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受苦不能性とmoralische fantasie

武道や踊りやその他の修行で、身体が受苦(じゅく)不能の身体になってゆくと師匠は言った。
解釈すると、起きる出来事に左右されなくなる、状態になるという事だと思う。

"取り組まれた身体"(鍛えられた、ではなく、身体の謎が紐解かれている)の身体性に圧倒的な力と美を人々が感じるのは、この受苦不能性を感じるからかもしれない。
この受苦不能の体になるには、思想は関係ないらしい。私は、君が代舞踊団の団長にも、水晶の夜を美しきテーマにした先輩にもこの受苦不能の美を感じていた。

一方、師匠はmoralische fantasie というもう一つの鍵について教えてくれた。意味は道徳的想像力と直訳できるドイツ語。敢えて日本語を使わないのは「道徳」という言葉が通俗道徳にまみれ家父長制に侵されてしまっているからだ。

このmoralische fantasie にしか出せない美しさがある。それは我々を支配する力ではなく、自由に生きさせる力だ。このmoralische fantasie力を感じさせる人が好きだ。菅野完、野間易通、片岡祐介、笠井叡 etc....


シュツットガルトオイリュトメウムの校長だった伝説のオイリュトミスト、エルゼ・クリンクの言葉…

オイリュトミストは人生の苦しみを背負う必要はない。
しかし、
オイリュトミストを輝かせるのはただ、苦しみのみである。

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