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VUCA時代のキャリア理論~トーナメントモデルからナラティヴ(物語)モデルへ~

みなさん、こんにちは。フェルマータ合同会社の寺戸です。

本連載では「一人一人のキャリア」に焦点を当て、変化の大きいVUCA時代の生き方について、みなさんと一緒に考え、トータルなライフスタイルについて情報を提供しています。(前回の記事「キャリアを人と比べてはいけない理由」はこちら

現在、私は就労支援の仕事をしていますが、過去に考えられたキャリア理論は、今の時代には合っていないと感じます。

本記事では、変化の多い時代のキャリアの考え方を提案したいと思います。

大人の言うことは聞くな!?親世代との職業観ギャップは致命的に


とりあえず大学へ行きなさい。
不安定な働き方じゃなくって、ちゃんと正社員になりなさい。

皆さんが将来を考える時に両親や周りの大人から、一度はこんな風に言われたことがあるのではないでしょうか?

昭和と令和の価値観には大きなギャップがある

私の親世代が生きた時代は、工業化社会の終わり頃。人口はどんどん増え、モノは作れば売れるし、「銀行に預けておけば元本の2倍近く預金額が増えていた」なんてこともざらにあった時代でした。

直線的に成長する社会では、人々は「努力すること」によって職業的なアイデンティティを確立できていました。

しかし、日本は高度成長期に入り、人々の価値観は多様化していきます。加えて、都市化が進み、かつて存在したコミュニティは解体され、個人がインターネットを通じて繋がっている状態です。

現在は「これをやっておけば大丈夫」という文化的な規範がなく、またロールモデルとなる大人との接点も作りづらく、職業的なアイデンティティの確立が「個人化されている」時代です。

また、日本では非正規率が「36.9%」であり、約4割が非正規労働に就いています。この傾向は年齢が若くなるほど顕著です。若者は社会の中ですでにマイノリティとなっていて、構造的に働きづらい社会になっています。(※2022年総務省労働力調査より)

ChatGPTなどAIの台頭もあり、世代問わず、社会全体が職業を失うリスクを抱え、さらに高度な教育を受けないと職業を得られない、そんな時代になってきました。

現在の日本においては「職業的なアイデンティティ」の確立が、いかに難しい時代であるかを理解していただけたかと思います。しかし、職業的なアイデンティティは現代を生きる上で非常に大きな意味を持つために、同時に人生に苦しむ人が増え始めていることを感じています。

直線的に成長する社会では「失敗することなく進み続けること」が求められました。同じ製品を大量に作り、売ることが求められていたので、失敗しないことが業績に直結したからです。

しかし、現在は変化が大きく「失敗するのが当たり前の社会」です。

まず、失敗が許されない時代から、失敗が当たり前の社会になっているという、大きなシフトチェンジを捉えることが大事です。

かつては「トーナメントモデル」を生き抜けるかが課題だった

社会学者のローゼンバウムは、一度進学や昇進といったキャリア競争で負けてしまうと、その人の能力の上限が構造的に定義づけられる状態を「トーナメントモデル」と称しました。

トーナメントモデルでは一部の人しか成功せず、そこから外れたらキャリアは失敗!?

実は、トーナメントモデルが用いられている皆さんに身近な機関が存在しています。どの機関かわかりますか?

そう、「学校」です。

学校において、私たちは「点数」で評価され、進路が枝分かれし、その道は就職先にまでつながっていきます。一度脱落すると、上昇が難しい、まさにトーナメントのようです。

就労支援で接する若者たちの多くは、この「トーナメントモデル」を通して自身のキャリアを捉えているので、進学に失敗したので社会に復帰できない、いい仕事につけないと悲観的になってしまっています。

産業社会は大きく変化しているにも関わらず、学校教育を通じて、私たちは旧時代のフレームで物事を考えることに慣れきった状態で社会に放り出されることになるのです。

トーナメントモデルから、ナラティヴ(物語)モデルへ

私が提案するのは、自身のキャリアを「トーナメントモデル」で捉えるのではなく、「ナラティヴ=物語」として捉えることです。

キャリアコンサルティングの世界でも、かつては「単一方向的に発展していく理論」が一般的でしたが、変化の大きい現在では、これらに批判が加えられ、「ナラティブキャリアコンサルティング」などの手法が開発されています。


人それぞれが、自分自身の物語(ナラティヴ)を作っていく時代

変化の大きい社会では、あらゆる人が「逆境的な状況」を経験します。産業構造の大きな変化によって、学んできたものが無意味になってしまうからです。

そんな不安定なキャリアを歩む中での足場になるのがナラティヴ=物語です。

ヴィクトール・フランクルは、人生における「意味」の重要性を提唱した精神科医です。第二次世界大戦中、強制収容所で壮絶な体験をしたフランクルですが、人生には必ずしもコントロールできない出来事が起こることを認めつつ、それらに対する意味を見出すことの重要性を説きました。

私はひきこもり状態にある方や、長期のブランクがある方の就労支援をしていますが、初めて出会った時は「トーナメントモデル」の視点で自分の人生を捉えているために、どうしても自分の人生を肯定することができず、就職に踏み出せない状態にいます。

様々な体験を通して、自分の特徴や「できること」に気づいていきます。この「できること」は、自分自身のキャリアを築いていくための大切な資源になります。

「できること」という資源を使い、新たな意味あるキャリアを構築していきます。トーナメントモデルで見ていたとしたら、一度ルートを外れてしまったら最後、どう足掻いても、意味のないキャリアのように思えていたかもしれません。

自分の人生の意味に向き合った結果、「できること」で社会に貢献しながら、自分自身の楽しみ(ゲームやスポーツ観戦などの趣味)を大事にする人生を歩み出す方もいます。

キャリアを考える上で、職業的なスキルはもちろん必要ですが、「キャリアの中で何を実現するか」という課題から目を背けている限り、人はなぜ働いているかわからなくなり、疲弊してしまいます

最後に朝井リョウの小説「死にがいを求めて生きているの」の中のセリフをご紹介します。植物状態となった親友が目覚める日が訪れると信じ、時間のあるかぎりお見舞いに訪れている青年の言葉です。

「明日は絶対に出会える、その次の日は絶対に出会えるって、一日ずつ、クッキーの生地みたいに、命を引き延ばしていくんだよ、そしたらきっと、その毎日がすっごくつらかったとしても、ただの繰り返しだとは思わない。ああ、この瞬間のためだったんだって笑う日のための積み重ねだって思える」

「死にがいを求めて生きているの」朝井リョウ

決して「つらい体験」をしてほしいというわけではありません。ただ、人生の中に自分なりの意味を見出せたら、日々の行いは全く違う様相を帯び始めます。

あなたがキャリアの中で何を実現するのか、あなたなりの「働く意味」について、少し考えてみませんか。

参考書籍
『ロゴセラピーのエッセンス』ヴィクトール・フランクル
『若者のアイデンティティ形成 学校から仕事へのトランジションを切り抜ける』ジェームズ・E・コテ
『死にがいを求めて生きているの』朝井リョウ








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