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微塵も興味がなかった英文学に救われる

私は大学の文学部で英文学を専攻しています。
しかし、悲しいことに英文学には微塵も興味がありません。

じゃあお前、なんで英文学専攻なんだとツッコミたくなると思いますが、
英語の語源が知りたかったため、英がつけば大丈夫だろうという安直な理由で
選んでしまいました、、。(本気で研究なさっている方々、すみません)

後になりそれは英文学ではなく英語史であり、文化人類学などとも相性が良い学問であったことが判明しました、、。
その頃にはすでに英文学を選んでしまっていたわけです。

そんな英文学に対しモチベーションゼロでやってくること2年間。
これまではなんでこんな授業受けているんだろうと思っていたのですが。

今朝、そんな私がなんと英文学に救われたのです。


読んだ詩はRobinson Jeffersの”The Beauty of things”

To feel and speak the astonishing beauty of things—earth, stone and water,
Beast, man and woman, sun, moon and stars—

The blood-shot beauty of human nature, its thoughts, frenzies and passions,

And unhuman nature its towering reality—
For man’s half dream; man, you might say, is nature dreaming, but rock

And water and sky are constant—to feel
Greatly, and understand greatly, and express greatly, the natural

Beauty, is the sole business of poetry.
The rest’s diversion: those holy or noble sentiments, the intricate ideas,
The love, lust, longing: reasons, but not the reason.

https://poetrying.wordpress.com/2010/12/12/the-beauty-of-things-robinson-jeffers/


事物の美

息を呑むような事物の美を感じて語ること一一
大地、石、水、
獣、男女、大洋、月といくつもの星の一ー

目をみはるような美 人間性、思想、熱狂、情熱の
そして非人間性、そびえたつ現実性の一ー
なぜなら人間は半ば夢だから人間は夢見る自然、
と言ってもいい

だが岩と水と空は常に存在する一一自然の美を大いに感じ、
大いに理解し、大いに表現することそれだけが詩の為すべきこと。

その他は逸脱あの神聖なあるいは高貴な感情も複雑な思想も、

愛、渇望、慢もいくつもの理由もあの理由ではない。

先生の翻訳文より


英語で読んだ後にすぐ先生が翻訳してくださった詩が出てきたので内容が理解できました。


Jeffersはアメリカのカリフォルニア州にあるCarmelという岬に家族と移住し、毎日
午前中は机に向かって詩を作り、午後に石を積み家を作る生活をしていたようです。

彼の過ごしたCarmelの様子を非常によく表す版画として
先生はTom Killionの作品をいくつか挙げていました。
以下にKilliionのWebサイトを載せておきます。
とても素敵な作品なので、ぜひ一度見てみてください。

Jeffersはこのような地での生活の中で、人間と自然の関係を見つめ直し非人間中心主義を詩の中で訴えました。

なぜこの詩に私が救われたのか。

最近自分の未来、生活、夢、やりたいことは
沢山あるけれど自分の力でお金を稼ぐことができていないことに非常に負い目に感じていました。

やりたいことはあってもお金を稼げていなければ今の社会では生きていけない。

夢や未来を叶えるためにもしっかり計画をして、責任をもたなければいけない。

しかし私には現実的に考える力がない。
お金も稼げていないし、今の生活に手いっぱい。
なんでこんなになんにもできないんだろう。
みんなが完璧に見える。
私にはなんにもない。
足りない、足りない。

しかし思い返してみれば、生きるという営みはとってもシンプルなのです。
彼のいう通り、
“For man’s half dream; man, you might say, is nature dreaming“
“人間は半ば夢だから人間は夢見る自然“

私も人間であり、夢見る自然です。

しかし外を見れば岩、水、空は常に存在し
岩はそこにあり、水は流れ、空は毎日のように色を変えます。
花は咲き、枯れ、そして子孫を残し再びまた咲きます。

自然の前に私は無力で、紙幣や硬貨はなんの意味も持ちません。

木は目の前にたつ人間を差別しない、区別しない、評価しない。
全てを受け入れる。
自然を前に人間はただ、人間であり比較はされない。

私は大きな自然の一部であり、今という瞬間を生かされています。
この体を与えられ、社会に対して何も生み出してはいないかもしれないけれど
今この瞬間に生きることを許されています。
自然も、食べ物も私を生かしてくれています。
せっかく生かされた体、与えられ、育てられた自分という存在。

私の恩師である大学の教授は言いました。
「人間は縦と横の軸で生きている。
 縦軸は自然とつながり、横軸は社会、人間とつながる。
 どちらもバランスを保っている必要がある。」

最近の私は横軸に偏り、縦軸を忘れてしまっていました。
どちらかだけに偏ると生きるということがわからなくなるのです。
だからこそ、今回の詩で縦軸に気付かされました。

英文学に限らず、文学は古来より作られ、語り継がれて
時に人々の心の救いとなり、オアシスとなってきました。

もれなく私もまたその1人となったのです。






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