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アメリカをウォッチメンの文脈で語る(Watchmen(2019))

 HBOのウォッチメンを見たのだが、これが非常にウォッチメンの文脈を継承をしており「やっぱHBOはすげぇや!」という感想を抱いたのであった。ただその一方で原作が語ろうとした部分とドラマが語ろうとしている部分、その二つがかみ合っていないとも感じた。

 ドラマ版ウォッチメンは原作から凡そ30年後の世界から始まるので、できれば原作をある程度抑えてもらえるとこのドラマをより一層楽しめるだろうと思う。


 ……一応、映画版があり幾つかの配信サイトで閲覧できる。しかし、ドラマにもかかわる根本的なアイデアが改変されているためあまり推奨はできないことをここに断っておく。

 そもそも原作Watchemenの立ち位置はヒーロー・フィクションというジャンルをメタ的に解析するというのが主な目的として作られたものだ。ヒーロー・フィクションを解析するということは、ヒーローものの根幹とは何かということが問われる。それは一言でいえば「人を助ける」ことである。これは一部の例外(パニッシャーとかスーサイドスクワッドとか)を除いて、全てのヒーロージャンルを扱っているアメリカのコミックスやドラマ、映画に当てはまる。

 例えばスーパーマンも基本的には困っている人を助けることから始まる。それは常に一貫しており、その障害が商業的な理由で大物のヴィランであったり、SFチックなギミックであることにすぎない。

 極論していってしまえば、スーパーマンの物語に派手な障害などは必要性などないのだ。スーパーマンが落ちてくる旅客機を救助したり、スーパーマンがスーパーマンがサンタさんと一緒に子供たちにプレゼントを配ったり、スーパーマンが自殺を考えて苦しむ子供を助けてもいい。(ちなみにこのたとえの中に実際に存在するコミックスのストーリーも混ぜられています)そういった一切の派手さを排除したところで、スーパーマンの物語は何一つ、不変はなくつづがなく進行していけるのだ。

 しかし、その派手な障害が世間的に商業的に受けが良い結果、「ヒーロージャンルは魅力的な障害を排除することを目的とする」「ヒーロージャンルは所詮、暴力的なジャンル」という勘違いが生まれ、往々にして的外れな分析がなされたりもする。

 しかし原作Watchmenの場合はそういった生ぬるい分析とは一線を画していた。Watchmenのジャンルの分析でよく上がるのは「ヒーローは所詮、暴力的なジャンル」といういわゆる的外れなものがあげられる。けれども原作の分析はよりおぞましいものなのだ。

 「ヒーロージャンルが人を助けるという目的を達成するものである。ならばその過程において、より多くの人を助けるに少数の人を犠牲にする。そのような作品もヒーロージャンルの作品として成立するのではないか?」

 このムーアの宿題を最後に彼はヒーローコミックスのメインストリームから去ったが、業界人たちは2019年までずっとこの宿題にこたえられずにいた。(その辺りの話は「Doomsday Clock」で話そうと思います)その結果、一時期、業界は的外れな分析を真に受けてしまい、ただただ陰惨で暴力的でマッチョイムズな作品をいくつも送り出してきた。

 しかし、原作者アラン・ムーアとデイヴ・ギボンズが予期していなかった部分が「ヒーロージャンルのメタ的な分析」を超えて注目されてしまう。それはWatchmenの持つ「リアリティのある世界観」だ。

 フィクションにおけるリアリティというのは曖昧なものである。特に漫画では往々にしては曖昧である。漫画限定とはいえ夏目房之介は「マンガの内部での現実らしさは、作家 と読者の一定のとりきめ、無意識の了解」と語っていたほどである。

 だがWatchmenの分析は「無意識の了解」を飛び越えて、その当時のリアリティに肉薄していたのである。これは単純にアランムーアのライティングスタイルの問題でもある。彼は基本的に自分の作品を作り上げるとき、徹底して資料調査を行い、分析し、「時計を作るような」繊細さで自身の作品の世界観を構築していくのだ。(その上でムーアは当時誰も思いつかなかったコミックスのもつ時間の流れをいち早く見抜いて作品に導入している。)

 世間的に、業界的に、Watchmenで注目されたのはこのムーアのライティングでくみ上げられた世界観のほうだろう。そしてドラマ版Watchmenのはどちらかというと、このライティングを再現しているのだ。

 ドラマ版Watchmenも分析をする。しかしそれは原作の回答への分析ではなく、当時のムーアのライティングに沿って、「アメリカ社会の分析」を試みているのだ。だからこそ、真っ先に差別問題が大きく焦点があてられるのだ。

 原作のWatchmenは自らのメタ的な分析を行うために、世界観を構築した。一方でドラマ版Watchmenは世界観を構築するために、2010年代のアメリカ社会を分析した。

 そうした食い違いはあるとはいえ、ドラマ版のアメリカの分析は成功しているといえる。

 アメリカ社会の分析によって浮かび上がった問題、それは差別だ。差別ゆえにアメリカは政治的分断や貧困の拡大、虐殺の隠蔽といった多くの諸問題を抱えることになっている。こういった差別に関する考察は他の人が詳しいと思う。というよりも作品自体がそれを前面に押し出しているため、視聴してもらえばどれだけしっかりと分析がなされているのかがはっきりとわかると思われる。

 とはいえ、原作の肝であったヒーロージャンルへの解析に対してはわりと大雑把な結論しか出せていないのは、どうかなぁとも思うのであった。(というかそこに関してはぶっちゃけ原作の結論を肯定して終わってないか? という疑いもあるのだが……)


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