リハビリ病院へ転院
全く聴こえない。
筆談。
理学療法、作業療法、言語療法のチームが組まれて、私の担当になった。
リハビリ
車椅子で移動して、
抱えられて作業台へ座る状態。
歩けない。
私の担当の先生たちは
とても明るくて、私の光になってくれた。
理学療法士さんは、
全く聴こえない私にホワイトボードに書いて書いて…コミュニケーションをとり、いつも励ましてくれた。明るい笑顔に癒される。
部屋に迎えに来てくれて、痛くてしかめてる私に「眉間のシワを伸ばして」っていうジェスチャー。それは、全く威圧的で嫌な感じは無く、笑顔でそっと。
「どうしたん?
今悩んでることある?」
作業の合間に、ゆっくり聞いてくれた。
作業をこなす だけじゃ無く、私のペースに合わせてくれる。顔色も伺いながら、前に位置するのでは無く横に座ってくれる。とても寄り添ってくれて理学療法士の鏡だ!
前じゃなく横。
作業療法士さんは、いつも面白いし、色んな話を筆談でしてくれる。いつも笑顔で、プックリした手を、そっと背中に添えてくれる。
温かい。
全く聴こえない日が続いたある日、
ふと、ん?え?
今、「痛くない?」って喋った?
初めて聞き取れた!!
それは発症の1ヶ月半位。
なぜか、その作業療法士さんの声だけ、遠くで かすかに聴こえた…何度か。
でもやっぱり聴こえないや。
言語療法士さんは、聴こえない私に、口をパクパクわかりやすく話してくれて、読み取りやすかった。
聴こえず、音階が取れない中、『ふるさと』を歌ったのを覚えてる。
音階はめちゃくちゃ。
もっと低く、低くってジェスチャーしてた。
別部屋にあったカラオケもしてくれた。
『赤いスイートピー』だったけど、音楽が聴こえ無い、歌い出し、速さも掴めない。
もっと低く、、ってジェスチャーしてた。
言語療法士さんの口元で読み取って理解して、自分が話して、と、いつも楽しい時間。
言語療法のリハビリの時間がとても楽しみで、
先生の子供さんや、お孫さんの写真を見せてくれたり、作業以外も、溢れるような あっという間の時間だった。
今思い返しても、この3人のチームの先生が居たから、心折れずにがんばれたんだと思う。
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