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糞フェミでも恋がしたい

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能條まどかによる実体験に基づいた糞フェミ恋愛小説「糞フェミでも恋がしたい」の連載まとめ
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#小説

糞フェミでも恋がしたい (その1)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミというのは、要するにフェミニストなんだけど、ガチガチで融通が利かない、女性至上主義者ってことで、ほんとは悪口で言われる言い方で、自称するもんじゃないんだけど、自分でもそういう自覚はあるというか、でも自分のせいじゃないんだけど、生い立ちから、育ちから、いろいろあってこうなった、そういうのを含めて、他人には言わないけど、自分では自分のことを糞フェミって呼んでる。 もちろん、22歳のこの年になるまで、言いよられたり、口説かれたりしたこと

糞フェミでも恋がしたい (その2)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミになったについては、まず家庭の事情があるのだ。だからかならずしも自分だけのせいではないのだが、でもなんだかこう、脈々と受け継がれる血の呪いみたいなものがあって、それが疎ましいというか、恨めしいというか、つまり嫌だ。 事情というのはこうだ。私が生まれたのは東京の山の手の緑の多い閑静な街で、大きな家というかいわゆるところのお屋敷で、お屋敷というのは代々の家柄が政界とか経済界とか、まあ要するにいろいろと権力に近いところの、日本のそういう

糞フェミでも恋がしたい (その3)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミもそうとう狂った人間だが、私の母親はもっと狂っていた。私の母親は、父親に犯されながら、殴られ、虐げられ、一塊の肉として扱われることを、無上の悦びとしていた。 普段は和服姿で、身ぎれいさと優雅で卒のない身ごなしと、花街の出であることを思わせるちょっとした艶な仕草と、しかし品よく女らしく、誰に対しても柔らかに接する、地味で目立たないながら、しっかりと芯のある生き方、妻として母親として、申し分のないその姿は、何処から見ても理想そのものだ

糞フェミでも恋がしたい (その4)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミになったのは、結局は親のせいだ。父親と母親の、えげつない、地獄みたいなセックスのせいで、何度も何度もそんな淫乱で果てしなく動物的で情愛に満ちた交尾を見せられたせいで、私の理想はまったく現実離れしてしまった、狂ってしまった。私の父親のような、つまり、人間的にも社会的人も圧倒的で、雄の臭いと性的な魅力に満ちた、そんな男にしか興味が持てなくなってしまった、感覚がおかしくなってしまったのだ。 当たり前のことだけど、世の中をいくら見渡しても

糞フェミでも恋がしたい (その5)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミでも恋がしたかったが、普通の男なんかに何の価値も感じなかった、普通の男に抱かれるくらいなら処女のままでいい、私にとって、普通の男も、普通のセックスも、何の意味も持たない、私が求めるのは、圧倒的な男、社会的にも、性的にも、圧倒的で、雄の魅力に満ちた、そういう男に、無理矢理押さえつけられ、身体の芯まで犯され、孕まされ、首の骨をへし折られて死にたいのだ、いや、それはちょっとオーバーで、死んだら快楽に溺れることも出来ないから死にたくはないけ

糞フェミでも恋がしたい (その6)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミでも恋がしたかったのだが、恋だかなんだかわからないものにぶち当たってしまった。それは見れば見るほど可愛かった。可愛い、圧倒的に可愛い生き物だった。それはにこにこ微笑んでこちらを見ながら、ちょっと口元を歪ませていた、肌の色も抜けるように白い、お化粧じゃなく、嘘で塗り固めたものじゃなく、本物の、地の色が白いんだということが、柔らかに透けて見える血管の赤みでわかった。 見れば見るほど自分が破裂しそうになる。本当に本当に糞糞糞糞可愛かった

糞フェミでも恋がしたい (その7)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミでも未練はある。私のほっぺたをひっぱたいた、とんでもなく可愛い、そして超ドSの、つまりは私好みの、女装の男の子が誰なのか、身悶えするほど知りたかったが、知りたくてあちこちのイベントを探しまわったが、残念ながら手がかりはなかった。空想というか、普通の小説なら、なにか都合良く歯車がかみあって、向こうの方から偶然が音を立てて押し寄せて来るんだろうけど、実体験はそういうふうにはいかないのだ。もどかしいのだ。ほっぺたの痛みを思い返しながら、さ

糞フェミでも恋がしたい (その8)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミの道は険しい、まるで艱難辛苦、ただ普通の女として普通の恋愛をしようとするだけで、とたんに高い壁に人生を阻まれ、挫折しそうになる、神様なんて信じてないけど、神頼みしたくなる気持ちもわかる。言ってしまえば私の場合、そもそも自分が好きで選んだフェミの道ではないのだから、勝手に艱難辛苦を置かれても困るし、誰かなんとかしてくれよとも思う。 閑話休題。志津澤綺羅のことだ。 志津澤綺羅は、いや、なんかもっと想い人っぽく綺羅君と呼ぼう、そのほう

糞フェミでも恋がしたい (その10)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミだって頑張るのだ。それも着実に外堀を埋めていくような頑張り方だ、というか外堀ってなんだろう、ほとぼりが冷めると関係あるんだろうか、というかほとぼりってなんだ、もう、どうでもいいや、だって私は綺羅君の家をおいとまする前に、アドレスを聞き出したのだ、早速突撃だ。 以下、綺羅君とのスマホの会話である、私の涙ぐましい頑張りを見て欲しい。 [綺羅君ですか まどかです  ] [今日は会えてうれしかったです]    [あ はい 綺羅です  

糞フェミでも恋がしたい (その21)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミは現実認識が甘い、現実を直視し、客観的に認識できていたら、そもそも糞フェミになんかならない、もっと着実に世渡りの才を高め、己の日常を豊かなものとしているに違いない、でもそんなの到底無理だ、だって現実認識が甘いからだ、もちろん私の現実認識も、話にならないぐらい、甘い、「あの綺羅君」が、サークル部室の居並ぶフェミ闘士を相手に、彼女たちを魅了するがごとき中性を思わせる素敵な声音で、かの歴史的名作シェイクスピア「じゃじゃ馬馴らし」評を語りは

糞フェミでも恋がしたい (その22)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミにも五分の魂、馬鹿にしたものではない、人生の棘を幾度もくぐる者には相応の経験と見識が備わる、私にも備わっている、処世術などというご大層なものではない、どうすればお菓子をひとつ余計にもらえるかという、それだけの話、私は子供のころからそういう手管が下手で、いつも口惜しい思いをしていたが、今は違う、成長の証は、私に勝利をもたらす、私が心から愛する男と、蜜月を過ごすという勝利だ、行け行け私、がんばれがんばれ私。 会議棟の屋上には、幸い人気

糞フェミでも恋がしたい (その23)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミでも淫乱なのだ、淫乱というか、それはぜんぜん悪い意味じゃなくて、セックスの快楽に正直なのだ、動物として真っ直ぐなのだ、くだらない見栄や良識に振り回されない、強い生命体なのだ、だから、私は淫乱を貫くのだ、すみれちゃんが座り込んだまま目を見開いて呆れていても、貫くのだ、つまり、その辺のエロ小説なら、一発フェラして終わりのところだけど、実体験だから終わらない、だって、綺羅君の男性器は勃起したままなのだ、もっともっと、射精してもらおうと思う

糞フェミでも恋がしたい (その24)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミには糞フェミのことがよくわかる、まあ、わからないわけはない、みんなどこかしら脛に傷があって、望んでではなく、仕方なく糞フェミになった者ばっかりなのだ、持って生まれた性格は違ったとしても、出生とか、育ちとか、経験として、共感しないわけがない、自分はひとりではないというそのことが、唯一、狂わないでいられる希望として、理性を繋ぎ止めることもある、真の狂気は、真の孤独とともにある、好んでそこに落込んで行きたい女など、この世界のどこにもいない

糞フェミでも恋がしたい (その25)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミの朝は早い、起きたら歯を磨いて、顔を洗って、まだ眠いけど、目覚めの紅茶を飲んで、というかその紅茶はスリランカのディンブラと決めていて、ブレンドではなくストレートしか飲まない、目にも艶やかなルビー色から放たれる爽やかな香りに、気分が沸き立つ、スターバックスではこうはいかないね、気に入ったクッキーを齧りながら、iPadを抱え、ベッドにころがりながら、まずネットニュースを周回して、フェミに関する新しい情報をチェック、整理する、そうはいって