2. オフクロのことを書こうかと。
オフクロがアルツハイマーになったのは2014年だったかと思う。
なったというより診断されたというほうが正しいか。
オフクロには兄弟がたくさんいて、姉のうちの二人が2010年前後のわずか三年くらいの間に続けて認知症になってしまっていた。
二人とも自分から見るとおばさんにあたるけど、一人は施設に入ってしまって面会に行った時には言葉も話せなくなっていた。面会で会う一年くらい前の年明け正月に我が家へ来た時には普通に見えたんだけどなぁ…
『認知症ってヤベェな』とオフクロに対してやや心配なところもあったので軽い気持ちで予防を含めた検査してみようかと思い
『オフクロさ、おばさんが二人ボケちゃったじゃん。オフクロもボケたら大変だからオヤジと一緒にかるく認知症の検査行っとこうよ。』
そうして長谷川式テストの結果、すでにオフクロはアルツハイマーだった。
基準の点数に1点か2点、足りてなかったと記憶している。
それを聞いたとき、え?ってなった。え、なんで?って。マジで?
そのときの自分の感情は今思い出しても結構なショックだったかと。
検査と予防がてらに軽い気持ちで病院来てみたらすでにアルツハイマーですよ、と。
どうすんの?これから。いきなりガチンコの介護生活じゃないか。
そして全く気づけなかった。オフクロの物忘れに。
家族で一緒に住んでいたのに。
オフクロは2010年の暮れに片膝に人工関節を入れる手術をしている。
そんな訳で介護の真似事のようなことはそれなりにしていたものだから、そんな自分が気づけなかった、そのこともショックに拍車をかけたと思う。
少し話が逸れるけど、人工関節が入ってからのオフクロの日常生活での大きな不便は自転車を漕げなくなってしまったこと。
車の運転免許を持ってなかったからね、オフクロは。
なので自分が介護と称してやっていたことは車で近所へ買い物に連れて行くとか、あとは夜中に脚がつりやすくなってしまったのでそのときは薬持って行ったりとか、そのくらい。
芍薬甘草湯だったかな、薬の名前を検索しながら今書いているけどそうだね、この薬だ。
当時のことを思い出しながらこの文章を書いているけれど、これはとても介護とは言えやあしない程度のことしかやってないな、自分。
まあ今もそうだけどさ。
話は戻ってそれがいきなりアルツハイマーの介護すんの!?自分が?ってなったからね。
正直、どうしたらいいか分からなかったよ。
MCI(軽度認知障害)ですらないの?そうしたらもう治らないじゃんかよ。
なんだかいきなり後戻りのできないところまで吹っ飛ばされた気がした。
ショックなのと今後自分たち家族はどうなるんだ?オフクロも喋れなくなるのか?介護って面倒臭いなー、いつまでやるんだ?
あとはほかにも色々と複雑な感情がしばらくカオスな状態のなかにいたように思う。
そのカオスな期間はたぶん2週間くらいだったかな。それとももう少し長かったっけ。もうだいぶ記憶が薄れている。
なんだろうね、あの当時はあんなにカオスなモヤモヤ感を感じていたことも今やこんなにもぼんやりしてるんだからね。
改めてこうやって思い出さなかったらもっと無色透明な記憶になっていたんだろうなと。
よく分かんないよね。人の記憶って。
今日はここまでにしようかと。
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