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『いっぱいのかけそば』が怖くて泣いた日 よくわからないなりに#2

「自分には全く理解できない何かが起きている。」

これは私の子ども時代を貫く感覚であり、未だ抱える恐怖の根源でもある。実際、かなり理解力の乏しい子どもだった。算数とか国語とかの知力を問われるもの以上に、もっと日常的で切実な「状況から判断する」という漠然とした暗黙の了解的な事象への理解力が致命的に不足しており、今も得意な方ではないが、幼い頃は毎日をひたすらよくわからず生きており、それはわりかし怖い日常だった。

例えば、徒競走がわからなかった。

いつスタートして、どこに向かって、いつ終わるんだか、そういうことがわからないし、そもそも、何のために走っているかがわからなかった。
なので、運動会当日、徒競走をスタートした私は、先を走る級友の後をひたすらにつけた。彼女たちを見失ったら最後、どこに行けばいいのかわからなくなる。わからなくなれば、私はこの聴衆の面前で泣くに違いない。それだけは避けたかった。
「あんた、普段は足が速いのに、なんでかけっこはビリなんだろうね。」と親から言われても、私には何のことだか全くわからなかった。

例えば、言葉数が少ない質問の意味がわからなかった。

ある日、マキちゃんという友達を、彼女の家の玄関で前で待っていたら、マキちゃんのお兄ちゃんが帰ってきた。お兄ちゃんは家に入る時、私に向かって「妹?」と聞いてきた。
私はゾッとして全力で首をふり「違う!」と叫んだ。これまで何度も会ったことのある私を妹と間違えるなんて、このお兄ちゃん、どうかしてる!と怖気がし、以来小学校を卒業するまで、ずっとこの兄を警戒した。彼の質問が「(君は僕の)妹?」という珍問ではなく、「妹(を待ってるの)?」という親切な気遣いだったと気づいたのは、24歳の春。仕事中にぼんやり空を眺めていて突然閃いたのだが、なるほどぉと腑に落ちるとともに、猛烈な恥ずかしさに悶えてしまった。

この件は幸い、お兄ちゃんへの恐怖心とともに、何か変だな?という若干の違和感も抱いていたので、約10年越しながら、突然真相に気づくことができたのかもしれない。しかし、私の人生の何パーセントがこのような誤解に占められているのか、測り知れない。

そして、自分の理解の齟齬による恐怖心、そして、後に腑に落ちるという、この一連の流れの象徴として覚えている出来事がある。

私が小学生の頃『いっぱいのかけそば』という短い話が全国的に大流行りした。気づけばいつのまにか日本中が泣いており、テレビでは『いっぱいのかけそば』の話を聞く集団が、しゅんしゅんとすすり泣く映像を頻繁に流していた。

この流行りは私が通う小学校の教室にも来た。ある日、何の前触れもなく、担任の先生がこの話を朗読し始めた。たしか、給食の後だったように思う。すると、級友、主に女子全体、そして男子も数人、テレビで見た人たちと同じようにしゅんしゅんとすすり泣き出したのである。

恐怖だった。

担任に聞かされる前から『いっぱいのかけそば』の話はなんとなく知っていた。知っていたが、泣くようなものではないと思っていた。だから私は、テレビで泣く人たちのことを観ては「こんなお話でこんなに泣いちゃう人がいるんですよ。」という、ちょっと変わった人たちとして映されているものだと思いこんでいた。

しかし、今、目の前で泣いているのは級友たちである。テレビで泣く人などどうでもいいが、級友となると話は変わる。いつも遊んでいるりっちゃんも、陽子ちゃんも、めぐちゃんも泣いている。
これはもしかして、泣けない私の方がおかしいのでは?と疑問が浮かび、それはすぐ、泣けないことへの焦りへと変わった。

『いっぱいのかけそば』とは、今振り返ってみると、母一人子二人の貧しい三人家族が、お蕎麦屋で一杯だけのかけそばを注文し、分け合って食べながら生き延びる、その健気ない様子と、親子を支える蕎麦屋の優しさを伝えようとした話だったのだろう。

が、私はここを致命的に読み違えていた。

元々しめっぽい雰囲気が苦手な私が『いっぱいのかけそば』をちゃんと読んだはずはない。
テレビなどから聞きかじる中で、わからないなりに一生懸命理解しようとした結果、感情移入の標的を家族ではなく蕎麦屋に置く、という根本的なズレが生じ、人が流す涙の理由を誤解した。

以下が私の心中である。

三人で一杯しか食べてくれなくて、おそばやさん、ちょっと困っちゃったんでしょ?でも、こんなに泣くほどのことなのかな?一杯しか食べられない時もあるだろうし、他のお客さんもいるから、お店は大丈夫なんじゃないかな?違うのかな?一杯だけしか頼めないことって、おそばやさんには、泣くほど辛いことなのかな?3人で一杯しか食べられないってそんなに悪いことなのかな?一杯しか食べないと、こんなに人を泣かせちゃうのかな?
この間、梁山泊(近所のラーメン屋)で、私お腹空いてなくて、ママの焼きそばを分けてもらっちゃったけど、あの時、梁山泊のおじさんも、もしかして泣いちゃったのかな?

どうしよう、どうしよう…

こうして頓珍漢に焦った私は、級友たちは皆、一杯のかけそばしか食べてもらえなかった蕎麦屋に同情して泣いていると思い込み、共に泣けないことにジャンジャン恐怖を募らせた結果、泣き出してしまった。

私の涙を先生は満足気に眺めていたが、級友たちとは明らかに違う涙を流していることが、自分の中でとても重かった。

私の理解力の欠如や読み違えのやっかいなところは、誰もわざわざ説明したり、教えてくれることがない事柄、という点に集約する。

「まさか、そんなところがわかってないとは思わなかった!」

これは、私をこれまで支えてきてくれている家族や友人、知人の声から毎度聞く言葉である。

さらに、私の場合、理解力に加え、さらに不足していたのは、質問力である。

「わからないなら聞けばいいのに!」

これもよく言われる言葉だが、わからないなら聞ける人、というのは、
わかっていない自分、
もしくは、
自分は何がわかっていないのか、
もしくは
わかっていなくて困っている、
以上のような自分の状況を、ちゃんとわかっている人である。

私の場合、そういうことがわからないから、世界との距離が埋まらなかったのだろう。

質問をしない子であったかというと、そうではない。いや、確かに、極度の人見知りで、人に質問をすることは少なかったが、

毛が生えている黒子の中にはタネがあるのか?
爪は本当に指以外からは生えてこないのか?
雑巾で拭くと、なぜこぼした牛乳が消えるのか?

自分の中では、世界に対する疑問、もしくは不安や心配は絶えず溢れて忙しなかった。

残念なのは、質問を立てるポイントも、理解力同様、致命的に実用面からはずれていたことである。

必要な場面に限って、わからないなりの自分なりの理解、という頓珍漢の自家培養で育てた自己判断を繰り返すので、読み違えはエスカレートするばかり。

ほとほと自分に愛想も尽きるのだが、それでもなんだか、自分の勘違いしていた世界のことを見捨てる気持ちにもなれない。

例えば、『いっぱいのかけそば』という言葉とともに今も思い浮かぶのは、蕎麦屋の店主の苦笑いであり、真相が理解できたからって変わるものではない。

こうした誤解から生まれた幻想たちを、心のどこかで、かけがえのない大切な存在だと感じてしまう。

何故なら、私だけは、この誤解を生み出すに至った自分の真剣さ、真摯な気持ちを理解しており、どうか、そのところだけはわかってほしい、と願い続けてきたからである。

例え解釈はズレていたとしても、私はものすごく真剣に『いっぱいのかけそば』について考えていたし、その一生懸命さを思うと少し泣けて、時間が経てば自分で笑えて、そして愛おしくなる。

これまでも、これからも、理解力が欠けて、読み違えも激しく、思い込みは続くであろうが私なりに真剣に世界を観て、綴っていきながら、広く深く温かく、そして適度に遠い眼で見守りあえる、
そんな場所を、少しづつでも、体を張って広げていきたい。そこはきっと、居心地の良い居場所になるだろう。

Colorín colorado✨🌈

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