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フォートナイトの米津玄師ライブで、「ライブ感」の意外と大事なポイントを発見してぐるぐる悩んだ話。


観る側の自由

こと日本において、
ライブを観る側にとって最も「健全」な場所はクラブである。
なぜなら「自由」だから。

これは、僕がこれまで常々思っていた事である。
一般的な日本のライブ会場では、皆一様に拍手をするし、立ったり座ったりある程度の規則に則って動き、どうしたって暗黙のルールみたいなものが存在する。もちろん「一体感」というある種の興奮状態にとって、これはプラスに作用するのだが、そうでない楽しみ方をしたい人だって当然居るはずだ。

各々が各々のスタイルで楽しむという点では、クラブ、あるいやフェスというライブシチュエーションは圧倒的に「自由」だ。
じっくり聴きたい人、歌いたい人、踊りたい人、拍手したくない人、飲食したい人、話をしたい人、ナンパしたい人、休憩したい人、寝たい人、たまには聴きたくない人。
音楽を楽しんでるという点において、これらの人達には何ら差異はない。
各々思い思いの方法で楽しんでこそ「健全」なのではないか。
これは配信ライブにとっても、巨大なメリットの一つのはずだ。
ヴァーチャル空間上では、この「自由度」はさらに加速する。


疑似の恩恵

Marshmello、Travis Scottに続き、米津玄師が日本人初、フォートナイトでのライブをやるということで、リアルタイムで参加してみた。(ゲーム上で)
夜20時から翌朝にかけて、三回同じ内容のイベントが開催されたのだが、スケジュールの関係で一回目は見れず。
深夜二回目の開催では、ライブ会場に辿り着けず、遠くで鳴るライブの音を聴きながら20分間寂しく街を走り続けるという失態を犯し、
三度目にようやく観ることができるというオジサン丸出しのゲームスキル。

ライブ自体は5曲で20分余り、
前述した2人のアーティストとは違い、今回は巨大なスクリーン投影によるシアターライブ形式。ヴァーチャル空間ならではの非現実的演出は今までと同様なので割愛するが、今回は演者側が定点から動かない為か、「疑似3D音響」がさらに進化していたように思う。

具体的には、
・LRのPanning(プレイヤーが右を向けば左耳側から聞こえてくる)
・StereoWidth(遠くに行けばモノラルに、会場最前列では完全ステレオに)
・LPFilter効果(会場から離れたり水中に潜ったりすると低音の遠鳴りがする)
の3点か。
これらは「擬似的に」ミキサー上でできる範囲であり、厳密な3D音響ではないものの、臨場感の増幅には十分な寄与を果たしていたと感じる。

この数ヶ月、僕自身大小いくつかの配信ライブに参加、あるいは他のアーティストの配信も相当数観たのだが、共通の問題点があるように思う。
音質的にも映像的にもクオリティが上がれば上がるほど、家でDVDを観ている感覚になるというジレンマ。これをどうしたらいいものかと、ずっと頭を悩ませていたのだが、この疑似3D音響のおかげで、原因の一端がようやく判明したように思う。
すなわち、「視点と聴点の乖離」である。


ライブにおける身体性

ここから先は、思考演習のぐるぐるの結果として一応記しておくが、
だいぶおかしなことを言っている僕の戯言として御容赦願いたい。

そもそも一般的なライブ会場では、右側の観客と左側の観客の聞こえ方を揃えるために、CD録音物よりもステレオ幅を狭めることが多々ある。言い換えると、よりモノラル音源に近い状態になる。そして、その音は会場の様々な反響込みで耳に入るため、より明瞭さは下がるはずだ。

加えて、カメラの切り替えによる視点移動が頻繁に行われるにも関わらず、音像感は変わらない。すなわち聴点が移動することはない。極端な話、「真に身体性を伴った感覚であれば」、ハンディカメラがVocalistに寄ったら、原理的にVocalの音量が上がるのではないか。ドラマーが左に映っているのならば初期ステレオ盤ビートルズのような音像になるのではないか。そして、もっと言うなれば、カメラアングルが切り替わるたびに音像が変わるのが原理ではないかと。ここで視覚性と聴覚性の乖離がどうしても発生してしまうことに気づく。

もちろん、これはあまり現実的ではないし、カメラアングルが切り替わるたびに音像がころころ変わっては、気持ち悪くて船酔いみたくなってしまうかもしれない。音楽作品としてはとても不本意な結果になるだろう。

これを突き詰めて考えてみると、ライブを映像化するという時点で、もっと言えば音を録音するあるいは増幅するという時点で、そもそもこれは身体性との乖離の問題を内包した概念であり、最も身体性を伴ったライブというのは、nonPAの生音を直接耳にする行為でしかありえないという結論に帰結してしまう。

すなわち、ライブの映像作品や配信における身体性というものは、
 ①そもそも考えるべきでない
 ②内包する矛盾をどこまでごまかせるか
の二択になってしまうのだ。


とはいえ

革新的な試みに間違いはないし、楽曲・サウンドのクオリティも抜群。
「砂の惑星」で自分の弾いたピアノがヴァーチャル空間に鳴り響いてるのも確認できたし、短いながらも素晴らしいライブだった。
加えて、これからのITスキルにゲームスキルまで必須になるのかと思うと、オジサンにはなかなかつらいものだと。

今日のnoteは結論ナシ!

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