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コトバ、そして電車が好きになった日

おはようございます。

自主留年している一年、本当に何もかもが変わってきた気がします。生活は自分に戻ってきて、本当にやりたいことを見極めて、自分のやり方を固めていく、より世界を感じるように、自分を訓練する、このような一年でした。それまではなぜ毎日遅く家に帰っていたんだろう、頑張っていたけど、何も覚えていない自分に今は疑問です。

今日は井筒俊彦先生の「意識と本質」の読書感想をゼミで発表するので、ここでwarming upします。要は、「コトバ」の哲学なのです。私達が発する言葉、それは本質のごくわずかをしか現していない、つまり私たちは限定された世界に生きていくのです、このままの言葉を使っていくならば。

禅問答から、啓発を受けるのは、自覚を促して、初めて発する全身の感覚を駆使した言葉にこもる意味、それが形而上学に一気に実存を表した瞬間、そこで含まれる言葉は限定されると言っても、人はより感じているのです。

この哲学の意味は、今の私からすると、「世界をもっとみよう」「広く、広く」という意味もありますが、もっと大事なのは、よりマクロなところ、つまり自分自身、それを理解することの大事さ。自分をも理解していないときに、相手に理解させるのは無茶です。

自分を見つめて見つめて、言葉をなくして、「無」になること。

そこから全てが始まります。

六月末に赤羽に引っ越しました。初めての二人暮らしです。電車の車線がすぐそばにあって、初めはうるさいかなと心配していましたが、今はもう慣れました。鉄ちゃんとは程遠かった人生ですが、先日荒川近くの緑地を歩きながら、流れる電車を見たとき、電車が好きになりました。「美しい」。自然に浮かび上がってきた言葉です。

自分が豊かになると世界が豊かになる。

Good Morning!

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