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「壁のブローチ」とは何か?

画像:「壁のブローチ」2020年 初期作品の40枚
(2020/01/11 公開記事)

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これは絵画ではなく“装飾品"である。

作品には「WB#1」と通し番号が振られている。
上下はなく、購入者の手によって好きに展示してよい。
前提として「壁のブローチ」シリーズはこんなコンセプトで発表している。

///例えばスカートやネクタイを選ぶ時に、そこに描かれている模様の意図などを貴方は深く考えるだろうか?直感的にカッコいい、可愛い、美しい、綺麗、爽やか、私に似合っているか、そんな感情で選ぶことが多いのではないか。絵画もそういう感覚で手に取られ壁や机に飾られていたら嬉しい。///

常々言っていることだが、絵の感想って本当になんでもいいと思っている。例えば同じ雲を見て、恐竜っていう人もいれば綿菓子って言う人もいる。そのくらいの自由さで良いと思うし、どちらも間違いでは無いと思う。

ただ、抽象画と呼ばれるジャンルを描いていて思うのは、雲を見ても何も思わない人には「自分にはよくわからない」になってしまうところが難しい。だから、これは何?って聞くのだ。みんな「作者の気持ちを答えよ」にいまだに囚われているのだ。何って尋ねることをやめろと言っているのではない、でも大事なのは「何が描いてあるか」では無いと思っている。正解を求めるものではない、と思う。大切なのは何を感じたかなのだ。ただし、正解はある。それが難しいところではある。

このシリーズは基本はオートマティックドローイングによって作られている。つまり何かを描いているわけではない(オートマティックな手法は結局記憶と関連付けられると思っているがややこしいので今回はその話は置いておく)。制作の過程として、白いキャンバスに何も意図せず最初の色を置く。それを起点とし、正方形の中に気持ちの良い色や図形を配置して行く。おわり。

それを鑑賞者がどう思おうが、それはそれなのである。

私は作品をつくった。それをただ見守っている。私は、私の視点で。作品は自分の手から離れて壁に飾られると、もう空に浮かぶ雲みたいなもので、自分の肉体ではない。目の前にあったはずなのに、私であったはずなのに、急に最初から他人だったみたいなフリをする。私はただそれを眺め、一緒に眺めてくれる人たちと意見を交わすことに没頭できる。ただひとりで、私の生み出した雲を眺めている時もある。雲は、見るたびに形を変えていく。

雲が何かの形に見えない人もきっとネクタイの色やスカートの形を選んでいると思う。そういう気持ちで向き合ってもらえたら、またひとつ絵画の難しさが解れるのかなと。

絵を描く活動をしているなかで、やっぱり大衆から一番感じるのは「とっつきにくさ」。

日本ではマンガ・アニメのサブカルチャーが発展していて大人も漫画を読むくらい「絵」には慣れ親しんでいるはずなのに、なぜ「絵画」「アート」はそうではないんだろう。
でも、その敷居の高さはかつて私自身も感じてたことでもある。私は絵画というものをもっと知識がないと触れてはいけないものだと感じるその壁を取っ払いたいなと思う。

そのためにこれからも私なりのアプローチで制作活動をしていきたい。


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