬱陶しい」という言葉が非常によく合うのだが、人違いギャグやキザなことを言っちゃうギャグ(いう度に鈴の音のような、『TRICK』みたいなSEが入り本当に鬱陶しいのだが)、とにかく何回も何回も繰り返す。ギャグのレパートリーが少なく(同じことを繰り返すので「少なく見える」が正しい)、しつこい。さらに言えば、別にギャグとしての斬新さもなくどこかで見たようなギャグばかり、しかもテレビで。・・・何回でも言うが2022年の映画だよね?
前述の通り映画のトーンそれ自体がこのしょうもないコメディ要素に引っ張られ、全体的にのぺーとしてしまっている。なので他の要素も阻害するので笑えない上に他の要素も楽しめなくなっている。
あとまあ最悪だったのは冒頭で、なんとフワちゃんっぽい人(本人ですらない)が登場する。伏線でもなんでもなく、ただ単に出てる。・・・ああ、これで喜べるのは一体どういう層なのか・・・。
「貞子がマスコットとして消費されている」と書いたが、実はこの映画は貞子をギャグとして使っているのは一箇所しかない。基本的には人間同士のくだらない、既視感あふれるやりとりで笑わそうとしている。つまり、「貞子映画」としてのギャグがないというのも貞子コメディ映画として非常に致命的だと思う。

謎解き要素

というよりこの映画の脚本の話だが・・・。この映画は「呪いのビデオ」をIQ200の主人公が科学的に説明・解決するという映画になっている。IQ200っぷりを存分に発揮する要素なのである。まあ「科学に説明できないことはない」っていう本当に冗談かと思うセリフを聞くとは思わなかったが(これに関して言ってると本当にキリがないので割愛するが)。
説明のために簡単にネタバレを書いとくと、この「呪いのビデオ」による死はウィルスによるものであり、見ると感染する仕組みになっていた!!・・・とまあそれ以上でも以下でもない。別に「ビデオ見てウィルスに感染するなんて科学的におかしいだろ」という野暮なことは言わない。が、問題なのは明らかにウィルスに関する調査不足、それに伴う非科学的な推論・解決が映画内で行われるので「謎解き」のフェアさもない。言ってしまえば密室殺人のトリックが、「犯人は壁をすり抜ける能力をもっている」と言ってるのと実質変わらない。
例えば、前述の妹が「呪いのビデオ」を見てしまった件、これの解決策が「何人かで呪いのビデオを見てウィルスを分散させて少量のウィルスから体内で抗体を作って死を免れる、ワクチンのように」という解決策なのだが、ワクチンは血清ではない。もっというとワクチンはウィルスそのものは入れない。これはこのご時世において非常に重大な誤解である。
ワクチンはウィルスの有毒部分以外の部分を体内に取り込ませて、ウィルスに対する抗体を作る。ウィルスそのものに感染したら・・・って言うまでもない。また、感染する事前に抗体を作るのがワクチンであって、体内のウィルスを直接殺す血清ではないので一度感染したらワクチン打ってもダメなのである・・・っていうかこの映画内の論理で言ってもウィルスに感染した人間に少量のウィルスを取り込ませることに意味を感じないのは僕だけだろうか。まあもうキリがないぐらい誤用が激しく、「進化論」や「時間細胞(?)(おそらく時計タンパク質)」など超科学的な話をさも科学的な推理として用いられるため、謎解きの納得しづらさ、御都合主義展開に見えるなど問題が出てくる。・・・というか正しい知識を持ってる人がバカを見る映画ってどうなのよ。ちなみにこの妹の件に関しては、主人公はほぼ何もしてなくて驚愕した。ほぼほぼハッカーの助言により解決する。
別に科学用語だけではなく、例えば「デジタルタトゥー」について言及があったがこれも全く誤用である。主人公は自分の推理のツメの甘さから結果的にデマをツイートしてしまう。主人公はクイズで有名なため、すぐさま拡散してしまう・・・って少なくともこの映画内では、これは「デジタルタトゥー」が問題なのでは明らかだ。「拡散」そのものが問題なのである。タトゥーのように半永久的にそれが常に情報として残り続ける描写はないわけで、今まさにデマが拡散されていることが大問題なのである。本当に言葉のイメージだけなんだな。一番どうかと思ったのは、このデマの拡散に関しては落とし前が全くついてないところ。下手すりゃ主人公のせいで死人が出てるぞって話なんだけど。
まあ細々言ってきたが、最低限の調査もせず言葉のイメージだけで脚本を書いているってことが伺える。そんな心意気で「ウィルス」や「SNS」といった現代風刺をやろうとしているのかが全く理解できない。所々に書いているが、用語だけではなく構成や展開なども非常に稚拙かつ杜撰である。

総論

キリがないのでここまでにするが、「あれも書いてない」「これも書いてない」と思うぐらいに本当にひどい出来なのである。
ガラパゴス化が叫ばれて久しい日本映画。「大怪獣のあとしまつ」のときに擁護派の映画評論家?映画関係者が、「キューブリックやヒッチコックだって作家性に注目するだろう?この映画も作家性に着目すれば面白く見られる」と言っている記事を見た。言うまでもないが、キューブリックやヒッチコックは作家性とは別に単独の映画として面白い・歴史に残る映画を作った監督であり、それ故に作家性にも注目が集まるのだ。作家性が前提の映画というのは、業界内での内輪ネタにすぎない。この記事を見た時にもふんわり感じていたことが、この「貞子DX」を見て確信となった。それはガラパゴス化してるのは実は「映画業界内」なのではないだろうか。00年代のテレビバラエティのような映画は、2022年の世間からは完全に遊離している。それが「謎解き」で述べた誤用に繋がっているし、ギャグ・演出どれをとっても前時代的である。そこに時間的普遍性も全く感じない。
そしてこういう意見もよく目にする。「観客をバカにしてるから批判が集まるんだ」という意見。「観客をバカにしている」というのは正しくて、この映画もバカにしている。「フワちゃんっぽいの出せば喜ぶだろう」「適当にそれっぽい理屈つければ納得させられるだろう」「人気ドラマの演出使えばいいんだろう」といったぐあいに。でも実際それに喜んでる人もいる。つまり、「バカにされるべくしてバカにされてる」のではないかと。「世間から遊離している」と相反するが、実はこの業界内のガラパゴス化に我々も取り込まれていたのではないかと思う。それがいよいよ露呈してきたなとこの映画を見て思った。

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